第四章 隠遁する魔術師 7

 苦しい。

 本気で苦しい。横目でヒースの様子を窺えば、彼もまた苦しそうに顔をしかめている。

「男の子なのに少食ねぇ」

 茶器に白い繊手を添えて、色美しい紅茶を淹れながら、女は言った。

「少食って……かなりの、量でしたよ、これ」

 かなり頑張って綺麗にした皿を睨みながら、ダイはアルヴィナに主張した。ヒースも無言のまま頷いて、こちらに同意を示してくる。

 アルヴィナが用意した食事は、この上なく美味なものに違いなかった。一流の料理人の仕事としても通用するだろう。しかも丸一日近くまともな食事を取っていなかったこちらを慮ってか、消化によさそうなものが多めに用意されていた。普通ならばすんなり胃に収めることが出来るはずだった。

 しかし。

 しかし、だ。

 しかし、なのである。

 量が、尋常でなく多かった。

 そこはかとなく出っ張ってさえいる気のする腹部を擦りながら、ダイは呻いた。

「満腹っていうのは、こういうことを言うんですね……」

「今、アルヴィナに襲われたら、一発で餌食ですね。動けない」

「襲わないわよぉ! 襲うってなに!?」

 ひどい、と叫ぶ魔術師もまた自分たちと同程度、もしくはそれ以上食べている。だというのに、まだ食べ足りないとばかりに茶請けまで引っ張り出してきているのだ。細身の身体からは想像も付かぬ大食漢振りである。

「んまぁ、そのままゆっくりしていてね」

 ダイとヒースの前に食後の紅茶を並べながら、アルヴィナは言った。

「今から、寝室の準備整えてくるから、そしたら寝ちゃっていいし」

「いえ、片付けのお手伝いぐらいしますよ」

 ダイは重たい身体を奮い立たせて立ち上がり、空になった皿を重ね合わせた。これだけご馳走になっておいて、片付け一つ手伝わぬというのも気が引ける。ヒースも同じ心境なのか、無言で目の前の食器を纏め始めている。

「いいんだけどなぁ……」

 困った声を上げながらも、アルヴィナはこちらの行為を止めたりはしなかった。機嫌良さそうに笑っている。食事の最中も、彼女は終始してそのような様子だった。彼女曰く、一人住まいが長く、滅多に他人と関ることもないのだという。

 だから、楽しくて仕方がないのだと。

 彼女の気遣いは非常に細やかだった。ダイは自宅であるかのようにくつろぐことができたし、ヒースは少々気を張っているものの、緊張している、というほどではないようである。

「洗うのはいいからね」

「でも」

「いいのよ。たまにしかお客様をもてなさないんだもの」

 アルヴィナは、そう言って譲らない。

 先に炊事場に入った彼女の後を、ダイは皿を持って付いて歩いた。鍋の傍に放置された調味料の小瓶を棚に戻したアルヴィナは、こちらに手を伸ばしてくる。食器を渡せということだろう。

 無言の指示に従って皿を差し出しながら、ダイは彼女を見上げた。

 白砂の荒野の片隅に、ひっそりと住まう魔術師の女。化粧映えしそうだなぁという感想を、目鼻立ちはっきりした顔に抱く。

 ダイは思った。

 彼女は一体、何を思って、『あのようなこと』をしたのだろう。

 ヒースが湯浴みをしている間に尋ねる機会を狙っていたが、結局は彼女に上手く逃げられてしまっていた。

 後で尋ねて、答えてもらえるだろうか。

 彼女の行動が、一体何を暗喩していたのか。

 ――……黙考に集中するあまり、身体への意識が疎かになっていたらしい。

「ダイ!」

 背後から上がったヒースの鋭い声で我に返り、そこで初めて、ダイは重みが自分の手から消え失せていることに気が付いた。力の抜けたダイの手から、皿が滑り落ちてしまったのだ。

 地に引っ張られるようにして落下する、食器類。破砕音を覚悟して目を閉じる。しかし響くべき音は、いつまで経っても身構えた自分の耳には届かなかった。

 恐々と押し上げた瞼の隙間から目撃した光景に、ダイは思わず息を詰める。

 無残に砕け散る運命にあったはずの数枚の皿。そのどれもが、床に叩きつけられる寸前で、静止していた。

 宙に、浮いているのだ。

「……な、に」

 驚愕に、ダイは呻いた。皿を中心点として、光の輪がくるくると回っている。薄緑に発光する、幾何学模様の輪。皿を包み込んで在るそれは、紛れも無く、魔術の円陣だった。

 驚きから痺れたように身動き取れぬダイの目の前で、皿は燐光を零しながらふわりと浮き上がり、磨かれた流しの中に次々と納まっていった。そしてそれらは目に見えぬ誰かが手を貸しているかのように、丁寧に積み上げられていく。

 まるで、手品を見ている気分だ。

 最後の一枚が、これでおしまいと宣言するかのように、ひときわ高い硬質の音を部屋に響かせる。

「すごい……!」

 ダイは思わず、感嘆の声を漏らしていた。

 こんな、曲芸のような魔術は初めて見る。すぐ傍らまで来ていたヒースも同じらしい。彼もまた、流しに積まれた皿に驚愕の目を向けている。

 賞賛に息を詰めたダイは、アルヴィナを見上げ――怪訝さに、首を捻った。

「……アルヴィー」

 目に楽しい魔術を行使したというのに、魔術師は得意げな表情を浮かべているわけでもなく、皿を受け取らんと手を差し出した姿勢のままだった。ただし、顔だけは廊下に続く扉のほうへ向けられている。

 そこに浮かぶ表情は、ひときわ厳しいものだった。

 睨み据えている、といってもいい。

「アルヴィー?」

 一体どうしたのかと、再度呼びかける。アルヴィナは今初めて呼びかけに気づいたという様子でダイに向き直り微笑んだ。

「ちょっとお客様が来たみたい」

 前掛けを外して、彼女は言った。

「ゆっくりお茶してて。お相手してくるから」




 ダイとヒースを置いて玄関に出る。

 家をぐるりと囲む柵の向こう、薄汚れた五人の男達がそれぞれ短剣を佩いて佇んでいた。

 これから、四方に分かれて家を襲撃しようとしていたのか。ご苦労なことだ。

「あぁ、貴方達が盗賊さんねぇ?」

 アルヴィナの問いかけに、男達はもちろん答えない。彼らは短剣を前にしても動じぬこちらに構えを取り、じりじりと距離を詰めようとしていた。

 アルヴィナは彼らの背後を見た。『表玄関』から此処までは一本道だが、五人が密集してくることは避けたかったのだろう。何人かは森を突き抜けてきたらしい。踏み荒らされてしまった草木に、眉をひそめる。

「仕方ない子たち。たくさん駄目にしてしまって」

 あの中には、まもなくアルヴィナの目を楽しませただろう花の蕾や、貨幣に替わる薬草の類も多くあったというのに。

 背後の家に意識を飛ばす。ダイたちは、こちらへ来るかどうか迷っているようだった。来る前に、と思った。来る前に、決着を付けたい。

 どうせそんなに、時間は掛からない。掛けない。

 アルヴィナは、にじり寄る男達に微笑んだ。

「死にたい子だけおいでなさい。生まれたことを後悔させて上げましょう」


 彼らは、魔術師ではなかった。その素養も一切なかった。それゆえに、迫害されてきたものたちだったから。

 もし彼らに、魔術を視る才があったのなら、彼らは圧倒的恐怖に慄いて、即座逃げ出していただろう。

 才が無かったゆえに、彼らはある意味、安らかに死ねた。与えられた命を、達成しえなかったことも理解できぬままに。

 微細にして膨大。繊細にして豪快。この世界の誰もが成しえぬ、彼女にだけ可能な、魔術という名の、芸術。

 それが、肉食獣のように彼らに飛び掛り、食らいつき、その肉体を焼き、熔かし、引き裂いた。

 血の飛沫すら残さぬ、刹那の抹殺。

 それを終えた魔術師は、ひっそりと笑い、誰も居なくなった庭へと、足を踏み出した。




 客とは一体誰だったのか。

 なかなか戻らぬ様子のアルヴィナに業を煮やし、ダイはヒースと連れ立って玄関へ向かった。

 外はいつの間にか夜になっている。どうやらこの摩訶不思議な場所にも、きちんと昼夜があるらしい。

「アルヴィー?」

 アルヴィナは家を取り囲む柵の外に出て、木の傍に屈みこんでいた。呼びかけに気が付いたらしい彼女は、立ち上がってこちらを迎え、苦笑を漏らす。

「あら、ごめんなさいねぇ。すぐ戻るつもりだったのだけれど……」

「お客様はどうしたんですか?」

「うん。お帰りいただいたわよぉ」

 ダイの問いに、アルヴィナは微笑み即答してきた。本当だろうかと勘繰り彼女を見つめる。先ほどの剣呑な雰囲気を思えば、言葉面通りとは考えがたい。しかし予感に慄いたダイは、追求を控えておくことにした。

「その、花は……?」

 ダイの身体越しにヒースが質問をアルヴィナへ投げかける。彼の示す花とは、アルヴィナが見下ろす茎の折れた草花のことだ。誰かが踏み潰したらしい。

 花だけではなく、森の奥からこちらに向けて至る所に人の踏み荒らした形跡が残っている。どうやら誰かが森の中を通ってこちらへやって来たらしかった。それが、彼女の言っていた『客人』なのだろう。肝心の客人は、すでに影も形も見えないが。

「うーん、もう駄目ねぇ」

 痛ましげな視線を植木の根元に向けて、アルヴィナが呻く。

「完全に根元から折れちゃって。もう少しつぼみが開いたら、化粧水作るのに使おうと思ってたんだけど……」

『……化粧水?』

 思わずダイが上げた声に、ヒースのそれが綺麗に重なる。

「そうよぉ。私、色んなものを作るのが趣味なんだけど、最近は化粧水とか乳液とか、お化粧品作るのに凝ってて」

 前は料理にすごく凝ってたのよねぇと、魔術師の女が間延びした口調で述べる。ダイは自分の馬鹿さ加減に呆れながら背後のヒースを仰ぎ見た。目を合わせてきた彼も苦笑を浮かべている。どうやら、思い当たっていることは同じらしい。

 むしろ、今まで連想できなかった自分を詰りたい。

「アルヴィー、城下街で雑貨屋してる、ミゲルって、知ってます?」

 試しに尋ねると、あらやだ、と、アルヴィナは口元に手を当てた。

「ダイってば、知り合いなの? 余った化粧品、よく引き取ってくれるのよねぇ」


 荒野に一人住まいする女など、滅多に居ない。皆無といっていい。

 何故、気づかなかったのだろう。

 アルヴィナは、ミゲルが述べていた条件にそのまま当てはまっていたというのに。


 家の中に戻ったダイは、アルヴィナから玄関に入ってすぐ左手の部屋に呼ばれた。先ほどまで閉め切られていたその部屋に足を踏み入れたダイを迎えたのは、四方をぐるりと囲む書架である。

「書斎なの」

 部屋の奥で、積まれた箱を漁りながらアルヴィナは言った。

「最近は荷物置き場になっちゃってるけど。んー最近作り終わったやつだから、そんなに奥には……あぁ、あったあった」

 アルヴィナは箱の中から手のひらに収まる程度の小瓶を順々に取り出し、絨毯の上に並べていった。そのどれもに見覚えがある。ダイが仕事で使っているものと全く同じものだ。

「まさかダイが私の作ったもの、使ってくれてたなんてね」

 箱の蓋を閉め、畳んで置いてあった布製の袋を取り上げながら、アルヴィナが言う。ダイは彼女に歩み寄りながら笑った。

「私も、アルヴィーがそれ作ってる人だったなんて思いませんでした」

 賊に襲われたせいで、探していた女のことが頭から消し飛んでしまっていたのだ。それはヒースも同じようで、現在アルヴィナの代わりに食器を洗いながら唸っている。彼はらしくない己の勘の悪さを許せないらしい。

 アルヴィナは立ち上がり、化粧品の入った袋をダイに手渡した。

「はい。とりあえずこれだけね。まだの分は、近いうちにミゲル君に渡しておくからね」

「……ありがとうございます」

 君付けされる友人の名に微妙な気分を覚えつつ、ダイは化粧品を引き取って頭を下げた。アルヴィナの後に付いて部屋を出ながら指先で袋の口を開き、中身を確認する。使い慣れた品々。仕事道具がどうこうというよりも、自分が良いと思って選び、使い続けてきた品がまた手に入るという事実が単純に嬉しかった。

「さぁって、それじゃぁ私、寝室の準備、してくるね」

「アルヴィー」

 居間へ向かわず、二階の階段に足を掛けるアルヴィナを、ダイは呼び止める。

「どうしたの?」

「本当に、ありがとうございます」

 包みを抱きしめて、ダイはぺこりと頭を下げた。食事や宿を提供してくれたことは元より――化粧師として働き始め、長く相棒としてあった品々を生み出してくれていた人に、ただ感謝したかったのだ。

 アルヴィナは目を大きく丸めている。とても思いがけないことを、言われたとでもいうように。

 面映そうに笑った彼女は、どういたしましてと返礼し、二階へ素早く上がっていった。



 客人の二人は、寝室へ上がると、さして間を置かず眠りに落ちたようだった。

 この場所は彼女の魔力の影響を受けて時の流れ方が異なる上に、招かれたものの身体の感覚を狂わせてしまう。客人たちが思っているよりも、身体は相当疲弊しているに違いなかった。

 目覚めることはないだろうと思いながらも、念のために眠りの術を扉越しに掛ける。あまり魔術を多用したくないのだが仕方あるまい。途中で目覚められても厄介だった。

 扉を開く。久方ぶりに整えた客用の寝室。並ぶ二つの寝台の上で、客人はそれぞれ眠りについている。

 他人の寝息。他人の温度。

 彼女が遠い昔に手放した、営みの一部がそこにある。

 化粧師だという客人の枕元に目をやる。彼女が手慰みに作り出した品が、袋に入れられ置かれている。彼女は微笑んだ。また、会うこともあるのかもしれない。

 彼女は目を閉じ、魔を編んでいく。

 誰よりも親しい魔は彼女の呼びかけに応じ、嬉しそうに踊りながら世界に現出した。

 そして彼女の指示通り、客人たちを、彼らが生きるべき世界へと送り返したのだった。





 頭上で。

 叫び声が、弾けた。

「あぁぁあぁぁぁぁあ!?!?!?」

 裏返った男の声。耳障りな奇声だ、とダイは夢現の中で思った。鼓膜が痺れる。同時に頭が鈍痛を訴えた。

「……な、なんなんですか?」

 まだ眠いのに、と呻いたダイは、続けて耳に飛び込んできた男の声に我に返り、顔を起こす。

「あぁぁ、あんた! ダイ! いったいいつここに入ってきたんだわさ!?」

 部屋の扉に張り付いて奇声を上げている男は、城下で裏の人間を顧客に持つよろず屋の店主である。

「……ミ、ミゲル!?」

 ダイは床に寝そべった状態のまま、驚愕しながら彼の名を叫んだ。

「え……え?」

 状況が飲み込めず、呻きながら周囲を見回す。雑多なものが壁を埋める細長い店内には無論、見覚えがあった。

 間違いない。

 ここは、ミゲルの店の中だ。

「……な、んなんですか? ダイ。朝から……」

「ヒース」

 背後ではヒースがダイと同じように頭を押さえて上半身を起こしていた。軽く頭を振り両目を瞬かせた彼は、ようやっと状況を把握したらしい。

 彼の端整な顔から、血の気が音を立てて引いていく。

「……え?」

 ヒースもまた、愕然としながら低く呻いていた。

 それはそうだろう。

 自分たちは確かに、アルヴィナの家に居たはずだ。夕食の片付けを終えた後、彼女が用意した客室に入り、眠ったはずだった。

 だというのに。

「……ど、どうなってるんですか?」

「わかり、ません……」

 いつの間に、自分たちはミゲルの店に移動したのだろう。

 そもそもどうやって、どんな道筋を辿って、ここまで戻ってきたのか。

「……ゆめ、だったとか?」

 ミゲルの店を出た後、隣町へ出たことも。その帰りに賊に襲われ、アルヴィナの家に迷い込んだことも。

 ダイの提案に、ヒースは苦い顔をしながら、まさか、と否定を返してくる。

「あれが全て、夢? そんな――……はずはないです、ね。ダイ、服が違う」

「え?」

 ヒースの指摘に、ダイは自分の姿を確認した。黒い縁取りのされた生成りの上下は、確かにアルヴィナから借り受けたものだった。ヒースもまた同じように、昨夜、彼女から出された衣服を身につけている。

「ちょっとあんたたち! なんなんだわさ!? 説明するんだわさ!」

 状況を飲み込めないらしいミゲルが、ひっくり返った声で叫びを上げる。彼の要望に応えたいのは山々だが、ダイ自身上手く説明出来る自信がなかった。

 ひとまず立ち上がろうとしたダイはふと、床の上に置かれた衣服と、その上で僅かに傾いでいる包みに目を留めた。

 アルヴィナから受け取った、化粧品の包み。

 それは窓から差し込む仄かな陽光を受けて、日常への帰還を静かに主張していたのだった。

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