54 抽象的な想像の欠片(Ⅰ)
抽象的な想像の欠片
傘頭雪彦
1
博士と呼ばれた男は息子の問い掛けに答えた。
「それはね、マコル。きみには分からないことが多すぎだからだよ。言うなら、きみは馬鹿だってことさ」
息子と称される全長一○○cmほどの機械は、反論する。
「失礼ですが、博士。僕はあなたより数倍計算が早く出来ます」
「そういうことじゃないんだよ。マコル。きみが言うのは性能が良いだけだ。頭が良いことにはならない」
「性能が良いは、頭が良いにはならないのですか?」
樹木の欠片で出来た椅子に座り、博士と呼ばれた男。老人は自分が作ったロボットと会話をしている。彼の前には丸いテーブルがあり、その上にはコーヒーが入ったマグカップとドーナツが二個置かれた白い皿が乗せてあった。
老人の指には結婚指が嵌められている。しかし、老人が住む家にはもう妻はいない。有限であるはずなのに無限のような時間が、彼だけを残して妻を連れ去ってしまった。今の彼を孤独から紛らわせるのは、彼らが唯一残した息子とも言えるロボットだった。
「きみは、小説を面白いと思えないだろ?」
老人は震えた手でマグカップを手に取り、口をつける。動けないほどにまで老いていないが、震えるほどには老いていた。干上がった地面のような肌となった自分。時折、心臓が苦しくなる体。もうそろそろ、この時間も短いのだと、老人は悟っている。
「面白いがどういうことか。よく分かりません」
マグカップをテーブルに戻した。
「物語を展開から展開、またさらに展開とさせる小説は、確かに何故面白いのかは分かる気がします。一つの展開で収まってないからこそ、面白いと。しかし、全く展開しない日常を描いた作品も、博士は面白いと言う。博士だけじゃなく、大勢の人間が。それが僕には分からない。高い文章力というのは言語をインプットされたから、正しい言語なら美しいとある程度分かります。しかし、中には意味不明な文法を使う人もいます」
「なるほど、確かにそういう人はいるな。わざと文法を間違える人」
「それにも博士は面白いと言う。博士だけじゃなく、博士以外の人々も」
「だからきみは馬鹿なんだ。いや、これは失礼な言い方だけどね。しかし、仕方ないんだ。きみを作ったのが、この年寄りだからな。人間のように多くの視点から物事を見る多様性。一方向に定まらない不安定な眼球とも言えるな。人間の思考は複雑だ。それは、人間自身でも分からないほどに。だからこの時代でも哲学はあるし、詩人は、小説家は筆を広げているのだろう」
老人の近くの壁には窓があり、そこからは青い空が映って見えた。
悠久のような広い空。その中を魚のように泳ぐ無音飛行機がいた。広告塔としても活躍しているのか。飛行機の横側には、『あなたの中にはいつも 主演 ナツヨシ・ウチムラ キヨコ・ナンバラ』という映画の看板が下がっている。
「人間は難しい」
「きみを作るのも難しかったがね。……しかし、まあ、そうだな。きみではなく、人間を作れと言われたら、私は困っただろう。神さまのデータをいじくれば、簡単に作れるが。一から人間を作れとなると、私には無理だ。……いや、人間には、いやいや、人類には到底不可能だろう」
「神さまはすごいんですね」
いたら、本当にすごいね。老人はドーナツをかじり、かじったドーナツをコーヒーで流し込んだ。
「博士、神さまは本当にいるのですか?」
「いないよ」
「なら何故、人は神さまを信じてるのですか。あらゆる情報を見てみると、神さまを信じる人は世界で見ても大勢います。神さまを信じてないのは先生だけなのですか」
「私だけではないし、信じる人ばかりの国でも神さまの存在はどうだろうね。これも人間にしか分からないことなんだなあ」
カップから昇る湯気を見て、他人事のように語る。彼も同じ人間なのに。
「人間は不安定な生き物だ。厚さ五mm、幅が一mの紐に乗っかるようなものだ。我々はね、マコル。例えば、エレベーターがあるじゃないか。あれは今エレベーターが何階にあるのかを知らせる掲示板のようなものだ。それはね。マコル。何故だと思う。何のためにあると思う」
「便利だから」
「それもある。しかし一番の理由は人間が不安にならないためだ。人間は待つことに関しては、いやそれだけじゃないかもしれないがともかく、何か来るものに対して、いつ来るか、今何処にいるかという情報が必要なんだよ。目隠しのようにあの掲示板のようなのがなければ、我々はとても不安になるんだ」
「難しい」
「そうだろうね。神さまは、そういう存在だと私は考えている。人は苦しみから逃れるために、神さまのような存在。――掲示板が必要なんだよ。神さまに祈りを捧げれば、真っ当でいれば、救われる。いつになるのか不明で、根拠もないのに、ね。だが、人類には神さまが必要なんだ。でなければ、目隠しの状態で苦しみがいつ終わるか不明で、歩き続けなければならない。人はいつか終わりが来ると、希望が欲しいから神さまを作った。希望がいつになって来なくても、神さまに信仰が足りなかったと言い訳が出来るし、何より、神さまという超越的な存在がいれば、どんな苦しみも壊してくれると思えるからだ」
「博士、僕には到底理解出来ません」
「だろうね。きみたちは人間とは違い、強い」
私たちは思考するという最大の長所手に入れたが、同時に最大の短所も手に入れた。それのせいで、いつかは人類を滅ぼすとも知らずに、我々は思考をする。
老人は言った。
「博士は、どうして神さまを信じないのですか?」
「私が日本で育ったからかもね」
「日本は西暦二○九九年に無宗教を掲げたんですよね」
「そうだ。私はそれの絶頂期にいた。あの頃はすごかった。日本は元々、一番神さまを信じていた国だった。昔はあらゆる物に神が宿ると信じられていたし、何より恐れられていた。他の国では神さまは救ってくれる存在だが、日本は違う。災いの類でもあった。言うだろ。〝さわらぬ神にたたりなし〟と」
「だけど、特に二○○○年が始まって一○○の間に何百もの宗教が生まれた。仏教から分裂した派、日本が勝手に読解した宗派、新興宗教、マジシャンの奇術を悪用したカルト教団」
「日本はカルト教団に何度も滅ぼされそうになった。アメリカがテロに苦しむのと同じように、日本は宗教に苦しんだ」
「そして、何百年かして日本はついに宗教を持つのを制限したのですよね」
「車の運転免許書のようにね。神さまを信じるにも免許書が必要になった。一年に一回は更新が必要だ。宗教に依存してないか。カルト的な要素を持っていないか。危なくないか。宗教への査察も多く見受けられた。そもそも日本は神道という宗教があるのに笑える話だな。テッペンはどうしたという話だ」
「そしてついには無宗教。日本は政治に宗教を持ち込まないようになったと」
「若者も浸透していたな。私もだから恥ずかしい話だ。あの頃はアンチゴッドを掲げたミュージシャンが多かったんだ。ジャパニーズロック、ようするにUG系と呼ばれる分類は、今においては反宗教団体と言ってもおかしくなかった。彼らの影響で、宗教施設や、信者を襲う輩が多くなってね」
「博士も?」
「私はクラスメイトの信者をいじめたよ。学校に来られなくした。あの頃は、本当にいい気味だと思えた」
「今は?」
「分からない。神さまは今でも信じられないが……良いことをしたとも思えない」
「いじめは良くないと記録されています」
「その通りだ。しかし当時は正義の名の下に、何もかもが許された。正義の名の下に女性を強姦したり、殺人を犯す者もいた。学生運動の一環として、宗教施設を襲う者もいた。カルト信者というレッテルを貼り、自殺に追い込んだ奴らもいた」
「それは正義じゃないです」
「そうだろう。だが人は盲目だ。……ああ、この場合の盲目は目に障害があって、ということではない。そうだな。正しいことが見えないから、盲目という言葉で表現したのだ。盲目。そう、盲目だ。確かに我々がしたことは正義ではなかった。今なら言えるが、当時は正義以外の何ものでもなかったんだ。正義も人間が持つものだから、人によって様々な正義がある。宗教戦争がそうだ。正義を持って銃を向ける先は、また別の正義を持った輩だ」
「難しいです」
「そうだろう。そうだろうよ、マコル。お前は理解出来ないだろうから、空耳程度に聞くといい。この会話は風が通り過ぎたときの効果音だ。それでいいんだ、マコル。それがお前が人間としてアリエナイことなんだよ。外見じゃない。中身なんだ。人は人の材料で人を作れるが、人を零から作れない。だからお前は人じゃない。ただの、ロボットなんだ。そうあってくれ」
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