第二章 惑う従者 2

 列の中ほどに位置するひときわ大きな馬車から、女たちの笑い声が響いている。

「なんか賑やかで楽しそうだなぁ」

 ダダンは馬を寄せて、アッセに同意を求めた。しかし他の騎士たちと異なって、彼は反応を示さない。むっつりと薄い唇を引き結び、兄よりも凛々しい顔を険しくしかめている。ダダンはやれやれと肩を落とし、手綱を握りなおした。

「部下たちの手前、その反応はよろしくないんじゃないか?」

 使節団には騎士たちが護衛として付き添っている。その長が、このアッセだ。

「少なくとも表向きは仲良く装ってくれなけりゃ困るな」

「お前にそんなことをしてやる義理はない」

 アッセがようやく重い口を開いた。目を合わせることも厭わしいと、彼は正面を向いたまま、不快そうに眉をひそめている。

「大体、部下に気安く話しかけるのを、やめてもらおうか。任務中だぞ」

「そう思うんだったら、そっちも俺を敵視するのはやめてくれ。信用ならない男に案内されてるんじゃないかって、皆が不安に思ったらどうしてくれる?」

 挙句、勝手な判断で道を選び、山賊の巣穴へ踏み込んだとしても、ダダンへの不信感を煽った、この騎士の責任となるだろう。

 痛い点を突かれたと、アッセが押し黙る。

「あのなぁ、まさか俺が飯の種にでもなりそうな、おたくの醜聞を嗅ぎ回ってるとでも思ってるのか?」

 男の沈黙を肯定ととって、ダダンは鼻で一笑した。

「馬鹿言え。単なる雑談だ。長旅をだんまり決め込んで過ごすことほど、退屈で疲れることはねぇぞ」

 ダダンは騎士団長を一瞥し、溜息を落とした。

「まぁ、そちらさんが俺のことを気に入らんのは、わかるんだがな」

 立場的にいえばダダンが折れるべきだ。他国ならば不敬罪で斬り伏せられていてもおかしくはない。しかし仕事に支障がでるようなら話は別だ。引き受けた以上、仕事は完遂させたい。マリアージュたちとはかねてからの付き合いもある。なおさら無事に目的地へ送り届けてやりたかった。

「もう五日ほどの辛抱だ」

 順調ならばその日数で、王都までの道程を踏破できる。

「そうなりゃお別れだろ。もうちょっと気楽にいこうや」

 アッセはそこで話を収めなかった。

「お前がこれ以後も陛下の周りをうろつかないという保証がどこにある?」

「じゃぁ逆に訊きますが、どうして俺がいつまでもくっついていると、貴方は思われるんですかね?」

 さすがに苛立ちを覚えて、ダダンは慇懃に反駁する。

「俺が、情報屋だから? 情に付け込んで女王の周りをうろついて、少しでもイイ話が転がってないか漁るとも?」

 思わず、嘲笑が漏れた。

「世間知らずの騎士様よ。用心深いのは悪いことはねぇが、少しは頭を使え。俺があいつらに害成すと思うなら、その腰に提げてる剣で斬り殺せばいいだけの話だろ」

 こちらの挑発的な態度に、騎士は激昂してもよい頃だ。

 しかし育ちのよい彼は、憤怒を抱きながらも、辛抱強く耳を傾けていた。その生真面目さがひどくおかしい。

 気を取り直し、ダダンは話を続けた。

「テディウス騎士団長殿、あんたは俺を王侯貴族、街の有力者の醜聞を嗅ぎ回る奴らと勘違いしている」

 そしてマリアージュやダイも誤解している節がある。自己紹介の仕方が悪かったと、猛省しているところだ。

 情報屋と一口にいっても幅は広い。大抵は娼婦や商人が本職の、客から手に入れた話を売りに出す兼業の情報屋だ。またはただの醜聞屋か。アッセたちはダダンの職に後者を当てはめている。

「お前は違うとでも?」

「違うね。俺は協会の会員だ」

「きょうかい?」

 男の無知を責める気にはなれない。上流階級の出であり、鎖国に等しく閉ざされた国の民人だというのなら、なおさら。

「大陸間を繋ぐ船舶を運行する、海船協会を知ってるか? 正確には、商工協会海船部という。協会の部門の一つだ」

 そして協会の中でも最も世に知られている部署の一つだった。

「協会は他にもいろんな部門を持ってて、世界中に支部がある」

 郵便、金融、仲介業。協会とは、あまねく事業を手掛ける、境なき国とも呼ばれる巨大な組織だ。

 西大陸に存在した支部はここ十数年の間に壊滅状態に追いやられたが、会員は残って細々と活動を続けている。北のペルフィリアと南のゼムナム、この二国が無補給船の受け入れ設備を整えるまでの間に、自力で船を出して西大陸の現状を世界中に伝えた者たちも、協会の会員だった。

「俺もそこに所属している。こんな風に知り合いを介する仕事ももちろんあるが、協会の斡旋所を通して引き受けることがほとんどだ。街道の整備具合を見たり、都市部の市場、農村の生活実態の確認……。新しくできた集落や、交流の途切れた土地の様子見、なんてのも多い。すぐ動けないお役人の代わりとして、市井からの細かい依頼に柔軟に対処していく、調査員みたいなもんだ」

 ただし、任務中に手に入れた知識をどうするかは、個々の自由となっている。特に遠隔地の情報は高く値を付け、貴族や商人に売ることが多かった。

 それでもだ。

「俺たちにとっちゃ偉い奴らの醜聞なんざ、嗅ぎ回るどころか触りたくもねぇ代物だ。命がいくつあっても足りなくなる」

 不要な話は命を狙われる種になりかねない。警戒もされる。王侯貴族から締め出されると、協会から仕事を請けられなくなる。

「それに万が一そういうことを知ってしまったとしても、少なくとも俺は売りに出したいとは思わんね。国を傾けたりするような類のもんならなおさらだ。俺たち流れ者は国が消えるのに飽き飽きしている。行った先の美味いもんを飲み食いすんのが楽しみなのに、きな臭くなるとそれどころじゃなくなるからな」

 国が傾くと男たちは徴兵され、女たちからは笑顔が消える。田畑は荒れ、飢餓が始まり、伝染病と暴力が蔓延する。

 病んだ国を訪ねる際には、ダダン自身も命を掛けなければならない。

「騎士団長殿が懸念しているような、私生活を暴きにかかる、なんていうこともやることはある。役人を告発する証拠集めとしてな。けど国を守ろうとしてるあんたらの周りをうろついたところで、俺にはなんの利点もない。わかったか? 情報屋にも……色々いるっつうことだ」

 話を締めくくり、ダダンは手綱を引いて馬の進路を修正した。この時期は主人以外が騎乗すると、すぐに新芽を求めて迷走したがる。

「……わかった」

 アッセが吐息交じりに呟き、ダダンに顔を向けた。

「だがやはり、お前には早く女王の前から消えてもらいたい。お前は女王を傷つけないかもしれないが、お前と陛下が親しくされているのを見て、取り入ろうとする輩が増えるとも限らない。それにお前のいう会員とやらも、お前みたいな男ばかりではないだろう。中には私たちが懸念するような俗物もいるはずだ。そういう者たちに対して、女王の警戒心が緩むのも困る」

「安心しろ。そうするよ」

「感謝する」

 一拍置いて、アッセは躊躇いがちに付け加えた。

「……私も、お前への態度を改める」

「そりゃぁ助かる」

 だが、とアッセは強調した。

「私はお前とは馴れ合わない。必要以上に話しかけるな」

 アッセは早口に告げると、膝で馬の腹を軽く叩いて速度を上げた。先頭の組に混じり、新たに指示をし始める。緊張を孕んで受け応える騎士たちの表情には、深い敬愛の色があった。年若く、多少の偏見はあるものの、アッセは彼らにとってよい上司なのだろう。

(いい奴らの揃う国だ)

 先代女王、エイレーネもよい婦人だった。彼女が国を守り通したからこそ、まっすぐな人間が多いに違いない。

 後々その純朴さが、彼等自身を窮地に陥れることがなければよいが。

 暗い予感とは裏腹に、王都へと道延びる平原は、ただひたすら長閑だった。




「それにしてもまだ五日もあるのね……」

 長いわ、とまだまだかかる道行を嘆くマリアージュに、ダイは苦笑した。

「それじゃぁ休憩せずに突っ切っちゃいます? 昼夜休まず走れば、最短三日だそうですよ」

 通過する町ごとに馬を買い替えなければならないという条件が付くが。

 ちぎれんばかりの勢いで、マリアージュは首を横に振る。

「それも嫌。揺れないところで眠らないとか無理だから」

「じゃぁ我慢です。それに暇じゃないんですよ。ルディア夫人から出ている宿題、たくさんあるんですから」

 厚みある冊子を膝の上から取り上げ、ダイはその表紙をぱんと叩いた。

 ルディアは当初、今回の訪問に反対だった。彼女は全てを知っている。ヒースが姿を消して以後、情報操作に尽力したのは、ほかでもない彼女だ。

 ペルフィリアへの訪問は、敵の巣穴へ乗り込むようなもの。マリアージュが自ら赴く必要はなく、高位の文官を使者に立て、相手の出方を見るべきだと、ルディアは幾度も換言した。

 結果はマリアージュの粘り勝ちだった。

 ここで賛成しなければ、女王が城から抜け出しかねないと、ルディアは危惧したのあろう。

 溜息を堪えて今回のお膳立てを整えた彼女は、マリアージュにも課題を出した。

 それが、交渉術の練習である。

「せっかく馬車の中で練習しやすいようにって、想定される質問だとか話題だとかを纏めてくださったんですから!」

「ダイ、あんた馬車の中で本読んでて酔わないの?」

「全然」

「……お酒にはあれだけぐにゃぐにゃになるのになんなの不公平」

「お酒の話は全然関係ないじゃないですか!」

「国を出る前にルディア夫人相手にあれだけしたのよ……」

「一日休めば挽回するのに三日かかるんです。いいですから、やりますよ!」

 山間部を走っている間は、暗くて文字が読めなかった。陽の射す平野部に入り、これでようやく練習に励めるというものである。

 マリアージュが嘆息して居住まいを正す。嫌がってはいても、訓練というものが馬鹿にならないことを、彼女は女王選を通じて知っている。

「頑張って、陛下」

「他人事の顔しないでください宰相閣下。貴方もするんです」

 宰相は幼いころからその手の鍛錬を重ねてきただろう。とはいえ、この空いた時間に復習しておいても悪いことではない。

 ロディマスの襟首をぐっと掴み、ダイは膝の上に広げた冊子に目を凝らす。

 その瞬間、馬車の箱が大きく傾いだ。

「え?」

 壁に据え付けられた吊り輪を握り、反射的に窓を振り向く。しかし外の景色は長閑なままだ。変化は全くみられない。

 そう、変化がない。

 馬車の歩みが、止まっている。

「どうしたのかしら……?」

「ちょっと私、見てきます」

 ダイは身体を起こし、冊子を宰相に押し付けて、馬車の扉を開けた。

「お二人は奥で毛布でも被って隠れておいてください」

 この女王専用車には、寝台が備え付けられている。万が一のことを考えて、そこで身を隠しておくように言い置き、ダイはそっと馬車を降りた。

 雨が降ったのか。轍に緑はがれた土は湿っている。ダイが踏みしめる都度、微かな水音が鳴り響いた。草いきれには甘い香りが混じっている――花の匂いだ。街道沿いに咲く名も知らぬ花が、穏やかな風にそよいでいた。

「ダイ」

「わっ」

 背後から唐突に声を掛けられ、ダイは心臓と共に飛び跳ねた。

「ごめん。驚かせた?」

 振り返った先ではアルヴィナが、ひとまとめに結った亜麻色の髪を肩から払い落としていた。

 総勢三十人からなるこの使節団には、術式を用いた道具類が破損しても対処できるように、魔術師数名も同伴していた。アルヴィナもまたそのうちの一人である。

「どうして馬車が止まったのかわかります?」

「さぁ……。でも、危険はないと思うよ。殺意は感じないもの」

 そう言ってダイとの距離を詰める彼女の背後では、後続の馬車が次々とその歩みを止め始めている。

「護衛の人たちは前にいるみたいだね。行こう、ダイ」

 ダイの肩を軽く叩いた友人は、足取り緩やかに歩き始める。危険はないと彼女はいうものの、警戒するに越したことはない。きょときょとと周囲を見回しながら、ダイはアルヴィナの後に続いた。

 一団が往生した場所は、文字通り、平野の只中である。風にしなる低木と花々の狭間に、人と馬車が踏み固めた道が、丘陵に沿って蛇行しながら伸びている。ろくろく整備もなされていないそれが、王都へとつながる街道だ。

 その先がぷつりと途切れている。

 橋が、濁り渦を巻く水の中に落ちていた。

「増水ですか?」

 川の畔に集まる一団に、ダイは問いかけた。

 ダダンが振り返り、あぁ、と頷く。

「昨日降った雨で、上流の堀が決壊したらしい」

「道はほかにないんですか?」

 さもなくば、川から水が引くのを待つしかない。だがそれには時間を要するだろう。うねる濁流に勢い衰える兆候は見られなかった。

「下の橋も駄目でさぁ」

 口を出した男は、デルリゲイリア人ではない。近隣の住民らしい。よくよく観察すると、芸技の国の騎士たちに混じって、農民の身なりをした婦人や子供たちがいた。橋の様子を見に来たようだ。

「人はともかくとして、馬車を渡せる橋は作り直すのに時間がかかるよ」

「ここは平時でも水嵩があるからね。橋なしじゃ馬車は難しいさね」

 男たちが口々に忠告する。彼らの妻子は水流によってへし折られた木材を眺め、深々と溜息を吐いていた。

「他に道は? 橋は全て落ちたのか?」

 ダダンが農民たちの一人に問いかける。一番身なりのよい、纏め役と思しき男だった。

「川上の奴は無事だろう。決壊したのはその下だからな」

「案内を誰かに頼めませんかね?」

「あぁ、そりゃ構わんよ。交換条件と言ってはなんだが、こちらからも人を連れて行ってもらえんか。橋の修繕を川向こうのお役人に伝えにゃならん」

「多分大丈夫だとは思いますがね……ダイ」

「はい」

 手招きに応じ、ダイはダダンに歩み寄った。立ち止りざま、地元民に目礼する。ダイに胡乱な眼差しを向けていた彼らは、慌てた様子で帽子を脱ぎ、会釈を返した。

「陛下にお伺いを立てることはできるかね?」

 ダダンにしては珍しく丁重な言い回しだ。苦笑を噛み殺しながらダイは頷いた。

「こちらの代表の方を、同行させることですね?」

「あぁ。あともしかすると二、三点追加することがあるかもしれん。遠回りすることも含め、こちらの方々と話を纏めてから改めてお伺いすると伝えてもらっていいか?」

「わかりました」

 ダイの承諾に満足げな笑みを浮かべ、ダダンは村人たちに向き直る。まるで同じ土地に根差すもののように溶け込んで、必要な情報を引き出し、交渉を進めていく手際の良さはさすがだった。彼がいなければ、この場で立ち往生するだけだっただろう。

「私も行って、陛下にご説明しよう」

 同伴を申し出るアッセに微笑み返し、ダイは馬車へと引き返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー