第10話 010 『ヘンなニオイ』

 やがて森を抜け、整備された街道へと辿り着いた。

 月明かりで確認できるのは、どうにも見覚えのない風景だ。

 しかし、月と星の位置で首都リュタシアの方向は分かる。


『リムも旅に慣れてるのか』

「まぁ、それなりには。レウスティから出たことないけど」


 そういえば、ファズは結構な距離を旅してきた様子だった。

 ここに来る前はどこに――と思いながら隣を窺ってみる。

 だがファズは、夜空を見上げてコチラを見ようともしない。

 どうやら語りたくない事柄らしい、と判断して俺は話題を変える。


「……旅してる間、寝泊りはどうしてたんだ?」

『大体は樹の上。あとは洞穴とか』

「宿に泊まってないだろうと思ったが、予想以上にワイルドだな」

『移動は基本、山の中か森の中だったから』


 確かに、鬼人が堂々と街道を歩いていたり、街中に姿を現したりすれば大騒動になる。

 街道を離れての旅は治安の悪さがハネ上がり、少女の一人旅など自殺行為以外の何でもない。

 だが、ファズなら熊や狼は勿論のこと、武装した山賊団でも楽勝で蹴散らせるだろう。

 実際のところ、今日も十人の盗賊を相手に無傷の圧勝だったし。

 危なっかしいのは凶悪な新生物ヴィズ不明新生物アンに遭遇した時くらいか。

 

『この十年、どんな相手でも危ないと感じたことはない』

「そ、そうか」


 俺のレゾナは、随分と頼もしいようだ。

 それはさて措き、今夜はどうしたものか。

 個人的には、ベッドでゆっくりと寝たい程度に疲れているのだが――

 問題になるのは、やはりファズの髪色だな。


「なぁファズ、今日は宿屋に泊まろうと思うんだが……」

『リムに任せる。髪が問題なら隠そう』

「ん、そうしてもらえると助かる」


 ファズにはマントやコートの用意がなかったので、俺の持っていた雨天用のフードつき防水ポンチョを着せる。

 天候的にはやや不自然だが、マントに見えなくもないので大丈夫だろう。

 にしても、これからのファズとの旅を考えると、頭を隠すアイテムは必須になりそうだ。

 ついでに、俺じゃない相手との会話をどうするかって問題も考えないと。

 そんな諸々を検討をしている内に、ファズから凄い顰め面を向けられているのに気付く。


「うぉ! 何だ? どうした?」

『くさい』

「……えっ?」


 またか――警戒心が全身を強張らせた。

 しかし、ファズは小さく頭を振る。


『違う。この服が、くさい』

「あ、ああ……水を弾くように使われてる、ゴムってのが臭うんだ」

『むぅ』


 そういえば、ファズの言っていた悪臭について詳しい説明を聞いてない。

 俺はそこに思い至り、不機嫌さを丸出しにしているファズに確かめてみることにした。


「あの盗賊連中に言ってた『くさい』ってのは、結局どういうことなんだ?」

『楽しんでヒトを殺す奴は、どいつもこいつも同じ……とても厭なニオイがする』


 つまり、過去の悪行や醜行を臭気として知覚している、ということなのか。

 そう心中で問うと、ファズは少し迷った後で自信なさげな表情を向けてくる。


『詳しくは分からない。ただ、ヒト殺しの泥棒なんかは、ハラワタが腐りそうなニオイだ。殺したくなる程くさい』

「へぇ……何をしてきたのか、が臭ってくるのか」

『何を考えてるのか、それもちょっとだけ分かる。嘘と憎しみは分かりやすい』


 負の感情も、やっぱり得体の知れない厭なニオイなんだろうか。

 そんな風に推測してみると、ファズが小さく頷いた。


「普通の人にも、ニオイはあったりするの」

『あっても少し。土に似ていたり、花に似ていたり、犬に似ていたり、魚に似ていたり。時々は、何のニオイもしないこともある』


 ファズの感じるニオイが、個人の過去や精神状態に由来しているならば、全くの無臭はどういう状態なのだろう――と、そこで気になる点が浮かんだ。

 訊こうかどうか、ちょっと迷った末に思い切って質問してみる。


「なぁファズ。俺は、その……どういうニオイなんだ?」

『リムは……』


 ファズの表情に、明らかな困惑の色が混ざった。

 しかも、足を止めてまで考え込んでいる。

 これはヤメときゃよかったタイプの流れかな、という後悔に苛まれていると、ファズの声が頭に響く。


『ヘンなニオイ』

「変……変、なのかぁ」


 数十秒の黙考を経てのそんな返答に、全身の力が抜ける。


『変わってるというヘン。厭なニオイじゃない』


 落ち込む俺に気を使ってるのか、単に正確を期そうとしただけなのか。

 理由はよく分からないが、ファズからの補足説明が入った。


「どういう原因で、変なニオイになってるんだろうな……」

『不思議なニオイだ。気になって探したら、そこにリムがいた』


 それが、あの岩場での出会いの理由だろうか。

 胸元を開いて嗅いでみるが、乾いた汗のそれが微かに残っている程度で、ファズの言うような臭気は感じ取れない。


「変って言うけど、具体的には何に似てる?」

『何にも似てない。だから、ヘンなニオイ』


 言葉を選んでいたのか、ファズは暫く間を置いてからそんな言葉を呟いた。

 よく分からないが、共鳴が起きた事と関係があったりするのだろうか。

 薄い月明かりに照らされた、ファズの横顔を眺めてみる。

 すると、彼女の琥珀の瞳が俺を見返してきた。


 そこには、出会ってから初めて目にする、柔らかな表情がある――ように思えなくもない。

 いずれは、屈託のない笑顔なんかも見れたりするのだろうか。

 そんな思いを投げてみたが、ファズの視線はまた遠くの空に向けられて、それから宿に着くまで俺を見てはくれなかった。

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