025 どうしようもないものから逃れたくて


 フィールドを一望する山の頂上に、悠然と構える四脚の狙撃兵。

 それを山の裾野で睨む、重厚な剣士。


「ししょー。こうしてちゃんと戦うの、初めてですよね」


 思惑に乗って、夏希は声を上げた。


「そうだな、あの時は結局、病気のせいで有耶無耶だった」

「その話は今はなしで、お願いします」

「なんだ? 修二にまだ話してないのか」


 夏希は立ち止まって、巨剣をもう一本呼び出した。出し惜しみはしていられなかった。


 生涯ただ一人の勝てなかった相手。

 世界最強の一角。空の王者。狙撃姫。師匠。

 ――乗り越えるべき壁。


 見上げる自分は山岳地帯の手前にいて、その頂上に瞳がいる。

 距離はあと少し、だがここから先が本番だ。今までのは小手調べ。夏希は直感していた。


「そうだ。私が勝ったら、呼び捨てにしますね」

「ならば私が勝ったなら、そうだな……」

「行きます」


 踏み込んで、駆け出した。


「私の話を聞け、馬鹿弟子が!」


 実体弾を剣で受け流し、前へ出る。

 狙撃銃と言ってもドローン規格のそれは旧時代の戦車砲に等しい。それを真っ向から防ぎきる技量と見切り。


「クソ、面倒臭いはこっちの台詞だ!」

「狙いが正確でっ、助かります!」

「ケダモノぶりは変わらないな!」

「そういうししょーは、また爪を隠してる」


 瞳は目を丸くした。


「本気で来てください――それを倒さないと、意味がないです」


 踏み込みで土煙が上がり、ブースターに煽られて広がる。もうもうと煙を引き連れて、夏希は岩の露出した山肌を滑走する。

 マルファスは咳き込むように笑った。


『お前の主も大概だな』

『おかげで毎日楽しいわ。あんたはどう?』

『くはっ、はははっ!』


 マルファスは高らかに笑った。


『私と空で戦い、生きている相手は数少ない。不満ばかりが溜まるものでね。さぁ……踊ろうShall weじゃないかdance, Lady?』

I'd Love to――撃ち落とさせてもらうわ!』


 言葉の応酬に合わせて、二人の間を粒子弾が駆け巡る。

 青と赤の粒子砲と噴射炎が図形を描き出し、それらは絶えず変化しつつも空を彩る。


 青い粒子砲が駆けるアポローンのすぐそばを掠めていく。

 当たらないなら見向きもしない。その先にいる師が全力を出す前に、少しでも距離を詰めようとして。


「あぁ、そうだね。君の言うとおりだ、夏希。少々甘く見ていたよ」


 背筋を怖気が駆け抜けた。

 ないはずの圧力が夏希を押し潰そうとする。

 大きな眼球に真正面から覗きこまれているような感覚。


 普段の道化ぶりからは想像もつかない、経験に裏打ちされた獣性が、獲物を狩るための牙を剥き出しにする。


 瞳は――実弾ライフルから片手を離した。


「うん、出し惜しみはなしだ。君は強すぎる。こんな大勝負、予選でやるようなもんじゃないね」


 格納武器の実体化。

 空けたその手にもう一丁、実弾スナイパーライフルを掴みとった。


 更に背中にバックパックが接続される。折りたたまれた砲身が開き、固定され、長大なその姿を露わにする。

 唸りを上げるコンプレッサ。高エネルギーに震える荷電粒子が、高圧下で今か今かと解放の時を待っていた。


「……収束高圧粒子砲? うそ、ししょー、それは流石に」

「嘘じゃあ、ないさ――!」

「狙撃とは言えないでしょ――!」


 その射撃の反動で、アンカーパイルで固定された機体が後ろへ滑っていくのを夏希は見た。


 避けられたのは幸運でしかない。

 殆どエネルギーと化した粒子の奔流はアポローンを丸ごと飲み込めるほどの太さで解き放たれ、大地の深くに突き刺さって行き場を失い爆発した。

 射線上の、岩や枯れ木を丸ごと消し飛ばして。

 過剰な火力。ふざけた貫通性。そして言うまでもない射程距離。


 電子戦艦の主砲に匹敵する火力が、仮想の草原を破壊していく。


 夏希ははっとしてアポローンの身を捩らせる。胴部深くに食い込んだ銃弾がエネルギーラインを破壊、最小限のアラートがそれを伝え、ブースターが大きく勢いを減じた。それでも右手を振って、頭部を狙った三発目は叩き落とした。


「三丁同時に使うとか、ししょー、流石にヒト止めすぎ……」

「君に言われたくはないよ」


 去年初めて出会った時も、世界大会で奮戦した時も、鷲崎瞳は一丁のライフルでのみ戦っていた。この一年でそこから二丁増えたというわけだ。

 夏希にとっては残念な――いや、幸運なことに、その射撃精度は些かも衰えてはいない。

 その一発が必殺の意思と共に撃たれるというのに、それが三丁。収束高圧粒子砲はチャージに時間がかかるはずだが、むしろ両手の二丁の連射速度は上がっている。


 無造作に、絶え間なく、急所を狙って撃たれる弾丸を、夏希は必死に避けて防いだ。

 気を取られた、と夏希は歯噛みした。アポローンは硬い機体を小さく作り、ブースターと脚部を合わせて必要な移動力を得ている。軽量級にしては異常な装甲の代償だ。ブースターを失うと極端に機動力が落ちる。その上相手の射撃頻度は先の三倍以上。


 全力を出すと決めた。

 夏希はほんの一瞬操縦桿から手を離して、ディスプレイの端の、あるボタンへ手を伸ばす。


「動力伝達系をぶち抜くって、ほんとにもう、ほんとに」


 夏希はぺろりと乾いた唇を舐めて、笑った。

 獰猛に。傲慢に。己が誰よりも強いという確信を乗せて。


 仮想のリミッターを、指で外した。


「――さいっこうだよ、ししょー」


 夏希の動きが変わった。


「あぁ、君もだ、夏希」


 装甲の数センチ横を掠めていった弾丸を見送り、瞳は呆れと驚愕に笑っていた。


 幽鬼のごとく、しかし確かな足取り。動きを読ませない歩法の妙。

 狙いをつけ、引き金を引く、その二動作のうちに射線から消えるのだから、霞を狙っているような心持ちだ。


 だらりと下げた両手の剣はあまりに自然にゆらりと揺れて、それが銃弾を反らす動きだとは思えないほど。

 正中を狙った弾丸は阻まれ、四肢を狙った弾丸は当たらない。

 その何処にも隙を見いだせない、永遠に続く溜めの姿勢。


 馬鹿げた表現をするならば、その動きは機械の皮をかぶった人間だ。

 果たして機械に脱力という動作は存在した。

 現実ならば剣術家が卒倒するような、仮想であることが悔やまれるほど、あるいは戦慄するほど――完成された動き。


 稀代の重心も姿勢も、一切ブレない。宙に浮いているかのよう。

 緩急の完璧なその動きは、或いは瞳の呼吸すらも測っているかのように、当たり前のように弾丸を避けてみせた。


「苦しむことを分かっていて、尚力を望む哀れな獣だ。勝利に縋らなければ歩けもしない大馬鹿者」


 夏希の操縦桿は、オーソドックスなスフィア-ペダル型だ。両手の仮想球の押し引きとフットペダルの踏み込みで大まかな動きを決め、諸々細かい動作は仮想球の表面のボタンやモニタのタッチで動かす。

 さらに細かい修正はマニューバに任せている。それでも、一般的なファイターより自動化している部分は少ない。


 夏希は今、それら拘束具の全てを取っ払った。


 雛森夏希のその類まれなる動的戦闘ダイナミクス適性タレントが可能にした、一つの境地。

 完全手動操作。


 ニューロンだかシナプスだかが作る脳のサーキットを、電流がこれでもかと駆け巡る。

 全身の粒子機械が悲鳴を上げるのを感じている。

 頭蓋骨の内側がぐつぐつに沸騰して溶け落ちる。


「さぁ、勝負」


 四つだったフットペダルは、五倍以上に増えた。

 スフィア型の操縦桿は消滅し、円を描くキーボード状に変化する。

 姿勢すらも検出するため、肩と腰に張り付くように操縦桿が描かれた。


 ドローンの指先一つすら自在に動かす、夏希の全力。

 その動きは、鋼鉄の体に血と肉が通ったよう。


 アポローンの動きは目に見えて変わった。

 ブースターを失い、速度自体は落ちたはずなのに、その動きのキレは瞳にとって瞬間移動にも等しかった。

 狙いをつけて引き金を引く、その二動作すらままならない。引き金を引くことが出来ない。

 現実でこの動きを真似ようと思って真似られるものは、数えるほどだろう。


 そんなものを、たかだか十八の小娘が『気が付いたら』覚えてしまった。


 瞳はそれが恐ろしい。

 自分が苦難の中で得た世界とは全く別のものを夏希は持っていて、それはとっくの昔に、瞳を遥かに超えていたのだ。


 軌道を狭めるために放った高圧粒子砲に、慌てることすらしない。

 柳に風とはこのことか。気がつけば射線から逃れていたアポローンは、続く二発の銃弾を当たり前のように躱している。


 ついには狙いをつけることさえ叶わなくなり、瞳は恐怖と戦意に震えていた。

 狙いをつけるというのは指先数ミリの動きでしかない。

 しかしそれですら、夏希の動きに追いつかない――。


「ケダモノめ。だけど、だから君は私の最高の、弟子だ」


 瞳は夏希の才能を深く理解していた。

 初めに出会ったその時から、雛森夏希は鷲崎瞳を遥かに上回っていたのだから――。


 瞳が彼女に勝ったあの時は、まだ夏希が狙撃という考えを知らなかった。だから最初の一射で勝負がついた。

 紆余曲折のうちに何も知らない彼女にV.E.S.S.の基本を手解きした頃には、瞳はもう夏希には勝てまいと思っていた。


 故に出し惜しみはしない。持てるカードの全てを切って、瞳は夏希を倒しにかかる。

 山の中腹まで登ってきた夏希に対し、瞳は通信回線を夏希とのプライベートに絞った。


 ――卑怯と言うなら言えばいい。勝つのは私だ。

 元よりこのために来たのだから。


 手札を切らない理由はない。「煽る」というのも立派な戦術。

 瞳は内心でほくそ笑んだ。


「ところで」


 夏希は後々まで「あれはずるい。ずるすぎる」と不平を唱え続けた。

 まさしく悪魔の囁きのように、その言葉は夏希の戦意をばらばらに乱した。



「――修二のどこが好きなんだい?」



 アポローンは足をもつれさせて、盛大にすっ転んだ。

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