特異点
「・・・これが・・・」
――周りを無数の切り株に囲まれた、山海高校北フェンス側のとある一角。
その切り株群を隠れ蓑にするかのように地面に埋め込まれている目の前のそれをまじまじと見下ろしながら、
俺はわずかばかりの感慨を込めてつぶやいた。
「・・・こうして間近で見ても、ホントにただの丸太、って感じにしか見えないね」
そう。
今、俺たちの眼前に埋没しているこの丸太こそが、恐らくはこの奇妙な異次元迷宮を発生させている源。
大地に打ち込むことで地脈の流れを狂わせ、地理的な超常現象を引き起こしている『楔』のはずなのだ。
とは言え・・・。
「だな。全然ピンとこない」
・・・こうして目の当たりにしてもなお、この丸太が一連の怪現象の元凶だという実感がイマイチ湧かないでいた。
そもそもこれが元凶だという考え方自体、俺と西宮先生の推測を繋ぎ合わせて導き出した仮説に過ぎない。
この異次元迷宮における特異点のような存在だということは、まず間違いないだろうが・・・。
「スイッチのようなもの・・・なのかな。僕もあまり実感のようなものがないが・・・」
スイッチという例えはなかなか分かりやすかったが、同時にかすかな不安も掻き立てられた。
俺たちはこのスイッチを『offに切り替える正規の方法』を知らないため、
焼却――つまり破壊すれば切れるだろうという、非常に野蛮な当てずっぽうを行使しようとしているからだ。
しかも具体的にどれくらい焼き払えば機能を失うのか、そもそも本当に焼き払って機能を失うものなのか、全く確証はない。
「とりあえず、早いとこ作業を始めましょう。またあいつらどこから湧いてくるとも分からないし・・・」
言いながら、俺はふいっとグラウンドの方向へと振り向いた。
無人の校庭。
裏門の連続通過によって平行世界をせわしなく渡り歩き、今や限りなく現実世界に近い場所へと到達したはずだったが、
それでも生物の気配は一切感じられない。
・・・いや、生物だけじゃない。死者の気配すらも消え失せていた。
「・・・あいつら、なんで急に消えちゃったんだろうね?
あんなにたくさんいたのに・・・」
と言うのも、直前の平行世界まではあれだけ増殖していたヒル人間の大群が
十八回目の裏門への突入後――すなわち、最後に裏門を抜けてこの世界へと到達した途端、
なぜか忽然と消失してしまっていたのだ。
「さあな。
・・・ただ、気が抜けないのは確かだな」
初期の二体に加えて裏門をくぐり抜けるごとに一体づつ増加していたから、
単純計算で二十体もの大部隊に膨れ上がっていたはずなのだが。
「動きが遅い分、むしろ視界に収まっていてくれた方が安心できる気もするがね・・・。
・・・まあ、高加君の言う通りさっさと始めるか。最悪、向こうの二本も焼き払う必要があるかも知れないしな」
「・・・ですね」
言いながら前方へと視線を移した西宮先生に釣られて、俺もその視線の先へと目を向ける。
フェンス沿いに続く切り株地帯の先、ここからそれぞれ50m弱ほどの地点と100mほどの地点の計二箇所に
ここと同じように丸太が埋め込まれている。
元いた異次元世界では三本の楠が生えていたはずのそれらの場所は、今や三箇所ともこれらの丸太に取って替わられていた。
「・・・美佳。星は見えているか?」
「うん。この丸太にも、向こうの方に埋まってる二本にも、すごく強く星が輝いてる。
・・・でも・・・」
「でも?」
美佳は竹刀を構えたまま、身じろぎもせずに視線だけをきょろきょろと注意深そうに動かす。
「図書室からこの場所を見た時もそうだったけれど・・・。
こんなに明るい星が出てるのに、ここの周囲はとにかく暗いの。
・・・今まで通ってきた場所は、星の輝きが強ければ強いほど、その周囲やそこに続く道も明るく見えていた。
でも、ここは・・・今までで一番明るい星が三つも輝いてるのに、今までで一番暗い・・・」
「・・・そうか」
この場所の星の見え方が尋常じゃないということ自体は、図書室で既に聞いていたことだった。
そしてヒル人間が姿を消しても全く安心できない最たる理由も、やはりそこだ。
言うなれば、ここはまさに虎穴なのだ。
とっくに想定できていたことだったから、今さら怖気づいたりもしないが・・・
しかしどちらにせよ、一時も警戒を怠ることはできない。
「・・・じゃあ、始めるぞ。俺が灯油をかけるから、二人とも周囲に目を配っててくれ。
先生、ライター貸してもらっていいです?」
「うん?あ、ああ・・・」
俺は先生からライターとポリタンクの一つを受け取ると、改めて丸太の方へと向き直る。
「・・・というか高加君、怪我は大丈夫なのか?ここはやはり僕が・・・」
「先生はポリタンク二つ持ったまま裏門を行ったり来たりしてたんですから、さすがに少し休んで下さい。
・・・そんな部活のしごきみたいなことするハメになったのも、元はと言えば俺のせいだし」
右手の吸血傷はにじみ出た血液が凝固して早くもかさぶたの原形を形成し始めており、流血はとっくに止まっている。
傷口の感覚は『痛い』というよりも『熱い』と表現した方が適切なように感じた。
無視できる感覚ではなかったが、作業に支障をきたすほどのものでもないだろう。
「すまん・・・。
加賀瀬君と比べればアテにはならないと思うが、ヒル人間の影が見えたらすぐに知らせよう」
「ごめんね、二人とも。わたしがポリタンクを持てれば良かったんだけれど・・・」
美佳は申し訳なさそうな顔をしながらも、背筋をすらりと伸ばしたまま微塵も構えを崩さないでいる。
「お前がいなかったら俺らはとっくに死んでるんだから、余計なこと考えずに見張りに集中しててくれ。
ヤツらが突然姿を消したってことは、その逆もありえるかも知れないんだからな」
「うん・・・」
俺は丸太ににじり寄りながら、再びグラウンドの方へふっと目を向けた。
先ほどまでの怨嗟の大合唱から打って変わって、校庭は不気味な静寂に包まれている。
その落差にも漠然とした不安を抱かずにはいられなかったが・・・・・・しかし、俺が何より気になったのは『ヤツらは何がきっかけで消えてしまったのか?』だった。
少なくとも校舎を出てからここまで、俺たちは美佳の星が指し示すルートからは一度も外れていない。
・・・いないはずだ。
こちらが正解のルートを踏み外さない限り、ヤツらはあのノロノロとした本来の速度でしか移動できないはずだったが・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
・・・いや。
本当にそうか・・・?
よくよく考えてみればその『ルール』自体、今までの傾向から俺が推測してみたせだけの、言ってしまえば単なる仮定でしかない。
確かにその仮定自体は間違っていない自信はあったが・・・しかし、そのルールにも例外や別の法則があるとしたら?
・・・そもそも、ヤツらはなぜ増殖した?
忽然と数が増えていったということは、言い換えればヒル人間たちはどこからかワープするかのように増援に駆けつけてきたということになる。
それはつまり、今までのルールからは大きく外れた動きなわけだ。
ヤツらは恐らくは水死体の成れの果てなのだから、今この場で生まれたとか、即座に作り出されたとかではないだろう。
今までもこの世のどこかに存在してて、そして俺らが裏門――つまり、平行世界のドアを開けるたび、どんどん転移してき――
「・・・高加君?」
――待てよ。
むしろ逆か?
こちらが裏門をくぐり抜けるごとに増加していったということは、転移してきたのはヒル人間たちじゃなく、むしろ俺たちの方じゃないのか。
平行次元を移動してきた・・・という考え方が正しいのであれば、最初に裏門をくぐり抜けて以降は、元いた異次元世界とも異なる世界に『ズレていった』ことになる。
つまり、増援のヒル人間はどこかから転移してきたわけではなく、最初からその次元のその場所に『いた』のだ。
単に、俺たちが元いた次元では存在しなかったか・・・あるいは別の場所にいたというだけで。
移動してきたのは、あくまでこちらなのだから。
それは裏を返せば、平行次元を一つでもまたぐと
ヒル人間たちの状態――頭数やら、存在してる位置やらがすっかり変わってしまう可能性もあるということだ。
だから、この次元に到達した際に一斉に消えたように見えたのは、別に消えたわけではなく最初から『そこ』にいなかっただけ・・・と推測することもできる。
「さっちゃん・・・?」
・・・平行次元をズレていくたび、三本楠は徐々に今の丸太の姿に近いものへと変形していった。
ヒル人間の増殖が楠の変化と同質のものだとしたら、増殖したのにはそれなりの意味があるはず。
この三本の丸太は、恐らくはこの異次元迷宮の核心――敵にとっての心臓部のはずだ。
それに対して平行次元的に近づくにつれて、ヒル人間はまるで警備を強化していくかのように増殖していったというのに
よりによって俺らがその心臓部に到達した途端、こちらを追跡していたはずのそれらは一斉に姿をくらませてしまった。
・・・くらませてしまったように見えた。
それは、つまり・・・。
今俺たちがいる、この三本丸太が存在している次元のヒル人間だけは、ハナから俺たちの後をつけ回したりなんかせず――
――最初から、丸太の防衛に専念してるってことじゃ・・・。
「たかくわくんッ!!」
・・・思案に没頭しすぎたのか、それとも本能がそうさせたのか。
丸太の半歩手前でなかなかその半歩を踏み出せずにいた俺の意識を、西宮先生の怒鳴り声が急速に引き戻した。
同時に、意識を巡らせた視界の隅で蠢く、細長く蒼ざめた『なにか』。
「なッ!!」
・・・その蒼ざめた『なにか』が突然視界に紛れ込んできたことに虚を突かれた俺は、その『なにか』が伸びてきている根元の部分を認識してさらに凍りついた。
――丸太から。
丸太の、陰から。
せいぜい全長60cm程度、まして・・・少なくとも俺からの視点では、斜め上からの見下ろしがちなアングルでろくすっぽ死角などないはずの、丸太の陰から。
腕が。
・・・いや、腕というか、腕と思しきものというか、かつて腕だったものというか。
とにかく、ボロボロで青紫色の細長い『それ』が、ほとんど死角を認められないような丸太の裏側から
俺の足に向かってぬっと手を――指すら判然としない形状でもそう呼んでいいならだが――伸ばしてきていたのだ。
「・・・はなれろッ!!」
先生の刹那的な怒鳴り声が、なおも響き渡る。
・・・が。
決して速くはない掴みかかる動きに対して、決して鋭敏とは言えない俺の反射神経。
なまじ見通しがいいせいで遠景の遮蔽物ばかりを警戒して、油断ではないまでも備えているとも言い難かった、俺の足元。
ありえない隙間から伸びたありえないものを急に認めて、凍りついた全身。
伸びる手の動きはひどくゆっくりに見えるのに、身体がそれに反応してくれない。
目が完全にその動きを捉えているはずなのに、足が動かない。
・・・交通事故を起こす瞬間のドライバーの視点とはこういうものだろうかと、諦観混じりの心境でその瞬間を迎えようとした刹那。
俺の視界の右端から、流れ星が飛んできた。
「っ!?」
・・・その流れ星は、それまで万物がゆっくりと動いていた俺の視界に
まるで一つだけ時の流れが異なるかのような、凄まじい勢いで飛び込んできたかと思うと
今まさにズボンの裾に触れようとしていた青紫色の触手に激突して、そのまま向こう側へと弾き飛ばした。
「は・・・」
その衝撃で幾十にも飛び散る、微細な肉片。
しかし非常階段の時は違って反対側へと弾くような衝撃だったためか、俺の方に飛散してくることはなかった。
「・・・み・・・」
流れ星の正体は、竹刀の切っ先だった。
その電光石火を絵に描いたような一撃に、俺が竹刀の主へと振り返るよりも早く
その主の手と思しき感触が俺の襟首を掴み、そのまま後ろへと引きずり始める。
「ちょっ!お、おいっ!美佳!?」
「先生っ!とりあえず丸太から離れてっ!」
「・・・あ、ああ!」
そして竹刀の主――美佳の怒声が響いたかと思うと、俺は首根っこをひっ掴まれたまま一気に後方へと引っ張り込まれた。
「美佳、おい離せ!分かった!自分で逃げれるからっ!」
「・・・えっ?あ、う、うんっ」
一瞬にして丸太から5mほど引き離された俺は、あわてて美佳の手を振りほどく。
「ご、ごめんっ。
どこを見ても真っ暗だから、逆にヒル人間が隠れてる場所が探知できなくて・・・」
・・・謝らなきゃいけないのは、どう考えても『余計なこと考えてないで見張りに集中しろ』とか偉そうに抜かしておきながら
余計なこと考えてたせいで反応が遅れて、しかもその説教かました相手に助けられた俺なんだが。
「い、いや、俺こそすまん。助かった・・・」
俺は乱れた襟首を右手で正しながら、正面に向き直って足早に後ずさっていく。
「っ!」
・・・乱暴に引っ張られたせいか、よくよく触ってみると夏服の襟部分と本体の生地との境目が破れていた。
「罠だったか・・・。
近づくのがもう少し早かったら危なかったな・・・」
「・・・ええ」
改めて丸太へと視線を戻すと、裏側から伸びていた腕は縮こまりながらもぞついていた。
さすがのヒル人間も今の一撃には怯まざるを得なかったらしい。
・・・ただし、見えているのは本当に腕だけだ。
くどいようだが、あのおぞましく膨れ上がった腐乱死体がせいぜい地上60cm程度の高さしかない丸太の裏側になんて、隠れきれるわけがない。
ここから見える丸太の輪郭の面積より、今まで見てきたヒル人間の体躯の面積の方が明らかに大きいのだから。
言い訳がましいが、接近した際に今いち警戒しきれていなかったのも
あんなものの裏側にヤツらが潜めるわけがないという先入観があったからなわけで・・・。
・・・にも関わらず、あの丸太の陰からは正真正銘『腕だけ』しか覗いていないのだ。
だからあの丸太の裏側が今どんな状態になっているのか、皆目見当もつかない。
いや、あるいは本当に腕しかないのかも知れないが・・・。
もしあのまま足を掴まれて、そのままあの『裏側』へと引きずりこまれていたら・・・
・・・と思うと、背筋にうすら寒いものが走る。
「どうしよう、さっちゃん・・・。
他の丸太に回り込む?」
「・・・」
だけど。
俺が今の一連の流れで最も恐れ――いや、畏れを抱いたのは、ヒル人間でも丸太でもなく、俺を助けてくれた美佳だった。
・・・いくら鍛えてると言っても、美佳はしょせん女子高生だ。
長身の割には体つきもほっそりしてるし、実際日常生活でも短時間の力仕事なら俺の方が手早くこなせるくらいなんだが・・・。
・・・今の衝動的な馬鹿力は、一体どこから出た?
俺が小柄であることを差し引いても、人間一人を一瞬にして5m以上も引っ張り込むなんて尋常な腕力じゃない。
襟首の破れ目に触れた時、俺はまるで猛獣に咥えられて引きずられでもしたかのような錯覚を覚えた。
「・・・しかし、あの感じでは他の丸太も何かしら待ち構えていそうだな・・・」
「・・・・・・」
火事場の糞力というやつだろうか?
・・・しかし、それにしたってヒル人間の腕を打ち払ったさっきの一撃は鋭すぎやしないか。
美佳の動体視力や体捌きの技術が並外れているということは、よく知ってる。知ってはいるけど。
だがいくら運動神経に大きな開きがあるとは言え、俺が微動だにできなかったあの刹那の内に
美佳は間合いを正し、重心を整え、狙い済まして、あんな腰の入った一撃を叩き込んだっていうのか?
「・・・・・・・・・・・・」
・・・物心ついた頃から、俺はお前をよく知っているはずだ。
・・・・・・だが、お前は一体誰だ・・・・・・?
『・・・み・・・か、ほ・・・し・・・ぃ・・・い・・・』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます