四章(ライザ 鐘後217年3月)

第34話 031 失踪

「この国も久しぶりだ」

「あれから一年以上になりますか」


 ディスターの言葉に、『コロナの怪物』と呼ばれた閑寂猴しじまざると、微細裂みじんぎりの異名を持つ元求綻者の老戦士バーブを相手に繰り広げた、深夜の森での死闘が脳裏に甦る。

 あの検訝けんげんは、痛みと苦みを伴ったトゲとして、まだ自分の心に刺さったままな気がしている。


「しかし……いよいよ雲行きが怪しい」

「冷害は収まったものの、民衆が逃げ出していますな」

「無理もない。荒廃を立て直す機会は、何度もあったというのに……」


 アーグラシア王国政府は、何もしなかった。

 いや、凶作への対応として税の減免は行われた。

 ただ、減税による恩恵を受けることができたのは、王家の直轄地に暮らしている一部の住民と、各地の領主である有力貴族のみ。

 大多数の貴族の支配地では、例年通りの苛烈な取り立てが行われ、農民達の生活は瞬く間に困窮していった。


 開明的な数名の貴族は、租税を免除し食料を配給する救済措置を行った。

 更に慈悲深い十数名は、王に倣って自領の税率を下げたと聞く。

 だが、殆どの領主はこれを好機と判断し、支払い不能に陥った農民から土地を奪い、生活手段を失った人々を農奴化していった。


 どんな反発を受けようとも、王はこの悪循環を止めるべきだったのだ。

 しかし、若く未熟な王アルブレヒトは「民を救済すべし」との忠臣の進言を放置し、凶作に乗じて利を得たい大貴族共に言われるまま、全国的な惨状を無視し続けた。

 結果、市民の暴動や農民の強訴が続発し、失業者や逃亡農奴による犯罪も激増、アーグラシア全土の治安は急速に悪化することとなった。


 そんな状況を受けての政府の対応策は、民兵組織であった護国義勇軍ごこくぎゆうぐんを【救国親衛軍きゅうこくしんえいぐん】として正規軍に編入し、治安維持と暴徒鎮圧を任せるという愚挙だった。

 大義名分を得た自称愛国者達は、人々の悲痛な叫びを問答無用で踏み躙る。


 不用者トラッシュを排除していた『剪定せんてい』は、不穏分子と不穏分子の協力者を対象とした『浄化じょうか』へと転じ、理不尽な暴力で多くの人間が殺害された。

 更には、反乱を企画している“疑い”があるだとか、逃亡農奴を庇った“可能性”があるといった曖昧な罪状によって多くの人々が逮捕・勾留され、財産没収の後に僻地の強制収容所送りとなっている。


 救国親衛軍の活動によって、確かに暴動や強訴は殆ど発生しなくなった。

 だが、暴力で民衆を従わせるのには限界があり、その限界値は為政者が考えているよりも相当に低い。

 他国にいても悪い噂ばかりが耳に入っていたが、今回の検訝で首都のアーグラから東の大都市コロナを経て、そこから更に東へと移動する旅を続ける内に、各地に漂う雰囲気が『嵐の前の静けさ』に近いのを実感させられた。


「今回のげんも、随分と不審ですが」

「ああ……」


 始まりは、三ヶ月前に認定された訝だ。

 ルセニに近い東部の国境地帯で、アーグラシアの警備兵が小隊丸ごと行方不明になったり、監視施設や小集落が襲撃を受けて全滅したりの事件が続発しているので、その原因を突き止める――というのが宣訝片せんげんびらに書かれた内容だった。


「ルセニによる軍事行動か、反政府組織によるゲリラ活動の可能性が高そうです」

「その辺りだろうな」


 訝の中身よりも、誰が考えても人為的な事件が訝として扱われ、解決の依頼が検訝協会こうげんきょうかいへと回ってくる、そんな不自然な流れの方がキナ臭い。


「どれだけ疑わしい状況でも、証拠の無いまま軍や政府関係者を動かせば、首謀者がルセニだった場合は攻撃の口実を与えかねません。ですから、アーグラシアは密偵代わりに求綻者を使おうとして、何らかのルートで協会へと持ち込んだのでしょう」

「迷惑な話だが、実害も出ているからな」


 宣訝片では星七つと高難易度に設定されていて、普通ならば能力に相当な自信がある者しか手を出さないレベルだが、用意されている特別褒章が曲者だった。

 特別褒賞のある訝は時々見かけたが、ランクアップというのは初見だ。

 大多数の求綻者達もそうらしく、かなりの話題を集めて挑戦者も相次いだ。

 既に十組以上が検訝に向かったが、その殆どが消息を絶っている。

 私達がこの国にいるのは、不明求綻者の探索を協会から直々に依頼されたからだ。


 アーグラシア東部国境の街、ソミア。

 以前は農村に毛が生えただけの典型的な地方都市だったが、ルセニで起きた革命を期に要塞化が始まり、現在では二重の城壁に囲まれた軍事拠点となっている。

 求綻者にはあまり縁のない場所だが、この先から国境までは人家が殆どないので、周辺の探索を行うならばここを足場にするしかない。


 昼過ぎにソミアに着いた私達は、宿をとった後で簡単な打ち合わせをし、二手に分かれて街へと出る。

 ディスターが酒場と各種商店、私が軍関係者という分担だ。

 兵士や下級将校なら話もしやすいだろうと判断し、まずは正門近くの倉庫前で暇そうにしている軽武装の兵士達に声を掛けてみた。


「ちょっといいか?」


 兵士としては年が若すぎる長身の少年と、兵士としては年を取りすぎな短躯の中年が、揃ってコチラを見返してくる。


「あ? 何だぁ、姉ちゃん」

「デートの誘いなら、日が落ちてからで頼むぜ」


 アバタ面に似合わぬ少年のキザな言い回しに、中年はゲラゲラと笑う。

 軽い皮肉の一つも挿みたくなるが、それは飲み込んで控え目な笑顔で話を続けた。


「残念ながら違う。ちょっと訊きたいことがあってな」


 そう断ってから、国境地帯やソミアの近辺で発生している異変について訊ねてみたが、宣訝片で読んだ以上の情報は得られなかった。

 そちらは期待していなかったので、不意に思い出したように本題の方を切り出す。


「そういえば――近頃、街で求綻者を見かける回数が増えたりしてないか?」


 一見して普通の旅人や傭兵のようでも、求綻者は基本的に人外と行動を共にしているので、大体は明らかにそれと分かる。

 ディスターのように、どう見ても人間なレゾナは例外だが。


「求綻者、ねぇ……最近も何人かは見かけた気もするが、そんな増えてる感じはねぇな。お前はどうだ?」

「そっすね。特に気になるってのはないっすわ。あー、強いて言えば何かキンキラキンな雰囲気の変な女がいたぐらいかな。犬人コボルトと一緒だった」


 犬人を連れたキンキラ云々というのは、悪い意味で大陸西部で名を馳せているあいつのことか――心当たりに即座に思い至り、軽い頭痛が湧き上がる。

 レウスティ連合王国内、バレガタン公国の旧家アレアゼ伯爵家の三女、レモーラ・ド・アレアゼ――私より四つか五つ年が上で、一応は遠縁の親戚に当たる。

 私と同じ求綻者ではあるが、面倒臭いにも程がある性格なので、極力関わらないように注意しているし、普段は存在そのものを忘却しようと努力しているのだが。


「邪魔したな。もし、求綻者に関して妙な噂を聞いたら、商業区にある青い壁の宿屋……分かるか?」

「ああ」

「そこの三号室を訪ねてくれ。使える情報だったら、些少だが礼金も出す。何なら仲間にも広めてくれ」


 礼金、という言葉に微妙に反応した二人に軽く手を振り、その場を後にする。

 更に何箇所かで同様に話を訊いてみるが、収穫らしい収穫は得られなかった。


「どういうことだ……」


 小声で独り言ち、その理由を考える。

 検訝の最中に姿を消しているなら、不自然な数の求綻者がうろついていたはず。

 それがないのは、国境地帯に辿り着く前に事件に巻き込まれたということか。

 或いは、私が考えているような事件ではなく、別の何事かが進行しているのか。

 判断しようにも情報が足りない――私は具体的な手掛かりを求めて、ソミア駐留部隊の司令部に向かうことにした。

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