暗闇の子供

 ねじくれた時間の穴に、チンコが挟まって、抜けなくなりました。

 あわあわして引っこ抜こうと必死になっているところに、子供の泣き声が聴こえてきました。

 声のする方を振り向くと、子供バージョンの不知火くんが凍った炭素棒の間で、潰れた花束を抱きかかえて泣いていました。

 どうして泣いているの? と、ぼくは訊きました。

「だって、残酷な夏だったんだ」と、不知火くんは言いました。「母さんの誕生日だったから、何かプレゼントしようと思って、団地の周りに生えているツツジをいっぱい集めんだ。ツツジのお尻から吸う蜜はとっても甘いんだ。いっぱい集めて腕に抱えたんだ。母さんはきっと喜んでくれるに決まってる。僕を褒めてくれる。それを考えると胸がワクワクした。こんなに楽しいのは初めてだった。なのに」


《ねえ!》

 と、声がした。ギクッとした。一号棟に住んでる×××ちゃんだった。僕は、いつも、この年下の女の子にいじめられる。どうして僕をいじめるのだろう。

「なにやってんの?」

「なにもしてないよ」

 僕は集めたツツジを隠そうとして、しゃがんだ。

「お花集めてんの?」

「ちがう」

「手伝ってあげよっか?」

 意外だった。

 いつも僕の邪魔をしていじわるをするのに、母さんのために手伝ってくれるだなんて。もしかしたら、×××ちゃんはいい奴だったのかもしれない。

 世界が明るくなった。

 それから一日中、ずっと、ツツジを集めた。

 集めたツツジは団地の広場の片隅に置いた。夏になると朝六時半にこの広場に集まってみんなでラジオ体操をするんだ。あたらしい朝が来た、きぼうの朝が。ハンコをもらって、夏の終わりにお菓子をもらうんだ。だから、この広場に大切な花を集めることはとてもナイスな考えだと思った。

 甘い蜜の匂いがする。

「見張っててあげるよ」と、×××ちゃんは言った。

「うん、ありがとう!」と、僕はすがすがしい気分で、ツツジを集めに戻った。

 あったかくて涼しい風だった。青い筋の蝶々が飛んでいる。夢のようだった。お母さんはきっと喜んでくれるだろう。いじめっ子の×××ちゃんと、仲良くなれて、みんなの輪の中に入れたことを祝福してくれるだろう。母さんに喜んでもらうために必死になって赤い花を集めた。膝をついて、土まみれになって、手が黒く、靴下も汚れて、それでも一生懸命、僕は花を集めた。

 ウキウキしながら広場に戻ると、集めた花がグチャグチャにすり潰されていた。×××ちゃんが、手のひらに灰色の平たい丸い石を握って、ごりごりと花をすり潰していた。花の蜜が地面のコンクリートを黒く染めていた。

「なんで?」

「だって、こうしたほうがいい匂いになるでしょ?」×××ちゃんがいじわるに笑った。

 悲しみが喉を締め付ける。泣くつもりなんかなかった。でも、どうしても涙がこぼれてしまう。「あああん、ああん、あああああん」

「なによ! せっかく手伝ってやったのに! あたし、知らないんだから!」

 せっかく母さんのために集めたのに。

 空は炭の棒のように青黒く染まって、そのあいだが蜜のようになっていた。夕日が地平線に吸い込まれて、みんな消えてしまう。カラスが鳴いて、帰りのチャイムが鳴った。どこかのおばさんが、ベビーカーを押しながら、「いいこいいこ」と言っている。

 僕は土まみれになった手で、涙をごしごし拭いた。つぶれてふやけた花束を両腕に抱えて家に帰った。母さんはリビングで夕食の用意をしていた。お誕生日おめでとうと言おうとしたのに、しゃっくりが止まらなくて言葉にならなかった。

 そして、母さんが言った。

「ドロだらけじゃない! なんなのよ! そんな汚い花なんか捨ててきなさい!」

 世界が真っ暗になった。

 しゃくりあげながら、僕は家を飛び出した。公園のブランコで一人でギコギコ漕いで、絶対に家に帰らないぞと決心した。すぐに寂しくなった。

 砂場で腹に卵をたっぷり蓄えているかまきりを石ですり潰している子がいた。知らない子だった。こっちを見て、目があった。にこっと笑った。「いっしょに遊ぼうぜ」彼は言った。

 僕と彼は群青色の夜の中で遊んだ。一緒にトンボの羽根をちぎったり、カエルを爆竹で焼き殺したりして遊んだ。

 草むらに段ボールを敷いて、秘密基地をつくって、ポケットに入ってたラムネを一緒に食べた。美味しいね。と、言い合って。そしたら突然「なあ、殺し合いしようぜ」と、彼は言った。

 何をいってるのか分からなかった。いきなり、首を絞められた。食べかけのラムネを吹き出してしまった。窒息して死んでしまいそうになったので、僕は彼の顔面をバンバン殴った。彼のTシャツに染みこんだ爽やかな汗の匂いがした。《ああ。このまま、死んじゃってもいいや》と、思った。なのに、パッと手が離れた。彼はニコニコ笑っている。悪意のない純粋な瞳が、きらきらしていた。そして、彼が言った。「じゃあな。楽しかったよ」そのまま走ってどこかへ行ってしまった。小学二年生の夏のことだった。

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