第48話 044 悪名

 女は軽い足取りでもって、俺たちの一ケン半(三メートル)ほど先を進んでいる。

 相変わらず足音が全くしないのだが、どういう原理なのだろう。

 もしかして、ブーツの底に何かカラクリがあるのだろうか。

 そんなことを考えながら足元を眺め、それから足運びに秘密があるのかもと太腿を見詰め、何となくの流れで視線を上げて臀部を凝視していると、俺の尻に衝撃が走った。


「あだっ――」

『油断しすぎ』


 杖の石突による体罰と共に、ファズから再度の注意が飛んでくる。

 油断といえば、一分の隙もない女の身のこなしはどういうことなのか。

 態度はまるで無警戒なのに、こちらの一挙手一投足を全て把握されているような、そんな圧迫感を静かに放ってくる。

 ファズは規格外として、ここまで桁違いの力量を俺に感じさせた人物は、カイヤット教官くらいしか記憶にない。

 何なんだこの女は、と言い知れない不安に駆られつつ質問を投げてみる。


「……名前、聞いてなかったよな」

「あたしかい? フラン、とでも呼んでおくれな」


 偽名っぽさを隠す気もなく、女はそんな返事をしてくる。

 それにしても、不自然なまでに広い空洞だ。


「秘密の研究所を作るのに、よくこんな誂え向きの場所があったな」

「研究所になる前から、人目を避けたい連中が使ってたのさ」

「へぇ……元は鉱山関連の施設だとばかり」

「最初はそう。その後、ここら一帯を国から買い取った商人が、大々的に手を加えてショウカンを作ってねぇ」


 『商館』――という文字が浮かぶが、こんな辺鄙へんぴな場所に作る意味が分からない。

 ということは『娼館』の方になるのだろうが、しかし。


「どうしてこんなとこに」 

「こんな、街から遠く離れて人目につかない場所でしかできない、ってことも色々とあるさね」


 振り向いてそう語るフランは、妖しげに微笑んでいるが目が笑っていない。

 フランの言葉と態度から、その娼館で何が行われていたのかの見当は付いた。

 養成所に入る前、街で浮浪児たちと暮らしていた幼い頃から、欲望の成れの果てを抱え込んだ変態連中は見飽きている。

  

「それで、その娼館はどうなった」

「存在が噂になりかけたところで、経営に関わってた連中が全員行方不明」


 何者かの意思によって消された、ということか。

 国が対処したなら表沙汰にするから、利害の対立した犯罪組織の仕業とかその辺りだろう。


「人目を避けてたのに、バレるもんなのか」

「そもそも客としてやってくるのが、自制心の期待できないクズばかり。誰かが自慢がてらに秘密の一端を漏らせば、噂なんざそこから際限なく広がるさ……さて、着いた」


 石畳の先にあったのは、岩壁に設えられた両開きの扉だった。

 金属製の格子扉で、縦横が共に五ジョウ(十五メートル)はありそうだ。

 こんな巨大サイズの扉など、作るのも一苦労だろう。

 なのに、何故こんなものが必要になる。


「これは……」

「答えはこの先だよ。入口のかんぬきは外してある……けど、あんたらなら掛かったままでも平気か。あっちの鍵も、相当に頑丈だったんだけどねぇ」


 呆れ半分でフランが言っているのは、ファズが壊した二つの扉のことだろう。

 ファズが扉の片側を押すと、思ったより軽い動きで開いていった。

 中はそれなりに広いようだが、照明がないので様子は分からない。

 持ち出した光るガラス球を使うか、それとも使い慣れたランプにするか。

 軽く迷いつつ、気になっていたことをフランに訊いてみる。


「そういや、あの天井から下がってるのは何だ? その答えもこの先とか?」

「あれは【月光璃げっこうり】、研究の副産物さね」

「随分と便利そうだけど、商売にする気はないのか」

「大量生産に向いてなくてねぇ。そうなると、世に出してもどうせ王侯貴族にしか手に入らないさ。ランプに使う燃料の値段も、その燃料が何でできてるのかも気にしたことのない連中にしか、ね」


 倦んだ気配が滲んでいる物言いの中に、僅かにフランの素顔が覗いた気がした。

 が、それもすぐに二重三重の仮面で覆われる。

 そして、闇の奥で蠢く何かの気配が伝わって来た。


『合図が聞こえたら、一旦逃げて』


 厭な予感が膨らむのと同時に、緊張の気配が混ざった念が届いた。

 闇に潜むものが何なのか、ファズには判別できているのか。


「一つ教えとくと、ここで研究されてたのは『アート』さ」

「アート……エル語で芸術、だったか?」

「ふふっ、芸術ときたかい。芸術、確かにそう呼べないこともないかねぇ」


 フランは楽しげに、そして思わせぶりに笑う。

 明らかに危険な香りがするが、それでもいいかと思わせるほどに華やかだ。


「それで、フラン……あんたは一体、何者なんだ?」

「あたしは求綻者さ。但し『元』が付くけどね」


 と、いうことは現役を退いているのだろうか。

 外見的には、引退しなければならない理由はなさそうだが。

 軽く悩む俺を他所に、フランは懐から丸っこい何かを取り出した。


「折角会った後輩だし、ついでに教えとこうかね……あたしは【悪名あくみょう】持ちなんだよ」


 何気ない調子で放たれた一言に、全身の肌が隈なく粟立あわだった。

 悪名――求綻者の栄誉である異名いみょうの対極にある、忌むべき称号。

 

 協会の叛逆者。

 社会の破壊者。

 世界の敵対者。


 協会を追放処分となった求綻者に冠せられる最大級の不名誉、それが悪名だ。

 世間に広く知られた悪名持ちは二人いる。


 一人は、かつてレウスティ西方に存在したエルディオン王国を所在地の列島ごと一夜にして消滅させた【全沈淪アナイアレイター】ハンス。

 エルディオンの国土と国民をまとめて海に沈めた暴挙は、出身国のアーグラシアではごく一般的な名前だったハンスに、特別な意味を持たせることとなった。


 もう一人は、征服戦争を起こそうと企んだ【僭君子タイラント】ネクザリカ。

 東方辺境、旧セリューカ帝国領に自らの大勢力を築き、軍勢を率いて西へと進軍を開始した直後、不慮の死を迎えてその野望は頓挫したと伝えられている。

 そんな生きる災厄と同レベルの元求綻者が、俺の目の前に。


「じゃあ、あたしこと【愚者火フェイクメンター】フランから、ちょっとした余興の贈り物といこうじゃないか」


 そう言いながらフランが手にした丸いものを振ると、そこから耳慣れない奇怪な旋律が流れ出た。

 ほぼ同時にガンッ、とファズが扉を殴りつける音が聞こえた。

 続いて、暗闇の奥から湧き上がった耳を聾する咆哮が、地下の湿った空気を震わせる。

 俺はその振動を背中で感じながら、打ち合わせの通りに一目散に逃げ出した。

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