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 彼は小説家だった。彼が言うには小説家とは職業ではなく人種のようなものだと語る。故に小説家は小説家としてしか生きられず、小説家として死ぬしかない。彼は言う。

 彼の全ては小説にあった。テレビを見るのも、食事をするのも、トイレに行くのも、私を抱くのも、風呂に入るのも、全ては小説のために。

 私を抱いて私に恋をさせるのも小説において恋愛の経験をするためのシュミレーションだし、何枚ものレコードを集めるのも彼にとっては小説の材料でしかない。彼は全てを小説に生かした。両親の死も、友人との喧嘩も、女達の夜も、全て生かした。彼にとっては風が草花を揺らすことも、情景描写のお手本にしかならない。

 私が初めて館に来た頃、彼は小さな犬を飼っていた。犬の名前はレベッカと名付け、大切に可愛がっていた。その犬は生まれた頃から小さく、十年経った当時でも小さい。決められたサイズ。小型犬。そういう犬は大抵長生きするのだが、レベッカもその例に含まれていて十年ぐらい生きていた。

 犬は私が来て三年ほどで、亡くなった。意外なことに彼は泣いた。私は彼を非人間として見てきたが、考えを改めようとした。

 しかし、彼は言った。

「レベッカが死んで悲しむ、涙する。この感情さえ、私は小説に捧げようとしている」

 罪悪か。嫌悪か。それとも、悲しいのか。彼は、小さな水滴をたった一回だけ流し、泣いた。

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