第四章 隠遁する魔術師 3

 彼らは、息を潜めていた。

 『獲物』が、縄張りに入り込むまで。

 彼らは、『獲物』を殺さなくてはならない。

 彼らの主が、更なる混沌を。

 彼らの国に、望むから。




「荒野の女?」

 知らないねぇ、と、店主の男は言った。肉厚の手で、ダイに釣銭を渡しながら。

「あんたがいうような女やら、家やらがあったら、わっしらの耳に確かに入ってそうなもんだがなぁ」

「最近そういう面白そうな話はぜんぜんなくて、物騒な話ばっかりだもんねぇ」

 店主の隣から女が甲高い声で話に割り込んでくる。彼女は店主を押しのけ、果物の入った包みをダイに差し出してきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。……物騒な話って?」

「盗賊が出るらしいんだよ」

 短く刈り込んだ髪をぼりぼりと掻きながら店主が答える。

「おかげで商売上がったりさ。こっちまで来る人間の数がとんと減ってしまった」

「盗賊……」

「うちの町の旦那様が城のほうにどうにかしてくれって泣きついたらしいけど、今あっちは女王様選ぶのに一生懸命じゃない? 討伐してくれるのはいつになることやら」

 やれやれ、とため息をつく夫婦にダイは頭を下げて、その場を辞去した。辛うじて舗装の為されている通りに出て包みを開き、今しがた買った小さな林檎を取り出して齧りつく。疲れた身体を、口内いっぱいに広がった果汁が癒した。

 しゃりしゃりと林檎を齧りながら歩き、町を見回していると、傍らに馬車が止まった。箱の扉が開き、連れの男が顔を出す。

「ダイ」

「ヒース、終わったんですか?」

「えぇ」

 一人で用事を済ませていたヒースは頷いて、尋ねてきた。

「何か収穫はありました?」

 ダイは首を横に振る。収穫とは、ミゲルのところで聞いた『荒野に住む女』についての情報のことだ。

 この町に到着して以降、女について尋ねて回るためにヒースと別行動をとっていたのだが、人通りが少ない上にせっかく話しかけたとしてもダイへの対応はけんもほろろ。まともな会話を交わすことができたのも、町の入り口付近で暇を持て余し、話し相手を切望していた自警の老人と、町唯一の雑貨屋の店主夫婦のみ。たとえ会話できても、結果は先ほどの通り、収穫なしで終わってしまった。

「私も同じです」

 この町の長のところへ用事を済ませに行っていたヒースは、そちらでも件の女について尋ねてくれていた。しかし結果はダイと同じ、坊主だったようである。

 苦笑したヒースが、馬車に乗るようにダイを促した。

「さぁ、帰りましょうか」




 ダイが席に腰を落ち着けると同時、窓の外の景色が滑り出す。城壁から一番近い町の風景は人通り少なく、ダイの目にどこか物憂げに映った。

 これまでダイは、城壁の外に出たことがなかった。初めて足を踏み入れた外の町には町長の屋敷を中心に民家が点在し、城下の居住区に多く見られるような長屋はない。家屋はどれもが一軒屋で、かなり広い庭を有していた。しかし家の数自体は少なく、目抜き通りですらどこか閑散としている。城下ならどこを見回しても必ず目に入る石組みの壁がないせいか、空がやけに広く感じられた。

 その景色も、徐々に遠ざかっていく。

「何を食べてるんですか?」

「林檎ですよ」

 もぐもぐ口を動かしつつ、窓枠から顔を上げたダイは、包みから残りの一つを取り出して差し出した。彼のために買っておいた林檎である。

「お腹空いたんで買ったんです。ヒースも食べます?」

「……ありがとう、ございます」

 受け取ったはものの、ヒースの表情は微妙だった。受け取った林檎に視線を落として、彼は苦笑する。

「そういえば、食事まだでしたね。すみませんでした。さっきの町でとればよかった」

「大丈夫ですよ。ヒースこそ、お腹すかないんですか?」

「えぇ。仕事が立て込むとよく抜いてしまうので。……今日は、一人ではなかった」

 後半部分は独り言だろう。自責の響きがあった。

 だが自分は少食だったし、最近の精神的疲労で胃があまり物を受け付けなくなっている。むしろ食事がなくてありがたいと思ったほどだ。林檎を胃に入れる程度で丁度いいと思っているぐらいなのだから、あまり、気にしないでほしかった。

 ダイの視線を感じ取ったらしいヒースは気まずそうな笑みを浮かべ、乾杯時のように林檎を軽く掲げてみせる。

「戴きます」

「はい」

 彼の林檎を咀嚼する音が静かに空間を満たし始め、ダイも再び林檎の実に歯を立てた。窓の外に視線を戻し、眩しさに目を細める。

 白い原野。デルリゲイリアの国土の大半は白砂で占められている。もともと火山活動によって出来た土地がこの国だ。滞留した火山灰と軽石が層を作って広がっている。それらをこの目で見るのは初めてだったが、それにしてもなんと寂しい場所なのだろうとダイは思った。

「何か珍しいものでも?」

 じっと窓の外ばかりを見つめるこちらを怪訝に思ったのか、ヒースが尋ねてくる。ダイは首を横に振った。

「……寂しい場所だと思ったんです。何もない」

「外が?」

「はい」

 土地の白。空の薄い青。その二色だけが、世界を構成する全てだ。

「ヒースの生まれ故郷も、こんな感じなんですか?」

 朝、ミゲルの店へと赴く途中に彼は言っていた。彼の故郷は、ヒースとハリエニシダ以外に何もない、痩せた何もない土地だと。

「そうですね。似たようなものです」

 ヒースが素直に頷く。その表情は思いがけず柔らかい。昔のことを尋ねることは彼にとって不快なわけではないようだった。

「退屈じゃなかったですか?」

「退屈?」

 心外だというように瞬き、ヒースが鸚鵡返しに尋ねてくる。

「えーっと」

 思わず目を泳がせながら、ダイは呻いた。

「さっきも町で思ったんです。あまり、見て回るものもないし。人少ないし」

「都以外の町は、大抵あんな感じですよ。人より家畜の数のほうが多いくらいです」

 苦笑を零すヒースを見つめながら、先ほどの町を思い出す。城壁のかわりにぐるりと町を取り囲む柵の内側で、牛が牧草を食んでいた。確かにその姿は、人のそれよりかなり数多かった。

「……私のところは、退屈、は、しませんでした」

 齧り終えた林檎の芯を指先で弄んで、ヒースが話を切り出した。

「家は、賑やかだったので。人の多い家だったんです」

「大家族?」

「家の割に、使用人の数が多かったんですよ」

 目を細めたヒースの回答に、ダイはやはり、と思った。

 この人は、使用人というよりも敬われる立場にある人だったのだ。彼がダイを引き抜きに花街へやってきたときも思ったものだ。無駄な動作の一切ない立ち振る舞いは、花街の客であった貴族の子爵たちのそれよりもよほど洗練されていたし、ミズウィーリ家において見られる人に指示を出す所作も、一年二年で体得したとは到底思えぬほどに手馴れている。それは、誰かを使う側に生まれていたが故なのだろう。

「ご兄弟とかは、いたんですか?」

 ダイの問いに、ヒースは目を伏せ、懐かしむように言った。

「手のかかる三人の面倒を見なければなりませんでした」

 ということは、弟か、妹。もしくは、その両方。

「あぁ、だからですね」

 過去を知れば、その人の行動の理由がわかる。忍び笑いを漏らすダイに、ヒースが怪訝そうな目を向けた。

「……何がですか?」

「ヒースって結構、面倒見がいいでしょう」

「……めんどうみ?」

「はい」

 首を傾げるヒースの手から林檎の芯を受け取る。それを自分の食べたものと併せて包み、ダイは笑った。

「いつも思ってたんです。ヒースっていつもすっごく気を回してくれているなぁって」

「……マリアージュ様には氷のようだといわれていますが」

 こちらの意見に納得が行かない様子で、ヒースがマリアージュを引き合いに出す。ダイは苦笑した。言われてみれば、彼女は確かにそのような比喩を口にしていた。

 しかしこの男の一体どこが、氷のようだというのだろう。

「マリアージュ様、こういうこといったら身も蓋ももないですけど、ヒースとあまり仲良くないでしょう? だからヒースのいいところが、見えないんですよ……今日もこんな風に、連れ出してくれた」

「仕事のついでですよ」

 むず痒そうに身体を揺すり、ヒースは呻く。どうやら、らしくなく彼は照れているようだった。

「ミゲルのところに行くのにも、わざわざ付き合ってくれたでしょう?」

「じゃないと貴方、人の群れに流されていつまでも帰ってきそうになかったですからね」

 意趣返し、とばかりに口にされた皮肉のつもりらしい言葉の矛盾を、ダイはすかさず指摘する。

「ほら、面倒見がいい」

 こんどこそ、ヒースは渋面となって口元を引き結び、窓枠に頬杖をついて視線を逸らしてしまった。半眼になって嘆息を零す彼に、ダイは思わず微笑む。

 思い出す。

 初めて花街を出た日のことだ。彼と共に馬車に乗っていた。しかしあの時は、上手く会話を繋ぐことができなかった。

 不思議な感じだ――今は、こんな風に、軽口を叩きあっている。

 だからだろう。少し、気が大きくなっていた。

「そのご家族の皆さんは?」

 好奇心に押されるままに口にした問いの回答など、少し考えれば、わかることだっただろうに。

「死にました」

 地平まで続く、白い原野。

 骨を砕いて、敷き詰めたかのような。

 それに覆いかぶさるように広がる、氷のように薄い蒼穹。

 彼はその彼方に、何を思っているのだろう。

 目を閉じて、ヒースは繰り返す。

「死んでしまいました。みんな。みんな――……」

 マリアージュから、聞いていたではないか。

 彼は親族を亡くして旅をしていたときに、彼女の父親と出会ったのだ、と。

「……すみません」

 噛み合わせた歯の隙間から搾り出すようにして、ダイは呻いた。膝の上に置いた包みを強く握る。

「そんな顔をしないでください」

 その潰れるくしゃりという音に我に返ったのか、ヒースが頬杖をついていた手から弾かれた様に顔を離した。

「いいんですよ。貴方だって、親無しなわけでしょう? 考えればマリアージュ様だってそうだ」

「でも……ごめんなさい」

 不用意に彼の過去に足を踏み入れたことには変わりない。こちらはまだ、何も話していないのに。

 ふと、顔に影が差したことに驚いて、ダイは息を呑んだ。思いがけず、すぐ間近にヒースの顔がある。

 彼の手がこちらに伸び、その指先が、ダイの髪に触れた。

 大きな手が一度だけ、くるりと円を描くように頭を撫でる。

「昔を、思い出します」

 ダイは離れていく彼の手を見つめながら、当惑とも困惑ともつかぬ色の滲む、ヒースの独白を耳にした。

「一緒に暮らしていた、弟のような子供が、よく、後ろをついてきたんです。気が弱くていつも泣きそうな顔をしていた。頭を撫でると、そのときだけ嬉しそうな顔をする」

 ダイの頭に触れた手を、己でも信じられないというような目で、ヒースは見つめている。

「……私は、子供ですか?」

「少なくとも、今は」

 唸るように尋ねたダイと目を合わせて、彼はからかうように笑った。

「あ、すみません」

「……なんですか?」

「林檎の汁でべたべたのまま触ってしまったんですけど」

 ダイはヒースの告白に、思わず両手を頭に当てる。その反応がおかしかったのか、ヒースは小さく噴出して、対面の席に改めて腰を落としている間も、忍び笑いを漏らし続けていた。

 彼の反応に面白くないものを感じ、ダイは口元を引き結ぶ。だがその一方で、先ほどまで張り詰めていた空気が和らいでいることにも気づいていた。

 彼に気を遣わせてしまった。

 しかしそのことに関して直接的に感謝することも、なんとなく躊躇われる。

「……化粧品作ってる人についても、訊いてくださって、ありがとうございました」

 嘆息して、ダイは話題の転換を図った。ヒースも小さく頷き、慰めの言葉をかけてくる。

「残念でしたね。結局、何もわからず」

「いいえ。仕方がないです。どうにかします。どうにかならないわけじゃないですから」

 使い慣れたものがいいと思うのは、ダイの我侭に過ぎない。代用品は無限といわずとも、あるにはある。

「こちらのほうでもあたってみますよ」

 ヒースが、膝の上で指を組み合わせながら申し出た。首を傾げて意味の説明を追及したこちらに、彼は苦笑しながら補足する。

「化粧のための品についてはよくわかりませんが、貴族の子女も使わないわけではない。あちらで揃えられるものがあるのならそのほうがいい」

「……そういえば、ですね」

 自分が用いる化粧品は確かに特殊だし、あの場で手に入れられるものとしては至上の品だった。しかし今ダイが働いている場所はまがりなりにも上級貴族の家なのだ。その気になれば、最上の品を手に入れることができるだろう。

「帰ったら、探しましょう。ハンティンドン女史あたりなら、きっと詳しい」

「……怒られた昨日の今日で、さすがにハンティンドンさんに二回も頼みごとする気力ないです」

 昨日マリアージュに喧嘩を売ってしまったせいで、侍女頭にはもちろんみっちりと説教を受けている。今朝の外出許可を取る時にも、ヒースが傍らに付いていたとはいえ、視線が痛かったのだ。

 いや、そもそも自分はミズウィーリ家に残れるのか。

 諸々の憂慮すべき事柄を思い出して、渋面になる。そんなこちらをあげつらうように、ヒースはまたもや笑いかけ――……。

 がだんっ

 突如、馬車が大きく左右に揺れた。

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