幕間(中)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「いよいよ明後日からだねー、夏休み」

「うん・・・?

 ・・・ああ。なんか微妙に出鼻を挫かれた気分だけどな」


俺はリビングのソファに腰掛けながら、台所から戻ってきた美佳へと視線を向ける。


「えー?そうかな?

 わたしはウキウキしてるよ?」

「・・・。

 自分で『ウキウキ』とか言うなよ・・・」


――同日、午後8時20分。自宅。

今学期最後の授業を終え、『無事』学校の敷地を出て『無事』田園地帯を抜け、何事もなく帰路へと着いた俺たち二人は、

特に何をするでもなく俺の家でダラダラと過ごしていた。


「・・・つーかお前、家帰んなくていいのか?

 いくら腐れ縁つっても実質一人暮らしの男の家に入り浸るとか、おじさんたち心配するだろ」


――今さらな自己紹介になってしまうが、俺は数年前に母と死別している。

外資系企業に勤めている父も仕事柄家を空けていることが多く、現状はほぼ一人暮らしといっていい。

・・・で、美佳の両親はそんな高加家の家庭の事情を一応は知っているはずなのだが・・・。


「んー?全然。さっちゃんちに行くって言えば、たいていの許可は下りるし」

「・・・・・・」


おじさん・・・。

おばさん・・・。

年頃の娘の親として、それはちょっとどうなんだ。


「いいじゃない。あの人も言ってたでしょ?『なるべく一緒にいろ』って」

「・・・『ヒルコ』のことか?

 ・・・ったく、そういうことだけ素直に聞き入れやがって。

 そもそも、俺たちはあいつに殺されかけたんだぞ?」


・・・あの化け物も、微妙に処理のめんどくさい爆弾を置いていったもんだ。

って言うか、殺されかけた挙句に美佳にヘンな大義名分を与えるとか、どんな嫌がらせだよ。


・・・・・・。


『殺され』・・・『かけた』・・・という認識で、合ってるんだよな・・・?


・・・『そなたらを殺めても意味がない』というヒルコの一言が、俺には妙に引っかかっていた。


「まーいーじゃない。忠告は忠告ってことで。

 ・・・そんなわけで、ちゃんと準備しといてね?」

「・・・は?準備?

 ・・・・・・何の?」

「決まってるじゃない。お盆の里帰りよ」


・・・ソファにだらしなくもたれかかった姿勢のまま、俺は凍りついた。


「・・・えーと、ちょっと待て。

 ・・・・・・えーと・・・・・・」

「あ、ごめんごめん。また説明がヘタだって怒られちゃうね。

 ・・・えっと、だからね、わたし、お父さんの実家から今年のお盆は必ず顔を見せるようにって、強く言われてるの。だからさっちゃんも準備しといてね、ってこと」


・・・美佳はさも当然とばかりに、実にあっけらかんと説明してくれやがった。


「・・・『だから』の後が全く繋がってないと思うんだが・・・」

「あーもーっ、そうやってとぼけるフリとかいらないから。

 あの『ヒルコ』さんがなるべく一緒にいろ、って忠告してきた以上、一緒に里帰りするのはそんなにおかしなことじゃないでしょ?

 っていうかさっちゃん、去年だって一緒に来てくれたじゃない」

「あ、あれはお前んとこのじいさんの葬儀だったからであって・・・。

 ・・・うん?もしかして、帰ってこいって強く言われてるのって・・・」


美佳の父方のじいさんが亡くなったのは、去年の八月末。

つまり今年の盆は、じいさんの初盆ということになる。


「・・・うん。まあ、そういうことなんじゃないかな・・・」


・・・答えながら、美佳はほんの少しだけ寂しげに俯いた。


「・・・そうか。

 まあ、じいさんにはちょっと世話になったような気もするし、それならしょうがない・・・かな」

「うん。ありがと・・・ね」


寂しさ半分、嬉しさ半分といった表情で美佳が顔を上げる。


「・・・あ!

 で、でも、さっちゃんの方は・・・その、おばさんのことでなんかあったりとかは・・・」

「いや、なんも。

 ・・・例年通りだよ」

「そ、そっか。

 ・・・ごめんね」


美佳の家とは逆に、うちは母方も父方も一族の繋がりが希薄なため、毎年のお盆にも特に里帰りするような習慣はなかった。

薄情に聞こえるかも知れないが、母さんの実家は茨城からでは遠すぎるし、お盆だからと特に偲ぶような真似もしない。

だから、まあ・・・。特に予定もなければ、美佳の誘いを強く断る理由もない。


・・・ただあの化け物の言う通りに行動するのは、実に不本意だったが。


「・・・じゃあ、お父さんとお母さんにも伝えておくね!」


言いながら、美佳はソファを立って再び台所へと歩いていった。


「あ、うん・・・。

 ・・・うん?」


・・・・・・。

なんでこの場で電話を掛けないんだ。


もしかして、おじさんとおばさんもグルなんじゃ・・・。

・・・・・・。


・・・ったく。




嘆息しながら、俺は今となっては輪郭がぼやけてしまった、美佳のじいさんの記憶に思いを馳せる。


普段はニコニコと笑顔を絶やさず、美佳はもちろん俺にも優しかったじいさん。

・・・なのに稽古の時だけは、鬼にでも憑依されたかのような剣幕で美佳をしごいていたじいさん。

あまりに稽古がスパルタすぎて、美佳の父親・・・つまり実の息子に正座させられて、メッチャ怒鳴られてたじいさん。

・・・にも関わらず、それでも稽古の手を一切緩めなかったじいさん。

最後に会ったのは、俺と美佳が中学に上がるかどうかくらいの時だったろうか。


やはり美佳にとっては恐怖の存在だったらしく、その頃はあまり好んでおじさんの実家に帰ろうとはしてなかったようだが、それでも去年の葬儀の際は顔がむくみ上がるほど泣きはらしていた。




・・・・・・・・・・・・。




・・・じいさんは、なぜ美佳に対してあんなに厳しく稽古をつけていたんだろうか。


じいさんが美佳を愛していたのは間違いないだろう。

俺の記憶では、美佳の父親には何人か兄弟がおり、美佳にとって従兄弟にあたる人間とも何人か会った覚えがある。

そして当然、その中には男子もいた。

だがその子らは、特にじいさんに稽古をつけられていたような記憶がない。

美佳だけだ。美佳だけがじいさんのしごきを受けていた。

だからこそ、美佳の父親はじいさんにマジギレしたのであって・・・。


・・・なぜ、女孫の美佳にだけそんな理不尽な稽古を施していたんだ?

自己満足で剣術の稽古を施したかったのだとすれば、それこそ男孫を標的にすれば良かったろうに・・・。




・・・・・・・・・・・・。




じいさんの訃報が届いたのは、突然のことだった。

車の運転を誤っての事故死だったらしいが、おじさんはそれ以上のことを詳しく聞かせてはくれなかった。


・・・まあ、俺はしょせん赤の他人なので、そりゃそうだろう。


しかし葬儀の際に少し引っかかったのは、大半の親類縁者が悲嘆に暮れる中で、一部の参列者が妙に落ち着かない様子だったということだ。

葬儀の執行というのはそりゃ忙しいだろうから、その時はそういうものだとしか思わなかったが、あれは今にして思うと、忙しいというよりも・・・



・・・何かに、ひどく怯えていたような・・・。



「・・・・・・・・・・・・」


俺は今一度、二日前の怪事に思いを巡らせる。


奇妙な怪談。

水死体消失事件。

海からの亡者。

迷宮と化した田園。

迷宮と化した学校。

東北地方に伝わる都市伝説。

恵比寿伝説。

蛭子伝説。

『とおりゃんせ』。

後森先輩。

不気味な赤子。

ヒル。ヒルヒルヒル。

アマツミカボシ。

甕星ミカボシの名を口にした蛭子ヒルコ

美佳の『星』を見る力。

その星を司る甕星ミカボシ神。

その甕星ミカボシを祭神と仰ぐ、美佳の一族・・・。


加賀瀬一族の長として、神社を取り仕切っていたじいさん。

美佳に特に優しくて、特に厳しかったじいさん。

死の直前まで、病とはまるで無縁だったらしいじいさん。

普段は乗車を好まなかったのに、車で事故ったらしいじいさん。


――葬儀の際、『お見送り』がなかったじいさん・・・。




・・・・・・本当に、じいさんの死因は『事故死』だったのか・・・・・・?




美佳に稽古をつける際のじいさんは、本当に鬼気迫っていた。

強迫観念じみてすらいた。


・・・なぜだ?

じいさんだって、美佳に忌避されたくはなかったろうに。

だが当時のじいさんの剣幕は今にして思うと、まるで何かに焦って・・・

・・・いや、とてつもなく差し迫った『何か』に追い立てられて、ひどく切羽詰っているようですらあった。


・・・もしかして、じいさんは普通の人間では知りえないような『何か』を知っていたんじゃないのか。

それ故に、嫌われるのを覚悟の上で、異能を秘めた美佳にあんな稽古をつけて・・・


・・・そして、人智を超えた『何か』に遭遇し、お見送りもできないような最期を遂げたんだとしたら・・・。


「・・・・・・・・・・・・」


―――俺は、『ヒルコ』の忠告を軽んじすぎてやしないか?


おぞましいヒル人間をけしかけて俺たちを恐怖の極致へと追いやったあの化け物が、あんな親身と聞こえる忠告をしてきた意味を。

そして、その化け物が『天津神 蛭子ヒルコ』を名乗った、その意味を。


・・・俺は、もっと深く考えるべきなのでは・・・?

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