48 有田清
子供の頃に見た有田清は、柔らかな笑顔が特徴的だった。
顔は人間にとって体の一部でしかないのに、人は必ずしも顔をその人の象徴的なものとして扱う。これはあまりにも理不尽過ぎることだが、それによる問題は世界中で山ほど起きていて、僕はそれに不満をいう資格はないのだが、僕もそれを利用しているサムプライムローンで一人だけ儲かるような輩なのだが、しかし彼にとってはそれは微笑ましいことである。多分、僕とは違い、利益云々で考えてた人じゃないのだろう。
数年ぶりに会っても、彼の笑顔は固くなってはいない。
「何年ぶりですかね。十年ぐらいですか」
「そうだね。もう――それくらい経っちゃってるね」
僕が差し出したマグカップを受け取り、静かに飲む。客室。鼻が高く、肌が白い。彼がコーヒーを飲むと、より日本人らしくなくなり、異国に来た錯覚を受ける。
洋館の客室。
薄暗い室内、窓からカーテン越しにかすかに光が射すだけで、妙なほこりのようなものが舞っている。光より木目の質感や、それによる暗闇の方が目立つ。ソファー、白木の名机、赤い絨毯――叔父にしては、世間体を守りたいかのような客室。あの人なら、外を客室と言いそうなのに。
「………」
僕は有田清を見る。この人も、あの叔父の弟子なんだよな。
「……?」
彼を小説家として見るのは中々難しい。背が高く、鍛え抜かれた体。ボディービルダーのように無駄に太くはなく、引き締められた筋肉質な体。
外見だけで判断すれば、アクション俳優が一番相応しいように思える。とてもじゃないが、僕――いや、僕らのような人種とは大分違う。
「受賞おめでとう。五つも受賞したんだって? すごいじゃないか。先生も、そこまで受賞はしてないよ」
「いえ、僕のは年齢的な部分も考慮されてますし」
「いや、僕は単純に面白かったと思うね。きみの作品は見させてもらったけど、どれも面白かったよ」
そして、コーヒーもうまい。歯が浮くほどの褒め言葉を僕に浴びせる。どうしようもないので、僕はただ照れて笑うだけだ。銃弾を避ける術を知らない。一度当たったら、それに酔って己を過信して退廃してしまうかもしれないのに――正気で褒めてるのだろうか。
「ところで、剣吾くん。この館に住んで、何か変わったことはなかったかい?」
体は止まることなく、普通にコーヒーを啜っていた。
まるでいつもの日常だと、知っているかのように。朝は太陽、夜は月、というようにごくごく当たり前のことが起きたかのように、顔を変化させなかった。この人がどういう目的で来たのか。何のために来たのか。測ろうとする。
「……いえ、特にはないですが、その変わったことって」
「あるだろ?」
有田清も、ごく日常のように言った。言葉は有無を言わせないかのようにストレートだったが、態度は平然としていた。それなのに妙な圧迫感がある。
「この館はね。不思議なことが起きるんだ。幻覚……と言えばいいのかな。小説で書いたことが現実に映像として流れるんだよ」
怪異。人がそう呼ぶ現象を、この館は保有していた。
誰かが書いた小説の映像がこの館に現れる。作者の著作権を無視して、勝手に映像化するとは何事だと、叔父だったら怒ったかもしれない。
「それは、有田さんも見たんですか?」
「僕……も? ふふっ、きみは見たのかな。……まあいい、僕は見たよ。他人のだけどね。どうやら、自分のは見られないらしいよ」
有田清はコーヒーを飲み干すと、ごめんと一呼吸置いておかわりを要求した。僕はマグカップにコーヒーを淹れに行く。
「僕ら弟子は先生の元で書いているとき、こう言われたんだ。〝ここを卒業したいなら、作品を残せ。〟ってね。あの、人間に興味がない先生が珍しいだろ。弟子を取るのだって奇跡なのに、さらには作品を残せなんてね。僕より大分前にいた鈴野千香や、僕と一緒にいた傘頭、あと最後に先生の弟子となった道川も、先生に作品を残したらしいね。ちなみに、鈴野はともかく、僕含めた三人のことは知ってるだろ?」
コーヒーを煎れたマグカップを有田清に渡した。
「ええ、それは。あなた方の名前は小説から離れても聞こえますよ。何せ、芥川賞、直木賞を取ったお二人。そして、賞を全く無視してる先生とかね」
目の前にいる有田清は鈴野千香と同じ純文学の作家だ。数年前に二回ほど芥川賞の候補となり、五年前にようやく賞を勝ち取った。芥川の前には、三島由紀夫賞も持っている。受賞した二作の作品『コルブレオ』と『鳥の頭が抜け落ちた』は映画化され、主演が有名俳優だったこともあってか話題作として人気となり、かなりのお金を稼いだ。
彼と同じ時期にいたとされる傘頭雪彦は、SF作家だ。深い哲学を内蔵した抽象的設定で話題を呼び、叔父の館にいたときにSF大賞を獲得。新人ながら、多大なSFにより直木賞候補に選ばれ、二年前にはついに念願の直木賞を受賞する。(よく選ばれたものだ)
そして、問題の道川盛行だが。この人は、受賞するのが嫌らしい。
勲章を嫌うのだ。それを持つと、何かに縛られると、自分は自由でいたいという理由で、彼はミステリー作家ながら様々な賞を獲得するはずだったのだが、――その奇怪な考えたにより、受賞を辞退した。
直木賞候補も拒んだし、本格ミステリー大賞の受賞も蹴った。
「僕らは小説家の中でも変人、奇人と呼ばれるからね。小説家は変わった奴が多い。小説家だから、なのか分からないが、小説家は変わった奴ばかりだよね。どの分野も人より卓越したものを持った奴というのは変わった奴が多いが、それでも小説家というジャンルには叶わないだろう。日本の小説家でも、政治に関わった者や、犯罪を犯した者、色々いるだろ。その中で、僕らが特に変人と言われるのは不服ではあるけれど、でもそれって……少し快感でもあるよね。変わってるということは、誰かとは違う。……って、ことだから」
それは幸福な、ことなのだろうか。僕には不明だ。
変わってるということは、人とは違うこと。それが良いことかと言えば、そうではないと僕は思う。変わってる。人と違うということは、誰かと馴染みにくいということ。人から、嫌がられるということ。僕は、それを良いことだとは思えない。
「この館には、鈴野千香、傘頭雪彦、道川盛行、の三人のがある。ちなみに僕はとある事情で、先生の前で燃やしちゃってね。もうないんだ。だから、この三人の書いた物語がある」
燃やした。それを何事もなかったかのように、有田清は語る。
「きみは、もう既にこの館で誰かの物語を見たかもしれないね。もしかしたら、既に傘頭のを見たかな。……いや、その顔だと見てないか。見てないなら、見てみるといい。彼の作品は面白いよ。……うん、今なら認められる。奴は、面白い奴だってね」
ただ、あのときは鳥籠の中に二羽しかいなかったんだ。有田清は言った。
「……この館で、何故幻が見えるか。有田さんは知っているのですか」
「知るわけがない。僕はオカルトにどういうアプローチも持たないよ。テレビに出てくるインチキ霊能力者や、悪徳宗教の手品は反吐が出るほど嫌いでね……実際に体験して何だけど、今だって信じたくはない。反吐が出る……。僕は、僕を騙す奴が嫌いだ。……でも、今はどうでもいい。別に、僕を騙そうとしないであれば、何であれ存在したってかまわないのさ。オカルトか、それとも科学的考証が可能なのか。どうでもいいんだ」
有田清は、またコーヒーを飲み干した。
「先生は、あれを小説家が執筆の時に零れ落とした残滓だと言っていたね。小説家が頭に思い浮かべた映像が、この館で現れるって……まあ、映像が現れやすい環境だったのかな。小説家が多かったし、先生もいたしね。けど、……僕の小説の映像も傘頭が見たと言っていたけど、僕は小説を書くときに映像は浮かばないんだけどなあ。大体、言葉が先に思い付くんだ。それなのに、残滓なんてあるのかね?」
僕には、よく分からないことだった。僕も、映像というわけじゃない。
有田清は帰ると言った。僕は彼を玄関まで見送る。
「気を付けろ。お前、類字の小説にひどく似てるぞ」
最後に、今までと違った口調で忠告された。これまでとは違い、叔父を先生と呼ばない。
……もしかしたら、彼も。
僕と似たような人物なのかもしれない。誰にだって笑えるし、誰にだってなれる。
「………」有田清像なるものが、変貌していく。
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