再会

「・・・これは?」


目の前に置かれたその袈裟袋を見下ろしながら、俺はタケミカヅチに問いかける。


「開けてみよ」

「・・・」


促されるままに紐を解いて中身を取り出すと、それは・・・。


「・・・うわっ、なんだこれ」


・・・ボロボロに錆くれた、鉄製と思しき棒だった。

全長は・・・1mもないだろうか。


「・・・鉄杖・・・か?これは・・・」

「杖ではない。つるぎだ」

「ツルギ?・・・これが?」


言われてよくよく見れば、確かに柄と刀身の境目のようなものがあるようにも見えるが・・・。

その肝心の刀身は、錆付きすぎてもはやどの方向が刃なのかすら判然としない有様だ。


「『佐士布都神剣サジフツノカミツルギ』。

 ・・・一般的には『布都御魂フツノミタマ』と呼ばれておる剣だ」

「フツノミタマだって!?」


すぐ後ろで、唐突に勝史さんが大声を上げた。


「知ってるんですか?勝史さん」

「知ってるも何も、神道神話で最も有名な神剣の一つだぞ。

 昔、鹿島神宮で見たことがあったが・・・」


勝史さんは身を乗り出してあんぐりと口を開けている。

・・・どうやら、その道の人にとってはよほど著名な代物らしい。


「まあ、あれも確かに我が分霊を込めたものだがな。

 ここにあるものは、我が社に奉じられている布都御魂フツノミタマとは異なる」

「・・・そんな有数の神剣なのに何本もあるものなのか?」

「神道は分霊の概念を重んじる信教だからな。

 本来は唯一無二とされるような神器であっても、全国各地の神社にいくつも奉じられていたりはする。

 だが、それらのどれが偽物で、どれが本物ということはないんだ。

 ・・・いや、本物の神前でこんな事を言うのもおかしな話だが・・・」

「・・・ふぅん。これが、ねぇ・・・。

 俺の目には、単なる錆くれた鉄棒としか映らないですけど」


若干興奮気味の勝史さんとは裏腹に、俺は何となく冷めた気持ちでその頼りなさげな神剣とやらをまじまじと見つめる。


「・・・然り。

 そなたにとっては、それはただの鉄くれでしかない」

「・・・・・・。

 ・・・まさか、そのただの鉄くれで戦えとか言うんじゃないだろうな?」

「そう喧嘩腰になるな。

 あくまで『そなたにとっては』、だ」


タケミカヅチは立てていた右膝を倒し、その場にゆったりと構えるかのようにあぐらを掻いた。


「・・・先ほども申したように、そなたは霊力的には全くの凡夫だ。

 故に、我が剣もそなたには霊験を顕さぬ。

 ・・・だが、加賀瀬美佳は違う」

「・・・美佳に使わせろ、ってことか?」

「そうだ。

 その布都御魂には、わしと経津主の神気・・・と言うか、分霊が込められておる。

 加賀瀬美佳が振れば、それなりの神武を顕すであろう」

「・・・結局、直接剣を交えろと言ってることには変わらないわけか」


・・・神から与えられた伝説の武器で魔神退治とは。


・・・・・・笑えない。


「わしの見立てでは、加賀瀬美佳はアンドラスの剣筋自体は見切れていた。

 ・・・歯が立たなかったのは、人と魔神の器の差・・・すなわち、肉体の強さだ。

 その剣がひとたび霊験をあらたかにすれば、その差を覆すことができる」

「・・・アインはどうするんだ?

 剣で対応できるような相手とは思えないんだが・・・」


アンドラスほどはっきりと姿形や性質を見たわけではないが、遭遇時の挙動やじいさんの死に様からすると

炎を操るのが得意なんだろう。

白兵戦でどうにかなるようには思えなかった。


「その剣ならば対応は可能だが、それでは加賀瀬美佳の負担が大きすぎるからな。

 ・・・そこで・・・」


と、タケミカヅチはフツノミタマを横に除けると、俺の前にずいっと身を乗り出してきた。


「な、なんだよ?」

「右手を出せ」

「・・・は?」


タケミカヅチはここに乗せろと言わんばかりに、俺の眼前にその左手を差し出す。


「右手を出せと言っておる。

 ・・・蛭子ひるこ殿の下僕にやられた部分だ」

「な、なんで」

「良いから出せ。

 ・・・早くせい」

「・・・」


・・・当然だが。


猛烈に嫌な予感がした。


「・・・断る・・・と言ったら?」

「稚児のようなことを言うでない。

 ・・・と言うか、その選択肢がないことくらい今のそなたなら判ろう」


・・・ぐ。


「・・・」


俺は仕方なく、右手の甲―――つまり、ヒル人間に血を吸われてアザになっている部分を

渋々とタケミカヅチの前に差し出した。


「・・・そう言えばさ、一つ聞いていいか?」

「・・・なんだ」

「さっきあんたら・・・『エーテル抜き』だっけか?

 あの術で肉体にダメージを受けても、キズは残らないとか言ってたよな?」

「・・・言ったな」


タケミカヅチはまるで手相でも見るかのように―――と言っても、本来手相を見るべき手のひらの裏側だが―――俺の手の甲をまじまじと見ている。


「じゃあ、これは何だよ?

 一ヶ月経ってもアザが消えないじゃないか」

「・・・それはそうであろう。

 そなたは―――」


と。

タケミカヅチは突然、俺の右手をがしりとひっ掴んできた。


「―――蛭子殿に、呪われておるからな」

「!?

 ・・・はっ・・・!?」


そして次の瞬間、その右手に握っていたと思しき『なにか』を、俺のそれに乗せる。


「うわッ!?」


俺が反射的にその手を振りほどいて、自分の右手を見直すと―――


「・・・ひっ!」


・・・思わず、情けない悲鳴を上げてしまった。




―――黒く蠢く、形容しがたい『なにか』。

10cmほどの・・・ちょうど俺のアザによく似た形状のそれが、右手の甲に乗っていたのだ。




・・・いや、違う。俺は『これ』に見覚えがある。

どちらと言えば、思い出したくはない記憶だったが・・・。


「うわっ!

 ・・・くそっ!」


俺は左腕で、狂ったように右手のそれを払いのけようとした。

・・・ちょうど『あの時』のように。


しかし右手に乗っていたはずのそれは・・・。

・・・・・・。

・・・いつの間にか、溶けるように消えてしまっていた。


「・・・」

「おいっ!!どういうことだっ!!」


俺はなんだか分からない怒りのようなものすら湧いて、タケミカヅチに怒鳴りかかる。


「取り乱すな。

 ・・・まあ、驚くのも無理はないが・・・」

「これが取り乱さずにいられるかッ!!

 一体何を・・・って言うか、さっき呪いとか言ってたか!?」


ヒルコの呪いと確かに聞こえたが。

・・・まさか、ここまできて実は謀られたとかじゃ・・・。


「・・・まあ、極端な言い方をすれば、な。

 悪く言えば、呪い。

 ・・・良く言えば・・・」


タケミカヅチは再び元の位置に後ずさりながら、言葉を続ける。


「・・・『聖痕』だ」

「・・・。

 『セイコン』・・・?」

「聖なるアザという意味です。

 ・・・最も、本来は我ら大和の神々の霊験ではなく、基督きりすと教の概念ですが・・・」


成り行きを見守っていたタケハヅチが、横から言葉を繋ぐ。


「それは蛭子殿がそなたに付けた『しるし』だ。

 ・・・先ほどは呪いと申したが、別にそなたの心身を蝕む類のものではない」


・・・・・・じゃあ、あんないかにもいわくありげな言い方すんじゃねーよ・・・・・・。


「と言うか、それ自体には何の意味もない。

 本当にただの『しるし』だ。

 ・・・だが、そなたと蛭子殿を繋ぐ接点でもある」

「・・・じゃあ、さっき俺の手の甲に乗せたのは・・・」


・・・・・・これほど回答を知りたくない質問をしたのは、生まれて初めてかも知れない。


「察しの通り、蛭子殿の一部だ」

「・・・・・・・・・・・・」


全身が凍りついた。

って言うか、固まった。


・・・・・・と言うか、気が遠くなった。


「そんな顔をするな。

 これは加賀瀬美佳と、何よりそなたのためだ」

「・・・・・・・・・・・・」


・・・果たして、これほど清々しい『おためごかし』が他にあるだろうか。


「・・・頼む。

 取り除いてくれ・・・」

「そういうわけにはいかん。

 ・・・案ずるな。務めを果たせばおのずと出て行く」

「・・・務め・・・?」

「『とおりゃんせ』を歌ってみよ」

「・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・はぁぁ・・・・・・?」


俺は実に腑抜けた声で、タケミカヅチに聞き返した。


「『とおりゃんせ』を歌えと言っておる」

「な、なんでっ・・・」

「良いから歌え。

 説明するより実践した方が手っ取り早い」

「・・・・・・」


・・・美佳、助けて。

俺、今、ワケ分かんないモノを寄生させられた挙げ句、複数人の前でわらべ歌を歌うことを強要されてる・・・。


その縋るような想いが、後ろから聞こえてくる忌々しいまでに健やかな寝息で吹き飛ばされていくのを感じた俺は、助けを求めるように勝史さんの方を振り返る。


「・・・・・・・・・・・・」


・・・勝史さんはそこはかとなく、期待でそわついているように見えた。


「・・・」


勝史さんとは、俺が物心ついた頃からの付き合いだけれど・・・。

正直、初めてぶん殴りたいと思ってしまった。


「・・・・・・と・・・・・・」

「・・・」

「・・・と・・・ぉ、りゃん、せ、ぇ・・・。

 とぉ、りゃん、せぇ・・・」

「・・・」

「こ・・・こ、は、ど・・・この、

 ほそ、みち、じゃぁ・・・」

「・・・ふむ。

 そなた音痴だな」


こんな状況で正しい調子で歌えるかぁッ!!


「・・・・・・・・・・・・てん、じん、さぁ、まの・・・。

 ・・・ほそみ、ち、じゃぁ・・・」


・・・と。

目尻に熱いものが滲むのを感じながら、半ばヤケクソ気味に歌っていた、その時。


『・・・ん・・・じ・・・

 ・・・ぁまの・・・、

 ・・・そ・・・ち・・・じゃぁ・・・』

「・・・・・・。

 ・・・え?」

「止めるな。

 そのまま続けよ」


・・・・・・?

・・・今、確かに・・・。


「・・・・・・。

 ・・・ちぃっととぉして、くだしゃんせぇ・・・」

『ち・・・ぃ・・・っと、とぉ・し・て・・・、

 ・・・くだ・しゃん・せぇ・・・』

「!!」

「・・・続けよ」


ぎょっとして思わず背後を振り返った俺に、タケミカヅチがなおも促す。


「・・・ご・・・っ、

 ごようの、ないもの、とぉしゃせぬ・・・っ」

『・・・ごよぉの・・・ない・・・ものぉお・・・、

 とぉ・しゃ・せぬぅう・・・・・・』

「・・・!!」


・・・先ほどより、明らかに大きくなっている。

と言うか、近づいてきてる。


「・・・こ、このこの・ななつの・おいわいに・・・

 おふだを・おさめに・まいります・・・」

『この・この・なな・つの・おい・わい・にいぃ・・・、

 ・・・おふ・だを・おさ・めに・まい・りま・すうぅ・・・』


・・・間違いない。

もうすぐそこまで・・・って言うか、もう、そこの―――


―――そこの襖の、すぐ向こうに。


「・・・良し。

 もう止めて良いぞ」

「・・・っい、一体・・・っ!?」

「それが分からぬそなたではあるまい。

 ・・・・・・参れ!」


―――ゆっくり、ゆっくり、襖が開いた。

実に。ゆっくり。ゆっくり。


それが俺の脳内物質だかなんだかによるものなのか、それとも『それ』の緩慢さゆえだったのか・・・。


『いぃ・・・きは・よい・よい・・・、

 かえ・りは・・・こわい・・・』


―――襖の奥から、覗いたその姿は。


陽炎のようにゆらゆらとして、なめくじのようにぬらぬらとした・・・

・・・違う、そんな呑気なものじゃない。

ズルズルに腐乱していて。巨大なヒルのように膨張していて。


『・・・かえ・れぬ・ながらもぉお・・・』


蒼ざめた肌。

ボロボロの衣服。

腐乱してズルズルに剥けた皮膚。

肉だか骨だか内臓だかよく分からない、身体のあちこちからはみ出た青紫色の『なにか』。

バルーンのように膨れ上がった、顔。腹。腕。脚。と言うか、全身。

ブヨブヨだかドロドロだか分からないそれらが、重力に引っ張られてだらりと垂れ下がった―――


『とぉお・・・りゃん・せぇ・・・。

 ・・・とぉ・りゃん・せぇえ・・・』




――――――――――――ヒル人間。

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