第23話 022 『フランという女』
――来る。
そう知覚したのとほぼ同時に、周囲の空気が激しく乱れた。
老人が次々に繰り出してくる致命的な旋風は、受け止める長剣の刃毀れを急速に悪化させる。
「ぬっ――くっ!」
食い縛った歯から、声にならない音が漏れた。
対するバーブの息も、随分と荒くなってきている。
金属のぶつかり合う音に混ざり、バーブが落ち着いた声で語り始めた。
「ワシの娘――ミリアムは足が不自由だった」
左右から挟撃してくる刃を屈んで避ける。
「子供の頃に馬車の事故で、右の膝から下を失っていてな」
左上方から振ってくる斧をガードで受ける。
「義足だが杖があれば一人で歩けるし、仕立て屋として働いてもいた」
右下方から迫る一撃を際どいタイミングで弾く。
「妻に早死にされて男手で育てた一人娘だが、それなりにいい子に育ってな。三年前には結婚もして、本当なら今頃ワシには孫がいた――いたハズだった!」
狙いの曖昧な斬り込みを飛び退いてかわす。
攻撃の手を休めて肩で息をしているバーブは、異様な眼光でこちらを睨んでいる。
「そこで、義勇軍とやらが出てくるのか」
「ああ……その日、娘はカール――夫のカールと一緒に、買い物に出かけとった。産まれてくる子供の、赤ん坊のベッドを買いに、だ。その最中、
恐らくは、聞くに堪えない罵詈雑言を投げつけられたのであろう。
障害者を貶める言葉の数々を思い出したのか、バーブが大きな溜息を吐く。
「娘夫婦を罵る内に、興奮したリーダー格の男が剣を抜いた。脅しだったのか本気だったのか、今となっては分からん。だが、カールは娘を守ろうと相手に掴みかかり、別のメンバーに後ろから斬られた。頭を割られて即死だ。夫に駆け寄った娘は、腹を刺し貫かれて殺された……赤ん坊も、助からなかった。ワシはその日、家族全員を失った」
凄惨な情景が、悲鳴と血腥さを伴って脳裏に再生される――
音と臭いの元は、ディスターに追い詰められつつあるサルだったが。
「五人連れのゴミ共は、自分らの引き起こした惨状に多少はうろたえた様子だったが、その内に気を取り直すと、見物人を蹴散らしてどこぞに消えたそうだ。用事で町を出ていたワシが事件を知ったのは、葬儀も埋葬も終わった後だった……」
「その憤りは理解できるが、何故に無関係の村や町を襲った?」
答えを予期しながらも、一応は訊ねてみる。
「分かりやすく火の手を上げてやらんと、王も貴族も自分の足下で何が起こっとるのか、それを知ろうとさえせんからな」
「ナイフェン伯の屋敷を襲ったのも、それが理由か」
「それもあるが、単純に家族の復讐でもある。あの日、娘夫婦を襲った五人を率いていたガキは、ナイフェン伯の三男ヨーゼフだ」
「だが、お前と
言い終わる前に、私の抗弁は厭な哄笑に掻き消された。
「本当か? 本当に罪はないのか? 幼子や老人が棄てられ、同年代の子らが奴隷や娼婦として売られ、その親は飢えと疲れで命を削りながら働き続けている。そんな現実を他所に優雅に遊び暮らしていたガキは、『知らなかったから仕方ない』で許されるべきなのか? なぁ、どうなんだ嬢ちゃんよぉ!」
バーブの身体が低く滑るように宙を舞い、二挺の斧は月光を鈍く乱反射する。
自分の言葉で熱くなり、平常心が失われている――勢いに任せただけの連続攻撃を受け流しつつ、大きな隙が生じるのを待つ。
不用意な踏み込みからの斬撃を跳ね返すと、バーブは無防備な右半身を眼前に晒した。
誘い込もうとした罠か――いや、ここだ。
振り上げる形で制止させていた長剣、それを渾身の力で肩口へと振り下ろす。
何度味わっても不快な、肉を裂き骨を砕く感触が伝わってくる。
「ぐっ――」
「びゅぎゃぁぁあああぁぁああぁあぁあぇあっ!」
バーブが声を上げると同時にサルの絶叫が轟き、周辺に僅かに居残っていた鳥達が夜空に逃げ散る。
非常識な金切り声が脳を激しく揺らす――どうなった、何が起きた。
『御見事です。こちらも片付きました』
ディスターから届いた言葉と、右腕を斬り飛ばされて蹲るバーブの姿に、自分らが勝利した事実を漸く認識した。
「くぉおおぉ……おぅおぉおおぉ……」
血を噴く傷口を押さえ苦痛に呻くバーブは、一呼吸ごとに生命力を磨り減らしている。
手早く止血しないと長くは持たないだろうが、さて――どうしたものか。
「助命しても、待っているのは拷問の果ての処刑ですが」
迷っていると、背後からディスターの声がした。
放って置けば死に至るだろうが、傷を手当して見逃せば助かる可能性はある。
しかし回復したバーブは、再び破壊活動に身を投じることになるだろう。
――討つしかないか、やはり。
そう決心すると、左隣まで歩み寄ってきたディスターが小さく頷くのが見えた。
「バーブ……
「へっ……やり残したこたぁ多いが、言ってどうなるモンでもねぇな……ただ、こうなったのも何かの縁だ……先輩として少しばかり忠告しとこう」
苦しげな息遣いではあるが、バーブは意外なほど明瞭な発音で言葉を紡ぐ。
そして、右肩から派手に血を散らしつつ立ち上がった。
「きっと……
バーブの話に、危うくこちらの呼吸が止まりそうになる。
管区長はヴァルクとアーグラシアの第一管区、ルセニとソニアの第二管区、レウスティとガッツェーラの第三管区、ルセニより先の東辺管区の四地域における責任者で、総帥と副総帥に次ぐ地位にある抗訝協会の最高幹部だ。
そして第三管区長はロベール・ド・レウスティ――先々代レウスティ王の弟の息子、つまり私の従叔父だ。
「それと、だ……いずれ嬢ちゃんの前に、銀色の髪の若い女が現れる……かも知れん。褐色の肌と銀色の髪の、フランという女だ。そいつの話には、真剣に耳を傾けろ……あの姉ちゃんはきっと――」
「ごっ、ぼぇああああああああっ!」
バーブの語りを遮って、絶叫や悲鳴ではない咆哮が耳に刺さった。
新手か――と視線を巡らせると、倒されたはずのサルが猛然と突進してくる。
「しっかりと! トドメをっ! 刺さぬかぁあああっ!」
「心臓を貫いておいたのですが」
デタラメに振り回されるサルの腕、それを必死に避けながらの抗議に、ディスターは余裕でかわしながら涼しげに返してくる。
反撃に転じようと長剣を抜き放つ――が、重傷のサルは瀕死のバーブを抱えて、森の中へと姿を消していった。
「確か、あの方向は……」
「つまり、そういう事なのでしょう」
サルが目指した先は、恐らくノーラ達の村だ。
このままにしておけば、『コロナの怪物』が村ぐるみで引き起こされた事件だと確定してしまう。
正確に報告するか適当に誤魔化すか、どちらを選ぶにしても気が重い。
木の葉が覆った天を仰ぎ、刃毀れした長剣を鞘に収め、憂鬱を気化させた溜息を吐く。
「とりあえず、村に向かいますか」
「そうだな。それにしても、
ディスターは何も言おうとしなかった。
私は、何と言って欲しかったのだろう。
そして、バーブは何を言いかけたのか。
心身ともに疲れているが、ここで立ち止まっても終りは来ない。
待ち構えている悲劇的な幕切れを予感しながら、血溜まりに転がっている異形の斧を睨んだ。
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