侯爵と公爵と講釈と(前)
「ゴメンよ美佳~、あたしのせいで~・・・」
目尻に涙をたたえた春さんが、土下座のごときオーバーアクションで美佳の布団にかぶりつく。
「わたしは大丈夫だよ。ちょっと背中打っただけだし。
わたしより、さっちゃんが・・・」
美佳は不安そうな表情で、ちらとこちらに視線を向けてきた。
「こんなの大したことないって。ちょっと肩を殴られただけだ。
なんか大げさに包帯巻かれちまったけど、別に折れたとかじゃないし」
言いながら、俺は首から吊っている自分の左腕に視線を落とす。
「聞いたよぉ美佳の彼氏~。
あんた、美佳を守るために通り魔に立ち向かったらしいじゃん。
そんな女の子みたいなツラとタッパしてるクセに、超男らしいじゃんよぉ」
「だから彼氏じゃないっての。
・・・って言うか、顔と背丈は関係ないだろ」
2014年8月14日木曜日。午後9時10分。
あのフクロウの化け物との遭遇からほぼ半日余り。
ようやく警察の事情聴取から解放された俺と美佳は、加賀瀬家の家屋で唯一使われていなかった――つまりは、去年まで美佳のじいさんの書斎だったこの部屋に布団を敷いて、押し掛けた他の親類たちから質問責めを受けていた。
「すまん・・・美佳、高加。
俺と春のせいで・・・」
春さんの横で正座していた誠司が、申し訳なさげに肩を縮こめる。
「だから二人のせいじゃないって。
そもそも二人だって被害者じゃんか」
「・・・あっ!そうだっ!!
あたしと誠司の仲を引き裂こうとした挙げ句、美佳と美佳の彼氏を襲うとは・・・
その変質者、絶対許さんっ!!」
それまで美佳の布団にかぶりついていた春さんが、突然思い出したかのように顔を上げた。
「・・・しかし、帯剣してた美佳がまるで歯が立たないって・・・。
一体何者なんだ?その通り魔・・・」
「・・・」
運び込まれた病院のベッドで俺が意識を取り戻したのが、午前11時頃のこと。
あの後意識を失った俺は、警備員と直後に駆けつけた警察とにその病院に運搬され、治療を受けていたらしい。
と言っても、怪我自体はそんな大したものでもない。
意識が戻った後で精密検査を受けたが、打たれた左肩と打ちつけた背中を打撲傷と診断されたくらいで、入院の必要もないとのこと。
ちなみに美佳はさらに軽傷で、背中の打撲も俺より軽い。
さすがと言うべきか、やはりあの化け物の太刀筋自体はある程度見切れていたんだろう。
ただまあ、相手が人を超えた力と速さの持ち主だったがゆえに、美佳自身の肉体がその見切りについていけなかったようだが・・・。
・・・で、むしろ堪えたのはその後の警察による事情聴取で、どこからどこまでをありのまま話したものか、俺はまたしても苦慮するハメに陥ってしまった。
なにせ相手は尋問のスペシャリストなわけだから、変に隠し立てすると『隠し事している』ことを看破されてしまいそうだったし・・・。
結局俺は『家財損壊の犯人探しごっこをしていたら、被りものしている変質者に因縁をつけられた』という前提で警察に顛末を話し、一時間ほど前にようやく解放された。
美佳と口裏を合わせる猶予はなかったが、別に美佳がありのままを話したとしても問題ないだろうと踏んだのだ。
通り魔に襲われて恐慌状態にある被害者が、被りものした変質者を化け物と断じたところで、警察側で勝手に『よくあること』として咀嚼してくれるだろうし。
「・・・まあ、酔っぱらいに刺されて死んだプロレスラーだっていたらしいし、試合での強さが必ずしも不測の事態で活かせるわけじゃないさ。
それより・・・」
俺は軽く咳払いしてから、改めて春さんと誠司とを交互に見た。
「なんで二人とも、あそこまでヒートアップしてたんだ?
いつもの二人なら、あんななすり付け合いなんて絶対しないだろうに」
「えっ!?」
「・・・」
俺の問いを受け、春さんと誠司がびくりと肩を震わせる。
「そうだよ。二人とも、普段はあんなに仲良しなのに・・・」
「あ~・・・いや、それは・・・」
「・・・春がさ。高加のこと、ちょっと気に入ってて」
目を泳がせながら言い淀んでいる春さんを尻目に、誠司がおもむろに口を開いた。
「は!?」
「は!?」
「ちょ、誠司!!」
途端に、春さんが・・・と言うか、その場にいた全員がぎょっとして誠司を見る。
「んで、まあ・・・なんだ、俺もそれ聞いてムカっときちまって、かなり派手にやり合っちまったんだよ。
・・・それが昨夜、寝る直前のことだ。
んで朝になって、春が俺の部屋で例の木刀見つけて・・・」
「だーかーら、違うっての!
あたしは単に、美佳はあんなかわいいのが彼氏でいいねっつっただけっしょ!
そしたらあんたがいきなりキレて・・・」
「違わねーだろ!
要するに俺より高加の方がいいってことじゃねーか!」
「・・・・・・」
・・・そう。
この会話で分かると思うが・・・。
この二人、従姉弟同士で付き合っているのだ。
だからこそ、あれしきのことであんな醜いなすり付け合いにまで発展してるのを不自然に感じていたんだが・・・。
・・・結局痴情のもつれかよ。
「だから違うの!
つかそれ言い出したら、あんただってよくあたしの前でエロい本読んでんじゃんか!それはいいワケ!?」
「バーカ!男にとって肉欲と恋愛は必ずしもイコールじゃねーんだよ!だいたい――」
「・・・もう、二人で新居でも建てて、そこで思う存分やり合ってくれよ。
頼むから・・・」
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アンドラス(Andras)とは、悪魔学における魔神の一柱。
紀元前10世紀頃のユダヤ王ソロモンが使役していたとされる72柱の悪魔の一柱としても数えられ、またその序列は63番目とされる。
殺戮、破壊、破局など不毛な力と性質とを有しており、仮に召喚に成功したとしても、召喚者をその仲間ごと問答無用で皆殺しにしようとするという。
上手く支配下に置くことができれば、逆に召喚者の敵を皆殺しにしてくれたり、敵対する組織に不和をもたらして瓦解させる能力を有している。
地獄においては侯爵の地位にあり、30の軍団を指揮する悪霊の
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「・・・どう思います?先生・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
俺はパソコンのディスプレイを見つめながら、スマホの向こうの人物に漠然と問いかける。
『・・・逆に聞くが、君はどう感じたんだい?高加君』
「・・・。
・・・どうにもこうにも・・・」
電話の向こうの人物――西宮先生に逆に問い返され、俺は困惑気味の返答を返した。
「何かの間違いだとしか思えないですよ。
・・・だって、悪魔ですよ?悪魔。
超人的な変質者の方が、よっぽど平和的だ」
『だけど、僕も君も・・・加賀瀬君も、それを「ひょっとしたら、ありのままの事実かも知れない」
・・・と思ってしまえるだけの下地を、既に体験してしまっている。
だからこそ、僕にこうして電話してきたんだろ?』
「う・・・」
同日、午後10時20分。
じいさんの書斎に美佳を置いて、あてがわれていた元の部屋へといったん戻った俺は
備えつけのパソコンを借りて『ある単語』を検索しながら、西宮先生と連絡を取り合っていた。
「・・・いやっ、でもですね。
このソロモンって王様、今から3000年くらい前の人物なんでしょ?
そこからそんな、いきなりポっと、現代にそんなものが・・・」
『しかし、それを言い出したら
・・・そもそも、高加君はあのヒルコのことはどう捉えているんだ?』
「・・・自分の中では保留ってことにしています。
あれが本物の神様かどうかなんて、考えて答えが出るものじゃないだろうし・・・」
『・・・ふむ』
電話の向こうでわずかな沈黙が流れた後、再び西宮先生が言葉を紡ぐ。
『・・・正直言うとな、僕も高加君と同意見だ。
以前も言ったが、僕はリアリティというか・・・ある種の「生々しさ」のないオカルトは・・・娯楽としてはともかく、「あるかも知れないこと」として信じたりはしない』
まあ、そうだろう。
西宮先生がオカルトに対してある種の矜持を持っている人間だからこそ、俺もこうやって助言を求めているんであって。
『・・・高加君は、ソロモン72柱の魔神についてはどれくらい知ってる?』
「なんとなく、漫画だかゲームだかで『ソロモン72柱の魔神』ってフレーズを聞いたことがあったかな~・・・って程度です。
ソロモンってのが具体的にどういう人物かとか、なんで72体なのかとか、具体的にどういうのがいるのかとかは全然知らない。
だから今開いてるサイトの記述が、俺の知識のほとんど全てと言っていい」
『そうか。
・・・まあ、君らしいかな』
電話の向こうで、軽く咳払いするような声が聞こえた。
『君が今言ったように、ソロモンというのは今から3000年ほど前に実在したとされる、古代イスラエル王国の王様だ。
野心的で知恵に優れた人物とされ、それ故に超人的な逸話が数多く残されている。
魔術によって悪魔を使役していたというのも、その一つだな』
「それがその、72体の悪魔ってことですか?」
『そういうことだ。
しかも彼らは、ただの木っ端悪魔じゃない。地獄において爵位と独自の軍勢とを有する、悪魔の王侯貴族だと言われている』
「・・・で、そのオーコーキゾクとやらが、今日俺の前でベラベラといらんお喋りをした挙げ句、俺の口車に乗せられて帰っていったんですか?」
俺は諦観半分呆れ半分といった口調で、先生に言葉を返す。
・・・いや、実際に遭遇したのは他ならぬ俺自身であって、西宮先生はそれに付き合ってくれてるんだから、本来なら俺こそが呆れられる立場にあるはずなんだが。
『・・・個人的な興味で聞くが、高加君自身はどう感じてるんだ?そのフクロウの怪物のことは』
「え?
・・・う~ん・・・」
・・・なんかここ2日、返答に困るような問答ばかりしてるような気がする。
「・・・ヒルコの時と一緒です。
保留にして、あまり考えたくない・・・というのが本音で」
『・・・ふむ』
「俺が気に入らないのは、むしろ『符合してしまうこと』なんです。
ヒルコにしろアンドラスにしろ、名前を同じくするだけの別物ならば、俺だってこんなに悩んだりしない。
・・・でもあいつらは、あまりに神話・・・乱暴に言ってしまえば、おとぎ話とかファンタジーの記述に忠実すぎる」
俺は再びディスプレイへと向き直りながら、半ば愚痴のような剣幕で言葉を続ける。
「だから自分の中で、『何かの間違い』として切り捨てることができないでいる。
一番簡単な答えが、『正真正銘本物の神話的存在』だと認めてしまうことだって分かっているから」
『・・・』
「この検索して出てきたサイトの記述と照らし合わせてみた感じ、伝説上のアンドラスと俺が遭遇したアンドラスには、全くといっていいほど相違点がない。
あえて言うなら頭部を為している鳥の種類に諸説あることや、狼に騎乗していなかったことだけれど、そんなこと全く問題にならないだろうし」
何より不愉快だったのは、パソコンによって調べることを勧めてきたのが当のアンドラス自身だということだ。
つまり、少なくともあのアンドラス自身は、自らのことを伝承上の魔神アンドラスそのものだと自認しているということになる。
・・・まあ、さすがに『広大無辺な名声』と表せるほどの知名度ではない気もするが。
『・・・君なりの落とし所が見当たらない、ということか』
「・・・まあ、言ってしまえば・・・」
『気持ちは分かるよ。
・・・ただ、僕はあえてそのアンドラスを、伝説上の悪魔と同一存在だという仮定の元に話を進めたい。
君が推測した、その複数いるであろう「仲間」とやらが気になるからな』
「・・・やっぱりそいつらも、その72柱の魔神とやらなんでしょうか」
本当はそう認めたくはないのだが、俺個人の見識でいつまでも駄々をこねていたって埒が明かない。
俺は仕方なく、西宮先生の仮定に同調することにした。
『うむ・・・。
その可能性は高いと思う。
そのアンドラスが口にしたという「ゴモリー」、パソコンで調べられるかい?』
「・・・『ゴモリ』ですか?」
『ゴモリ「ー」だ。「リ」の後は伸ばす。恐らく今見てるのと同じサイトに載っているはずだ。
なければ『グレモリー』で検索してみてくれ』
「・・・」
この口ぶりからすると、先生はその『ゴモリー』というのがどういう存在なのか知っているということか。
俺はスマホを頬と右肩の間に挟んだまま、パソコンのキーボードに指を走らせた。
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