008 タッグマッチ
『お時間です、修二様、夏希様。十一、十二番ピットをご使用下さい』
『あーあー待ちくたびれたわ』
イスカの一言で、セレネは大きく伸びをした。
「さいっこうの勝負をしようね、修二くん!」
「……お手柔らかに」
「よっしゃー行くよセレネ! 今日も大勝ちに勝つよぉ!」
『はいはい、任せなさいっと』
修二が言い終える前に、夏希は歓声を上げてすっ飛んでいった。
『……修二様』
「分かってるよ」
憮然としながら、修二はイスカを連れてカプセルピットへと向かった。
カプセルピットは円筒状の空間に座席が設えられただけの施設だ。
二人でいるには少々狭いけれど、イスカの戦場はここではなく、もっと上だ。
修二はウェアコンに触れた。指紋、整脈、生体電気の三つをクリアし、腕時計の時計盤に当たるタッチパネルに『認証』の二文字が光る。
地球上を覆い尽くした空間連結体ネットワークとウェアコンが繋がる。光学と量子学と機械工学、三種の精髄たるフォトニッククリスタルたちが光を閉じ込め、任意の状態で開放する。零と一の重ねあわせが無限大の演算を始める。旧世代の
フィールドサイズ設定終了。オブジェクト生成終了。物理法則を基礎値に設定。ナノマシン密度規定値で安定。
ロールドローン読み込み完了。アイセンサーとモニターとのハイパーリンク接続。コントロールスフィア形成。
修二の眼前を流れていくイニシャライズ・シーケンスは濁流のよう。
澄み渡る青空が、吹き抜ける風と波打つ草原で上書きされる。映像とは遥かに違う精度で描き出される戦場。
旧式光学投影に特有だった映像のちらつきを一切廃した、揺れる草の葉脈さえ描き出されるそれは、実体の有無を錯覚するほど。
ナノマシンが生み出す、電子の地平。
空間連結体ネットワークが与えた、究極の
「イスカ」
『かしこまりました』
――イスカのメイド服が『裏返る』。
ぐるりと、彼女の衣服が四次元的に変形していく。
イスカはそっとエプロンドレスの腰帯を解き、前掛けの裏に隠した。細い指先が腰回りを撫でた時には、布の縫い目が開いてめくれ上がるような形で、内側から鎧が露出した。
鎧の前面を包む前掛けをぴっと指で撫でつけると、指の軌跡には精緻な紋様が描き出され、はっとした時には勇ましいサーコートとなって鎧を包んでいる。
フリルのついたカチューシャを前に下ろせば、それは凛々しいサークレットに変じて彼女の額を守っていた。
差し出した右手が
重く奇妙な意匠の穂先を空に、愛槍の石突きを床に打ち合わせ、イスカは修二の号令を待っていた。
電子の妖精らしい、非現実的な変形。
楚々とした
ご命令を、修二様。
修二は彼女の好戦的な性格を知っている。従者の姿はカモフラージュであり、彼女が自分を抑えるための拘束具だということを。
冷静な仮面の裏で激情を胸に秘めていることを。
その体はナノマシンが投影する映像で、その声はナノマシンが振動して放つ音波だけれど。
彼女は今、大気というネットワークに触れ、修二の隣で修二の体温を感じている。
そして、その心の内で闘争の熱を高めているのを、修二もまた感じていた。
忠犬よろしく頭を垂れる厳かにして野蛮な従者に、修二は頷く。
「無理はするなよ」
『無理なご相談です』
カプセルピットの後部が開く。
オーガノイドの修二の目には、閉じたドアに極彩色の映像が映っているようにしか見えないが、その先はハイパーリンクによって上空百メートル地点に描画されたアリーナへ繋がっている。
「行って来い」
『かしこまりました』
イスカはそこへ身を投げるようにして、後ろへ飛んだ。
修二はそれを見送って、前に向き直った。
「『フェザーダンス』メインカメラ起動」
修二の言葉に従って、仮想のドローンが起動を開始した。
ナノマシンが前面いっぱいに映し出すアリーナの光景。青空と雲、眼下の草原。
ヘリに係留される機体は、空中で静止しているようだった、
「機体投下。作戦開始」
その一言とともに落下が始まり、すぐ隣にイスカが降りてきた。
その厳しい鎧姿。サーコートをたなびかせ、空中で振り返るイスカの相貌。
口には出さないけれど、修二は彼女を美しいと思う。
たとえ彼女が笑ってしまうような旧世代型で、どうあがいても新型に及ばない性能だとしても。
長い赤金の髪が落下に合わせてなびく様子は、羽ばたく翼のよう。同じ色の鳥に合わせてつけたイスカという名は、こうして彼女が空を舞う時真実になる。
だから修二は、その姿が砕け散るのを見たくはない。
それを守るのがきっと修二の役目であって、しかしお前ではそれを果たせないと修二は散々教えられてきた。
この、強者の支配する世界の中で。
『それでは』
『さぁ、さぁさぁさぁ!』
青空を、新緑を、弧を描いて切り裂く黒い槍。
パルチザンの鋭利な穂先はイスカの手によって弄ばれ、風を喰みながら敵を裂く時を待っている。
その隣に、翼を広げた天使が並んだ。
姿は変わらず、裸に布切れ。いかなアルゴリズムか、局部だけは映さないよう揺れる羽衣。
けれど戦場では、その背の大きな鋼の翼が目立っている。
鋼板を並べたような翼は、その実強靭な盾であり機関砲だ。
『参ります』
『せいぜい私を楽しませなさい、雑兵ども!』
モニター左部の映像回線に視線を移すと、夏希が意味深に修二を見返した。
修二はやや力なく笑い返した。
「さいっこうの勝負をしよう!」
「お手柔らかに、頼むよ」
遅れて着地する二つのドローン。
土煙の遥か向こうに、敵影を見る。
駆け出していく相棒を見送り、修二は使い慣れたアサルトライフルを手に取った。
さぁ、
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