026 それを恋とは呼びたくなくて


 流石のセレネも大慌てで叫んだ。


『ちょっと、夏希!?』

「うえ、えぇ! えぇ!?」


 意味の通らない悲鳴を上げて、それでも夏希は転げ回って弾丸を躱した。


「ほら、お姉さんに教えてみなさい。私は修二の色んなことを知ってるぞ。なんたって姉だからな」

「え、ええ、ええ、なんでなんで、なんで」


 ――気付いてるんですか。

 ――そんな話になるんですか。


 頭の中で質問が食い違った。

 狼狽えすぎて立ち上がることもままならない夏希へ、瞳は容赦なく狙撃を続ける。右脚部が損壊。


「私を誰だと思っているんだ。鷲の目イーグルアイは観察と分析の目。恋する乙女の様子を見抜くくらい、そう――ちょろいよ」


 ドヤ顔で言い放つ瞳に、夏希の混乱は最高潮に達した。

 なんで。なんでだ。そんなはずはない。否定できるはずだ。

 恋なんていうのは普通の娘がすることで、私みたいな奴には不似合いだ。


 出来るわけない。愛し合って、子供を産んで、家庭を持って、そんなの無理だ。

 私はきっと壊してしまう。


 私はただ、彼のその目に私と同じものを見ただけ。

 この果てのない黄泉の道に、少しだけ友が欲しかっただけ。


 彼ならきっと分かってくれると思った、ただそれだけ――。


 でも。


「あ、う……」


 容赦なく躊躇なく大人げない実体弾の釣瓶撃ちを片足で必死に躱しつつ、躱しきれずに腕を犠牲にしつつ、夏希の脳の処理速度は最早生涯初の速度に達していた。

 見ないふりをしてきたものが、気付かなければ無視できたものが、その装甲が剥がれ落ちる度に露になっていった。


 口にされてしまえば、嘘は付けない。

 だってこんなにも苦しいのは、初めてだ。

 夏希は何かが壊れようとしているのを感じて、ひどく息苦しくなった。


 ダメだ。私の世界は一と零であるべきだ。勝利と敗北、生と死、そういう塗り分け方をしていないと、辛くて苦しくて、生きていけない。

 恋とか愛とか、そういうのは、複雑すぎる。


 私は嫌だ。そういう難しいのは嫌いだ。苦しいのは嫌だ。

 私を苦しめるものから飛び立つために、ここにいるのに。


 夏希のそんな葛藤さえ、鷲の瞳はお見通しだった。


「その苦しみはね、みんな同じだ」

「みんな、同じ?」

「普通なんだよ、恋に苦しむっていうのは、さ」


 眉間を目掛けて放たれた粒子砲を、夏希は横っ飛びに回避した。動かない右足が巻き込まれて即座に蒸発する。


 すとんと、ヒビ割れた何かの隙間から、それは腑に落ちてきた。


 ――その苦しさが恋なのだと、夏希は知ってしまった。


 恋という言葉の甘く柔らかい感触は何処にもなかった。

 夏希にとってそれはきりきりと首を絞めるような苦しさと、もがいている自分の醜さがもよおす吐き気にも似た苦しさと、そんな自分が彼の重荷になるかもしれないという苦しさと、その情熱が翼を溶かしていく苦しさでできていた。


 夏希は苦しいのが嫌いだった。だからこんなものを、恋だとは呼びたくなかった。

 どうして苦しいのかさえ定かではない。ただ、それを恋だと言うのなら、実らないだろうと思ってしまった。それは彼女にとっての困難だった。


『夏希……!』


 セレネの言葉は悲鳴のようだった。

 知っていた。セレネは、夏希がこの後どうなるかを知っていた。


「う、う……うううう……!」


 あの時。初めて勝利をもぎ取った日。

 空っぽだった彼女は、苦しげに呻いていたのだから。


 知ってしまう。

 空っぽであることで担保されていた夏希の平穏は、単純な勝利を詰め込まれて輝いた。

 今、単純であることで担保されていた夏希の情熱が――新たな矛先を見つけてしまう。


『瞳! 貴女、一体!』

「セレネ君、失望させるな」


 夏希をいままで衝き動かし続けた、形のない情熱が。強者の哲学が。――手に入れろと叫んでいる。


「ううあぁ……っ!」


 雛森夏希は心を動かしてはならないのだ。

 誰にも動じないからこそ、勝利に揺らがないからこそ、


「分かっているはずだ。君だってそれを望んだのだから」

『だけど、こんな、強引なのは望んでない! 私が夏希に望んでいるのは!』

『無駄だよ、レディ。我が主が何を願っているか、君も知っているだろう?』


 セレネは歯噛みして、マルファスの一射を躱した。


『夏希!』

「セレネ、ごめん」


 ――欲しいと、思った。


「さ、言ってみなさい。何か理由があるだろう? 私の自慢の弟だ。ちょっと打たれ弱いけれど、思いやりがある。実は手先が器用だとか、そのくせドジだったりもするね。ギャップに惚れる気持ちはよく分かるよ。顔もまぁ悪くはない。ほら、君の理由を聞かせてみろ」

「ないよ」

「うんそうか、ないか……ない?」


 怪訝なその声音に、夏希は息を吸い込んだ。

 いつだって、理由を言葉にするのは難しかった。直感で生きて、直感で勝っていた。でも勝ちたがる理由はぼんやりと理解していた。


「うん。ない。理由なんて、後付けだ」


 生来から重病持ちで、ロクに学校にも通えず、その感性から友達を遠ざけ、社会には到底馴染めない性格で、挙句にゲームにのめり込んで実生活を捨てるような女だから。

 勝利は、そんな下らない一個人を、英雄に変える魔法の力を持っていて。

 結局それは、誰かに認められたいと――誰に認められても満足できないくせに――子供のようなわがままを押し通すための手段なのだ。


 チームを組んだのは多分打算だった。

 雛森夏希とチームを組めば勝手に勝ち進める、そう思ってくれれば彼と一緒に居続けられると、そう考えた。


 勝てばいい。尊敬と、畏怖と、そんな自分と一緒にいられることへの優越感が、彼を縛り付けると考えた。

 さいてーだ。人の考えることじゃない。こんな女だっていうのに。きっと彼を不幸にすると分かっているのに。


 私は欲しい。


「わたしは!」


 初めて見た時。その荒削りな輝きを見た時。その落ち込んだ顔を目にした時。

 いや――。


 私があの鳥の騎士に意識を向けたその一瞬、思考が切り替わったその一瞬、たった一瞬の間隙を突かれたその時だ。

 きっと私はあの時、た《・》。


 彼の機体がもう少しだけ格闘に秀でていたら、彼に武器を取り替える暇があったら、イスカちゃんが放心していなければ。

 チャージングの一瞬、幾らでも私を撃破することが出来た。


「修二くんに!」


 あのとき感じたのは、確かに敗北の足音だった。

 その過程は、確かに敗北に直結していた。


 ――それは夏希にとって初めてのことだった。


 そうだ、その衝撃を言葉にするには難しい。

 だから簡潔に、こう言い表すしかなかった。



「一目惚れだぁ、悪いか――ッ!」



 吠えながら、強く大地を蹴った。


 口にすれば、なんて単純。だけど、それを深く紐解くことは、きっと一生できそうにない。


 彼だけだ。雛森夏希に土をつけたのは。


 好きだ――この苦しみが好きということなら、私は誰より彼が好きだ。

 だってこれは、私のいつもの思いと同じ。

 勝っていない私が感じる苦しみと、おんなじだ。


 夏希は熱に浮かされ、加速する思考を止められぬまま、翼が溶けていく錯覚に肝を冷やして、今の自分から違う自分へ狂っていくのをどこかで感じて……混沌の渦中で溺れぬように、勝利という船にすがっている。

 瞳は、呆気に取られて引き金を引くことも忘れていた。


「君らしいな。あぁ……うん、夏希。実に君らしい。だけど」


 勝たねばならない。

 それはまさに麻薬に溺れるかのように、精神の健全性を保つための手段と化してしまっていた。

 夏希は今、苦しんでいた。


「ダメだよ。夏希、私はそれを認めない」


 アポローンは片足片腕で、剣を杖にしてようやく立っている状態だ。対するワンショット・ワンキルは全くの無傷。

 状況的な優位は見ての通りで、瞳は冷静に、これでようやくイーブンだと感じた。


「言いそびれたがね、私が勝ったら……」


 瞳ははっきり理解している。その技術が狙撃を避ける段階に入っている以上、小細工を必要としない夏希のほうが格上だ。


「――君には、修二と別れてもらうんだから」


 だから一切の容赦なく、火に油を注いだ。

 夏希の動きが止まった。


「私はね、元々、そうしてもらうために来たんだ」


 撃ち込んだ銃弾が二発とも弾き飛ばされるのを見送り、瞳は言葉を継ぐ。


「君が修二を手に入れたら……君は修二を不幸にする。姉としては見過ごせない。可愛い弟を毒婦にくれてやるつもりはないんだ」


 言葉の弾丸は届いている。

 ならば瞳は急所へ撃ち込むことを躊躇わない。


「修二の勝利を願っているんだ、私はね。――君と違ってさ」


 優位を背に、一切の油断も躊躇もなく、三丁の殺意が迸る。

 それを、滾る炎が跳ね除けた。


「そんなこと、分かってる」


 夏希は烈火となって踏み出した。


「分かってるから、苦しいのに――!」


 剣一つと足一本。それで狙撃を避ける。だけでなく、地を蹴り剣で押し出すように体を飛ばして、さらに使い切りのスラスターを全て消費して、夏希は速度に乗った。


 瞳は静かに照準を頭部に合わせて引き金を引く。

 瞬間、蹴り上げられた小石が弾丸を直撃して、彼方へ消え去った。開いた口が塞がらず、続いて送り出した銃弾の狙いがぶれた。


 化け物だとしか言い様がない。曲芸にしたって有り得ない。なんだそれは。ふざけるな。

 それでも、あの蝋細工の化け物はやってのける。進化こそが夏希の全て。出来ないことをその場でやってのけることが、雛森夏希の真価だと、瞳はとっくの昔に知っていた。


 雛森夏希は進化する。

 その翼が溶け落ちるまで、誰も追いつけぬほどの速度で。


「……その君を待っていたんだ」


 それでも、楽しい。

 強敵を前に全身が高揚していく。もう彼女の間合いにほど近い。

 余裕はない。敗北の瀬戸際に立つことで戦意は否応に高まっていく。


 くれてやるものかと口にしつつも、瞳はそれでもいいかと思っている。

 弟が苦しみの果てに何を見出すか、姉は知らない。

 もしも彼女が、夏希が修二を変えるというのなら、それはそれで嬉しいことだ。


「そうだ、来い! 蝋の翼を溶かしてでも!」


 だが、今の彼女に、今の修二を渡すことは許せない。

 それは徒にいたずら修二を苦しめるだけで終わるだろう。


 収束高圧粒子砲を解き放つ。

 夏希はそれを、あろうことか真正面から切り割いた。


 切っ先がどろりと溶け落ちる。だが、その名も無き巨剣は単純に体積と密度に優れていた。

 そして粒子砲とは、高エネルギーを持っただけの物理弾頭だ。切れない道理はない。

 だが、それをやるのは後にも先にもこの魔人だけだろう。


 体積を半ば喪失しても巨剣は鈍器としてはまだまだ健在。

 そして夏希は宙へ鋭く巨剣を投げつけた。粒子弾の雨を掻い潜るマルファスへ。


『その程度、食らうと思うてか!』


 当たるはずがない。セレネの牽制射撃を加味してもだ。マルファスはひらりと身を翻してそれを避けた。


『避けられると思ったの?』


 マルファスが避けた先に、影が落ちた。


 投げつけられた巨剣を、セレネの細腕が掴みとっていた。

 回転と投擲の勢いに流されつつも逆らわず、セレネは急激にその身を転じる。


『――成る程』


 回避軌道は、既に粒子弾が塞いでいた。


『害鳥退治と行きましょう、か――ッ!』


 がしゃん、と鈍い金属音。

 鈍器で思い切りぶん殴られた鴉の胴体は大きくひしゃげて、地上目掛けて落下していく。

 その機体を、無数の礫が打ち据える。


「マルファス!」


 瞳の視界に大破報告が流れる。


 セレネは間髪入れずに巨剣を投げ落とし、それは一歩下がったワンショット・ワンキルの眼前に着弾した。

 瞳は初めて機体を動かした。夏希へ近付く形で前へ。これで夏希は武器を失った。だというのに、夏希は恐れもなく直進してくる。


 視界の端にセレネが尾を引きながら地上へ降りていくのを見て、瞳は相手の企みを看破した。


「それでも、私は修二くんを連れて行きたい」


 至近距離、剣の届く間合い。そこに踏み込もうという時に、セレネはハンマー投げの要領で夏希へと落ちていた剣を投げ放った。

 片腕が破損した時に地に落ちた、無事なままの巨剣。

 瞳は空飛ぶ剣を撃ちぬいた。剣は夏希に届かず大地に突き刺さった。


 アポローンは装備なし、一方瞳の手にはもう一丁のスナイパーライフル。勝利は必定。引き金に指をかけ、引き絞り――。


「この苦しみを、いつか乗り越えていきたいんだ」


 アポローンはそこでぐるりと旋転した。

 地に突き立った壊れかけの剣を掴んで引き、最後の距離を稼ぐ。


 勢いよく全身を捻り、地上と平行になりながら、夏希は最後の一撃を繰り出した。


「だから」


 間に合う。たとえその引き金を引かれようとも。


「そこを」


 この重く硬い体は既に、止められるような速度ではなかったから。


「どけぇぇぇ――ッ!!!」


 ワンショット・ワンキルの頭部がひしゃげた。

 分厚い装甲に任せた、機械の動きとは思えないほどの鋭い回し蹴りが、ボールを蹴ったかのようにドローンの頭部をもぎ取った。

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