扉の向こう

「・・・じゃあ、二人ともいい?

 ・・・いくぞ?」


すぐ両脇で身構えている美佳と西宮先生が、無言で頷く。

俺は二人のその仕草を確認するまでもなく、引き戸の取っ手に掛けた指にぐっと力を込めた。


――あの後、芯入れと消しゴムの変わり果てた姿を見て

この学園迷宮を抜けるには結局正攻法しかないと悟った俺は、

睡眠中に俺と先生で行った考察やそこから導き出された仮説、そしてこれからやろうとしてることを一通り美佳に説明すると、

この後想定される状況にパニックを起こさないよう腹を括り、三人並んでこの引き戸――

――つまり、入ってきた入り口の前に立った。


・・・ただ、美佳が話の要領を飲み込むまで、俺と先生の二人がかりで繰り返し三回も説明するハメになったが・・・。

どたん場では俺なんかより全然明敏なはずなのに、相変わらず論理で理解するのは苦手なんだな。

俺の説明が拙いってのもあるかも知れないけれど・・・まあ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。




「せ―・・・の!」


俺は汗ばんだ指にさらに力を込め、いよいよ引き戸を開けた。


・・・ただし、それまでの気合の込め方や身構えっぷりに反して、ひどくおそるおそる、しずしずと。

理由は至って単純で、音でヒル人間に気づかれたくなかったからだ。


・・・そして、そこから見えた光景は・・・。


「・・・!」


・・・廊下越しに覗く、色あせたブルースクリーンのような薄暮れ時の空に、整地を終えて帰ると思しき部活動員の姿。

左手の地平線には帯のような夕焼けが照っており、

先ほど窓側から見えた南側グラウンドと同一の時間帯であることを示唆していた。


つまり・・・。


「・・・現実世界だ。

 高加君の推測通り、北側グラウンドも図書室の中からなら現実世界の景色が見えるぞ!」


・・・そうだ。それはいいんだけど、肝心の『あれ』は?

俺は必死に目をこらし、目的の『あれ』――つまり、異次元世界側では不自然に切り残されていた三本の楠を探しまわした。




・・・・・・ない。




空が真っ暗だった異次元側よりも、この黄昏時の北側グラウンドの方がなぜか影が濃くて見えづらいが、

それでもこの殺風景の中では見落とすはずがない。


だけど、あの三本の木はどこにも見当たらなかった。


「・・・・・・・・・・・・」




・・・いや、違う。そうじゃない。




『ない』のは別にいい・・・というか当然だ。

異次元側でどう見えようが、現実側で楠が一本残らず伐採されたのは紛れもない事実なんだから、残ってるわけがないのだ。

そもそも見定めなきゃならないのはそこじゃない。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぇ・・・』


俺はますます目をこらし、フェンス手前の切り株群を舐めるように見回し続ける。


・・・重要なのは、『なぜそうまでして特定の楠を切り残したように見せかけなければならなかったのか?』だ。


あの切り株群の中に敵にとって重要な『なにか』があるというなら、さっきのあの三本の楠ははっきり言って薮蛇だ。

あれがなければ、俺は違和感を覚えなかった。

裏を返せば、この遠景から違和感を持たれるリスクを冒してでも隠さなければならない『なにか』――

――つまり、ごくごく単純に、あの『三本の楠によるカムフラージュ』を取っ払ってしまうと、

この遠距離からでも視覚的に察知できてしまう『異変』があるはずなのだ。


『・・・・・・ぉ・・・・・・・・・・・・・・ぁ・・・』


指に、汗が滲む。


切り株群――つまり楠の木立が立ち並んでいた範囲は、裏門の向かって左側から体育倉庫脇までの約200m程度。

それが敷地と公道の境界であるフェンスの手前に沿って続いている。

さっき廊下から見た風景の記憶を辿るに、三本の楠はその幅200mの切り株エリア内をバラバラながらやや左寄りに立っていた


・・・はずなんだが・・・。


「・・・・・・」


ダメだ。よく分からない。

そもそも遠すぎる。ただでさえ薄暗い上に、廊下を挟んだ窓の向こうの遠景、

しかも北側の敷地内で最も遠い位置にあるわけだから、当然なんだけど・・・。


『・・・ぃ・・・・・・ぁ・・・・・・・・・ぁ・・・・・・』


「さっちゃん・・・」

「・・・ん?」


と、それまで黙って前方を凝視していた美佳が、ふと俺の名前を呼んだ。

・・・よくよくそちらを見ると、まだ竹刀を構えていない。


「美佳・・・お前、なんで竹刀を構えてな・・・」

「さっき見えたっていう『三本の楠』の位置って、

 体育倉庫から向かって右に30メートルくらいと、

 そこからさらに60メートルくらいと、

 さらにそっから40メートルくらいでいい?」

「・・・へ?」


俺ははっとして、再びグラウンドのフェンス手前に目を向ける。


・・・左寄り・・・。

・・・・・・200mの範囲を、左から30m、60m、40m・・・・・・。


そうだ。具体的な距離感覚は分からないが、左寄りでかつ、真ん中の木は左側の木よりも右側の木に近かった。


「もう『星』を見たのか!?」

「ううん、まだ見てない。

 ・・・でも、今言った位置辺りの切り株に、それぞれちょっとヘンなのが混じってるでしょ?」

「・・・『ヘンなの』・・・?」


俺は三度グラウンドに振り向いて、今美佳が指定した辺りをもう一度凝視する。


・・・・・・・・・・・・。


『・・・ぃっ・・・・・・ぉ・・・・・・・だ・・・・・・ぇ・・・』


「今、加賀瀬君が指定した辺り・・・。

 三箇所とも、妙に背の高い切り株があるな?」

「!」


それまで同じように目をこらしていた西宮先生が、ぽそりと漏らす。


・・・って言うか、先に言われた・・・。

まさか、眼鏡を掛けてる人に視力で負けるとは。


俺は俯いて何度か目を瞑ると、気を取り直してもう一度切り株群を凝視した。


・・・・・・確かに、ある。

他の切り株も高さに多少のムラはあるようだが、今美佳が指定した三箇所にはそれらより二倍弱ほど背が高い切り株があった。

他が30~40cmほどの高さだとしたら、その三箇所のは60cmほどだろうか。

違和感があるといえばあるし、ないといえばないような、絶妙な高さだった。


『い・・・・・・・・・の・・・ぉしゃ・・・ぅ・・・・・・・・・』


「・・・いえ、先生。

 たぶんそれ、切り株じゃないです」

「は?」

「え?」


なんだ、なんだ、どういうことだ。


「今言った切り株、三つとも『根っこ』がないんです」

「根っこ・・・?どういうことだ?」


って言うかお前、なんで星を見る力も使わずにそんな細部まで見えるんだ。アフリカ人かお前は。


「ほら、他の切り株って、みんな地面との境目辺りから根っこが露出してるでしょ?」

「・・・んん?」


・・・・・・。


言われてみれば、他の切り株は地面と接している辺りがなんとなく盛り上がっている。

・・・ように見える。


「でも、今言ってた三つは全然根っこの盛り上がりがないの。不自然なくらいに側面の起伏がなくて、まっすぐ。

 あれは、切り株っていうより、むしろ・・・

 ・・・丸太みたいな」

「!」


『・・・の・・・の・・・・・・の・・・・・・い・・・ぃ・・・』


「・・・うん、そう。まるで三本の丸太が、垂直に埋め込まれてるみたい」

「先生・・・!」

「・・・・・・」


美佳のその一言ではっとした俺は、思わず西宮先生の方を振り向いた。


「・・・『くさび』・・・なのか・・・?」


先生は口元に手を当てながら、切り株の方をきっと見据えている。


『うみ・・・を・・・って・・・・・・い・・・すぅ・・・・・・』


今先生が言った『楔』とは、先ほど八門遁甲の陣の概念を説明してもらった際に挙がった『楔石』のこと。

つまり、大地の特定の『ツボ』に打ち込むことによって地脈の流れを混乱させ、地理的な怪奇現象を引き越すための置物のことだ。

ただ・・・。


「・・・石じゃなくてもいいんですか?・・・その、地脈のツボに打ち込む『楔』っていうのは・・・」


そう。そもそもその楔というのが具体的にどういう形態のものなのか、少なくとも俺はよく知らない。

さっき先生と議論してた時はしきりに『置き石』という表現を用いてたから、てっきり漬物石みたいなのを想像してたんだけど。


「・・・例えば、さっき言っていた鹿島神宮の要石なんかは、地上に露出しているのはほんの一部で

 大半の部分は地中に埋没している。

 ・・・地脈に対して『穿つ』わけだからね。

 そういう意味じゃ、漬物石みたいなのをゴトリと置くよりも、

 ああいった丸太・・・いや、この場合は『杭』と表現した方が適切か・・・

 ・・・とにかく、そういう地面を強烈に『穿つ』形状の方が、より要石の原理に近いと言えるが・・・」


『いぃ・・・い・・・い・・・・・・えりは・・・ぬ・・・・・・』


「最初にも言ったが、なにせ八門遁甲の陣と地脈の結界を結びつける考え方自体、創作寄りの発想なんだ。

 悪い言い方をすれば、リアリティがない。

 ・・・現にその現象に見舞われているのに『リアリティがない』もクソもないんだが・・・」

「・・・」


言われてみればごもっともだ。

そもそも当初は西宮先生自身ですら、八門遁甲の陣やそれに類する術がこういった形態で実在することに、どちらかというと否定的だったのだ。


『・・・え・・・ぬ・・・がら・・・ぉ・・・』


・・・今さらながら、地面に石だか杭だかを打ち込むと田んぼや学校が異次元迷宮になってしまうなんて

なんと荒唐無稽な現象に絡め取られてしまったものだろうか。


「だから・・・正直、僕にも・・・。

 『置き石』の材質は石でも木でもいいのかとか、形状はどういうのが理に適っているのかとか、

 そういうことまでは見当がつかない。

 ・・・ただ、あれは確実に『異変』だろう。

 少なくとも、あそこを目指す動機付けにはなるくらいの・・・」

「うわっ!なにこれっ!?」


と。

先生の推論を聞いていた俺の背後で、美佳が突然素っ頓狂な声を上げた。


「ど、どうした?」


声に思わず振り返ると、美佳は既に竹刀を構えている。


『・・・おぉ・・・りゃん・・・ぇ・・・・・・お・・・んせぇ・・・』


「あの切り株の辺り、おかしいよ・・・。

 星が見えるのに、真っ暗なの」

「真っ暗・・・?」

「うん。

 ・・・さっきわたし、基本的に星が出てる方角は明るくて、出てない方角は暗い、って言ったよね?

 でもね、切り株・・・っていうか、今言ってた『丸太』の辺り、星が出てるのに、異様に暗いの。

 きっかり丸太に合わせて星が三つ出てるのに、周囲は真っ暗っていうか、真っ黒っていうか・・・」


よく見ると、らしくもなく美佳の腰が引けていた。

田園でヒル人間に挟撃された時ですら、あの流麗なフォームを崩さなかったのに。


「それって・・・」

「うん・・・。

 この図書室とまったく真逆の見え方だよ」


・・・美佳が廊下からこの図書室を見た時は『星は出てないけれどやたら明るく見えた』わけだから、

『星は出てるけれどやたら暗い』切り株群辺りの見え方は、確かに真逆と言っていい。


つまり・・・。


「・・・なるほどな。要するにあそこは・・・なんていうか、『ゴール』なわけだ?」

「ゴール、か・・・。

 しかし、暗く見えるというのは気がかりだな。なにかしら危険があるということだろう」

「だからこそ、だと思います」

「え?」


すっかり汗の滲みきった指を夏服の上着でぬぐいながら、俺は言葉を続ける。


「・・・星が出てないのに明るく見えたこの第二図書室は、安全な場所ではあるけれど恐らく立ち寄る必要のない・・・

 言うなれば、ルートからは外れた場所だった。

 ・・・じゃあ、逆っていうことは?」

「・・・」


『とおぉ・・・ん・せえぇ・・・ぉりゃん・・・ぇ・・・・・・』


「危険だけれど、行く必要のある場所・・・。

 つまり、待ち構えているんです。重要な場所だから。

 おっかないけれど、単にこの迷宮を抜けられるだけじゃなく、もっと根本的な解決に繋がる『なにか』・・・

 ・・・いや、『だれか』がいるのかもしれない」

「・・・『支配者』か」


そう。さっき先生にも話して聞かせたように、俺の推測では、この現象には『支配者』がいる。

れっきとした知性をもってこの空間を支配している、得体の知れない存在が。


「元凶そのものかまでは分かりませんけれど、少なくともこの現象の制御に関わってる存在じゃないかと。

 ・・・・・・ただ・・・・・・」


俺はドアからすっと身を引いて、顔をわずかばかり左に背けた。


「・・・今は三手先の元凶より、もっと目先の脅威に対処しなきゃいけないみたいです」


『こぉこ・・・どぉこ・・・ほそ・・・ち・じゃあぁ・・・・・・』


・・・『あまり視界に入れたくないもの』が、廊下の右側から接近してることを察知していたからだ。


「・・・ああ」

「・・・だね」


言うまでもなく、他の二人もとっくに気づいていた。

・・・というか、気づいていたからこそ三人とも敢えて触れないでいたのだ。

そういう取り決めだったから。


一旦ドアを開けたら、『それ』がギリギリに接近してくるまではなるべく三本楠の謎解きに専念して、無駄口を叩かないと決めていた。

想定されていた展開だったからだ。ドアを開けた瞬間から、再びあの歌声が近づいてくるのは。







『・・・・・・ひぃるこ・さぁまの・ほそ・みち・じゃあぁ・・・・・・』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る