61 抽象的な想像の欠片(Ⅳ)
若者が帰ると、老人は二階に上がった。一階は昔の日本家屋を再現したものだが、二階は現代的な内装だ。何畳分か分からないフローリングの部屋があり、長方形のベランダもあり、老人は時折、そこのハンモックでレコードを聴く。
部屋には大きなスピーカーと、それに接続されたターンテーブルがある。この時代でもレコード愛用者は減ることがなく、データで曲を持つことに飽きたのか今では逆に愛用者が増えている。老人もその一人で、新たに生産されたレコードやら、もしくは昔の古いレコードを集めたりしている。
音質はディスクに比べると悪い。しかし、たまに流れるノイズやら、音の割れ目など、それが当時の面影を見せてくれるようで、老人は音質の悪ささえ、長所に感じる。音質は、高いから良いものではなく、人によって好みが別れるということだ。
この日はジャズレコードを聴いた。老人がターンテーブルに乗せたのはウィントン・マルサリスの『マルサリスの肖像』だ。今の時代のジャズよりも、老人は古いアーティストを好む。昔の音楽は現代のモトとなったものが多く、現代は昔よりも多用なものになったので、現代に慣れると昔の音楽は好みにくい場合が多い。しかし老人は昔のものを愛した。
「過去はいつだって美しい」
死を望まなければ、どんな過去だって美しくなる。
予想がつかない未来よりも、人はいつだって決着がついた過去を愛してしまう。過去は美しい。どうなるか不明な未来よりも、過去の方がもう済んだ後だから。
過去はもう届くことがなく、未来は手を伸ばせば届くのに、人は愚かだ。空を人が愛するのは手が届かないからだとすれば、もしかしたら過去は、空と近しいものがあるのだろうか。
「すまない、マコル。冷蔵庫からケーキを持ってきてくれないか。確か、この前買ったのがまだあったはずだ。それと悪いが、コーヒーも頼む」
「了解しました博士」
マコルは人間のように二足歩行で歩いて行き、階段を下りていった。老人はそれを見て、若者が今目指しているものを思い出し、苦笑いした。老人が築き上げた二足歩行のシステムは今では軍事目的でも活用されているのを、青年は知らないのだろうか。
先ほどは科学が悪用されることに関して小説家と比較したが、そういえば小説家も似たようなものだと気付く。
小説家。
小説家、小説家。
彼らは必死に書いた作品、それを刃物ような批判で裂かれたり、またはファンが犯罪を犯したりして、小説のせいだと言われる。
小説家、小説家、小説家。
老人がもし科学者の道を歩まなければ、――幼い頃に見たSF映画が目に焼き付いてなければ、もしかしたら、小説家になっていたのだろうか。小説家。それはとても私と似ている。
老人は笑った。
3
老人も昔は科学者だった。だから今でも科学者の名残はあるし、たまには科学者らしいことを考えてもしまう。例えば、朝に小鳥が鳴くのはどういうシステム。プログラムが必要なのか。やるとしたら、どの言語が良いか。または、鳥が空を飛ぶ姿を見て、設計図をつい作ってしまう。例えば、空を見て、これを美しいと感じるプログラムは。
悲しくなることもある。彼は純粋に美しい、素晴らしいと感動することはなく、それがどうしてそうなるか。どうすればそうなるか。感動するか。
それを、考えてしまう。
「なあ、マコル。犬は可愛いと思うか」
「……可愛い。言葉の意味は分かりますが、可愛いがどういう感情なのか。どういうことが、可愛いと思ったことか。不明です」
二匹の犬と遊んでいるとき、老人は聞いてみた。自分が作り上げたプログラムのロボット。人に似せて作った未完成の、ロボット。
「何というか。胸を締め付けられる。……ん、違うか。もっと、何か温かいというか」
「締め付けられる。温かい? それは、苦しいのですか。熱いのですか」
「ま、まあ、そんな気もするな。……すまん、これは私もよく分からん」
犬が老人に頭を撫でられて嬉しそうに舌を出し笑っている。
「先生は、人間をどう解釈しますか?」
マコルと雑談していると、こんな問いかけをされることがある。
老人は不甲斐なさを感じながらも、いつも「私には難しすぎる問いだ」と言う。人体に機械への投与が進んだ現代となっては、機械だけの身が人間じゃないと言い切れなくなった。人間は人間を零から作ることは叶わないが、人間を改造することは大分前から進めている。最初は医療目的だから許された。しかし、次第に命が関わる関係無しに改造が頻発し、科学が暴走した。神への冒涜。まさに、このことだろう。彼が作った作品に悪戯をしているのだから。
人とは何か。それに答えるとき、機械であるかどうかは関係ない。中には全身のほとんどを機械化した人間もいるのだ。
ある意味、機械か機械じゃないかは人間とロボット区別する最高の壁だったのだが、残念なことに科学が進んだ今となっては、その壁はベルリンよりも容易く破壊されてしまった。
老人は、ロボットの思考プログラムを組むとき、思い悩むことがある。
もし、人間と同じほどの思考をするロボットが生まれたら、人間はどうなるのか。
人間とロボットの違いはどうなるのか。
いや待て、人から生まれたらまだ人は人でいられるのではないか。
ならば、もし人から生まれたのではなく、試験管から生まれたような命だったら、それは人ではないのか。
そもそも、もしロボットが人間のようになったとしたら、人間は必要なのか?
ロボットがロボットを作り、地球の支配者になるのではないか。笑える話だ。これではSF映画と変わらない。
いずれ、ロボットが人間のようになり、人間の位置に立てるようになり、同じような思考をすることになったらどうなるか。
人間のようなロボットではなく、我々が〝ロボットのようなことをするな。人間は〟と言われるのではないか。
老人の家の二階には机があり、その引き出しには拳銃が入っている。
マコルは耐久性を求めたものではないから、これでも簡単に壊せる。
殺せる。
だがそこで、老人は止めた。
引き出しを、また元に戻した。
老人は咄嗟に殺すと言ってしまったのだ。
「……もう、私の中では、あれは生き物なのだな」
動物のように肉があれば生き物なのではない。微生物もいれば、水しかないクラゲもいる。
だったら、生き物には命があるといえばいいのか。
では命とはなにか。
マコルの知能は動物よりも高い。知能あるかないかは命の判断にならないか。生きているとは何か。生きているとは何か。
老人は、長い間息子のように共に過ごしたロボットを、もう生き物のように感じていた。
それは人だけが持つ愛着という呪い。ロボットにはまだ理解出来ない感情だ。
怖くなることがある。
可能性がまだまだあるロボット。これから先、彼らはどうなるのか。どういう道を歩まされるのか。もしかしたら本当に、SF映画のように進化しすぎたロボットは人間を滅ぼしてしまうのか。
老人は妻と若い頃に結婚したが、子供を作ることはなかった。
彼女の体は子供を作れなかったらしく、彼らは涙を流していつかは途絶える運命を歩いた。結局、彼らに残ったのはこの寂しい平野と、家と、たった一体のロボットだけだった。
孤独だった。老人の心を占めていたのは孤独という負の悲劇だった。彼にとっては青い空も青い空に見えない。灰色に霞んでいくように見えた。彼が畑を耕すのも単なる暇つぶしでそれ以外に意味はない。彼が二匹の犬を飼うのも寂しいからであって、彼らを何かの代用品として扱っている。そんな自分に嫌気が差す。
「博士、その引き金を引いたら死んでしまいますよ」
ただ現実に起こっていることを言葉にした。マコルのそれは、感情のない声だった。ヴォイスだった。
「そうだな。確かに、これは死んでしまうな。……しかし、マコル。人間とは生き物としては珍しく、自ら死を選んでしまう生き物なのだよ」
引き金を引いた。
拳銃に弾丸が一つも入ってないことを、老人は知っていた。
六発。
昔の古ぼけたリボルバーを六回も回し、弾が完全にないことを空気中に教えた。
老人は静かに泣いた。
ちなみに、自ら死を選ぶ生き物は何も人間だけじゃない。
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