嫉妬

 

 透明の存在に色がつく。打たれた頬を押さえる血の気の薄い手首、手のひら。蜜を塗りつけたような真っ赤な唇。暗黒に輝く瞳は、狂った三日月。罪深い色をした髪は、三つ編みに結わえられ、額には反り返った山羊の角が生えていた。


 そして、消えるのだ。


「あっははは」


 と、消えたまま、亜門アスカが笑っている。

 わたしはアキラの肉体と魂を意識の底に隠した。


「気取ってんじゃねーぞ?」


 いつの間にか、唇が接しそうな位置まで迫って、頭から冷たい液体をぶっかけられる。


「ノンアルコールのビールなんかで酔っぱらいやがって。このゴミが」


《この悪魔!》と、意識の中の大黒アキラが、叫ぶ。

 アスカが内臓を零しながら消えてしまう。


「「「ガキは黙ってろバーカ」」」


 ありとあらゆる方向から声が反響する。わたしの身体が吹っ飛ぶ。アバラからバキバキと音がした。粉塵が舞っている。


「いったいなにがしたいんだ? おまえは」と、わたしは血を吐きながら言う。


「なにしたっていいじゃん。どうせ、《操り人形なんだから》」


 ふざけきったアスカの瞳の奥に、憎悪と恐怖の色が微かに浮かんでいる。

 今、おまえに、わたしの声が聞こえているか?


「え? きこえなーい!」


 舐めるなこのクズ。


「ペロンチョ」


 氷のように冷たい舌の感触がナメクジのように右頬に這う。


「苦ッ! にがーい! 超まずい!」天を睨みつけてアスカは叫ぶ。「さっきから、ぼくのことをおまえおまえって、おまえ。うるせーんだよ。なにが天使だバーカ。死ね! 血い吐いてくたばってるてめえがぼくより高いところに立とうとしてんじゃねえぞ」


 腹が蹴られる。何度も、しつこく、執拗に。口がネバネバする。

 おまえはこんなことをして楽しいのか?


「ああ、楽しいね。超楽しい。人が苦しんで死ぬのを見るのはほんと楽しい。きみはミステリ小説は好きか? 犯人が人を殺して探偵が推理ごっこして最後に犯人が捕まって死刑になったり銃で自殺したり崖から飛び降りて死んだりすんの見るのが好きじゃないのか? そういう偽善的な勧善懲悪がお気に召さないなら、復讐もののハードボイルドなんかどうだ? 愛する家族を殺された父親が復讐鬼になって悪い奴を追い詰めて拷問して殺すとかそういうの面白そうでしょ? 見せてやるよ? 見たいだろ!」


 アスカは、額に生えている禍々しい山羊の角を引っこ抜く。血が激しく吹き出して、灰色のコンクリを真っ赤に染めていく。ツノが水銀になって溶け落ちる。コンクリートの上で血に混ざって蠢きながら人間の肉体に変化する。それは、亜門アスカの主なる存在。それは紛れもなく、おまえ自身の姿で、おまえはわたしの知る誰よりも柔和な顔をしている。他人を傷つけることなど絶対にできないといった感じの顔をしている。しかし、その瞳の奥から、ゾッとするような邪悪な感情が溢れ出していた。

 アスカが、舌なめずりをしながら、水銀と血液から構成されたおまえの体の背後から腕を回す。その首筋を齧っている。


「あんたはこいつを殺したいんだよね? こいつが苦しみ抜いて死ぬとこみたいんだよね」


 アスカがそう言って、スカートのなかに手を突っ込んで《SUPER-EGO》を取り出した。その狂気は空中に浮き上がり、喘ぐように乱舞する。おまえの身体の周囲を幾重にも旋回し、鈍い鉄色のワイヤーがグルグルと巻きつけられて、


「輪切りっていいよね。なんか響きが残酷で」


 ヨーヨーがパシッとアスカの手に収まった。グイッと引っ張られる。ばつんばつんばつん。と、おまえの右腕が等間隔でバラバラになっていく。絶叫が響く。おまえのこめかみに血管が浮く。「これが見たかったんだろ? おい!」アスカが泣いている。「もっと面白いものを見せてやるよ」と、おまえの首をつかむ。おまえの顔が恐怖の表情に歪む。ゆっくりと捻られて、百八十度を超えたあたりで、ゴキっと音がする。さらに百八十度回転する。絞られた雑巾のようになる。「ほら、こういうのが見たかったんだろ」バキバキバキと音が弾けた。破壊された首の根元から呻き声があがる。「おい、うるせえな。我慢しろよ」彼女の手刀がおまえの顎関節を水平に叩きつける。パキョッと音がして、下顎が吹っ飛び、地面に落っこちた。舌が重力に引っ張られ、顎を失った口からだらし無くぶら下がっている。アスカが、わざとらしく、悪役らしく、ギャハハハと笑っている。


 おまえはずるい。


 おまえは、そうすることによってわたしの心をかき乱し、わたしの良心という幻想を苦しめ、それを見て満足を得ようとしているだけじゃないか。おまえは自分で自分を罰し、自ら醜くなることで、悲劇の主人公を気取って、張りぼての美しさを得ようとしているだけじゃないか。

 その手には乗らない。

 わたしは立ち上がる。

 おまえのぐちゃぐちゃになった頬を平手でバチンと叩く。

 おまえにはこれで十分だ。何度だって殴りつける。おまえは身動き一つとらず壊れた顎から舌をぶらつかせている。うーうー唸っている。だが、わたしはなにも考えずお前を殴る。ゴキブリを叩き殺すようにお前の顔面を手で殴りつける。


「勝手なことしてんじゃねえ! このクソ女!」


 アスカが、わたしに飛びかかってくる。頬を殴られ、わたしは転倒する。「このやろー。ばかやろー」わたしに馬乗りになってボコボコと殴ってくる。

 この女はわたしと同じだ。

 わたしと同じ役目をもって、この世に生まれたのだ。

 おい、おまえは聞いてるんだろう! 

 今。おまえの理想のハーレム状態になってるようだが楽しいか?

 わたしたちをこんな目にあわせておまえは楽しいのか?


《楽しいとも、クソッタレの神がこの状況を少しでも楽しんでくれるのなら》


 引き裂かれた喉からウーウー声を出しながら、おまえがゾンビのようにフラフラと立ちあがる。立って、わたしを殴って半狂乱になっているアスカを後ろから抱きしめる。彼女の体にズズッと溶け込んでいく。アスカの額に再び禍々しいヤギの角が生える。目元が黒く縁取られている。


「ぼくは、きみが憎くてたまらない」と、アスカの姿になったおまえが言う。「きみのような善人を見ると、吐き気がするんだ」


「わたしは善人なんかじゃない」


「そうとも。なのに善人ぶってるのが気に食わない。だから、きみに、罪と罰を突きつけてやりたい」


「おまえの罪と罰をわたしに押し付けるな。わたしの罪と罰は、わたしだけのものだ」


「それは許さない。ぼくがこの手できみを罰する」


 いつの間にか、ワイヤーが両足に巻きついていた。

 天地がひっくり返ったまま、空へと持ち上げられていく。

 身動きがとれない。


《もうこんな世界、どうなったって構わない》


 そして、おまえは額から山羊の角を引っこ抜く。額の穴から吹きこぼれる血の上に角が落ちて融合し、人の形になっていく。


 今度は可愛らしい少女の姿になる。


「誰だか分かるだろ? 大黒くん。早く出てこないと、きみの愛する妹の顔がブサイクになっちゃうよ」


 と、少女が言った。

 アキラがわたしの胎盤なかから飛び出してしまう。


「やめろ!」


 と、アキラが叫んだ。


「妹を傷つけたら、ぶっ殺すぞ」


「やめろって言われると、余計やりたくなっちゃうんだけど」


 と、言って、少女の身体をしたおまえは、自分で自分の耳を引きちぎる。白い神経のようなものが繋がったまま垂れ下がってぶらぶら揺れている。

 アキラが復讐心に飲まれて、悪魔に向かって突っ込んでいってしまう。

 もう、やめて。と、わたしは絶叫した。


《やめるわけないだろ。これは物語的なカタルシスを得るための復讐なんだよ。やめたら物語がつまらなくなっちゃうじゃないか》


 そうだ。

 この物語はわたしの物語ではない。

 大黒アキラの物語なのだ。

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絶頂のジェノサイダー 十字架おんぶ @kusopon

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