第三部 ぼくのわたしと彼の世界

呼び声

 わたしの上履きをパクッて職員用のトイレでオナッてスッキリしたおまえが、心臓をバクバクさせながら上履きを下駄箱に戻して、何食わぬ顔をして2-4の教室にやってきた時には、わたしはバラバラになって死んでいた。

 おまえがわたしを見て震えている。しかしそれでいながらおまえのホッとしている表情がそこに隠されていたことも知っている。

 わたしはおまえを殺してやりたいと思った。

 おまえは股間からまっぷたつにされようとしているその時もHなことで頭がいっぱいだった。わたしは気持ち悪いと思った。普通に気持ちが悪い。おまえは現実の痛みを知らないのだ。だから振動するブーツのブレードがおまえの股の肉を切り裂いて腸や胃や肺や脳をまっぷたつにしていくことが実際にどういう苦痛を伴うのか知らないで勝手によがって射精をし、その女を再び呼び寄せてしまった。

 転校生を自称する亜門アスカ。何が転校生だ。ふざけるな。おまえはそんなありえない転校生を受け入れてしまった。おまえの小芝居には心底うんざりした。《こんなのデタラメだ》などと苦悩しているフリには反吐がでる。わたしはおまえがなぜそんな小芝居をしたのか知っている。それはおまえの後ろめたさがそうさせたのだ。おまえは欲情のままに、その女を受け入れようとしている自分を人目に晒したくなかったのだ。だから彼女を拒否するフリをした。そして彼女がそこにいることは、自分のせいではなく、成り行きがそうさせたのだと言い訳をした。おまえはやっぱり気持ち悪い。紛れもないゲス野郎だ。

 そしておまえはその都合の良い守護者が自分のために戦っているというのに、素知らぬ顔をして教室を出て行った。バラバラになったわたしを置き去りにして。


 わたしの記憶が飛ぶ。おまえはトイレの個室で、亜門とイチャついていた。わたしが、あんな死に方をしたというのに、そんなことすっかり忘れて快楽にふけっている。わたしはおまえを許せない。わたしはおまえに罪の重さを味わわせたいと思った。

 三人の不良がトイレに入ってくる。時刻は7:10だった。ありえないことだ。なぜ、こんな時間に札付きのワルがわざわざ登校しているのか。そして、その不良のが陸上部だったことをわたしは知っている。というのも、わたしは彼のことがずっと好きだったからだ。でも、なぜか、わたしはその子の名前を覚えていない。どうして忘れてしまったのだろう。あんなに好きだったのに。


 小学六年生の頃までに三度、同じクラスになったことがある。一度目は二年生だった。あの子は要領の悪い子だった。テストはいつもビリで提出する。チャイムがなっても終わっていなくて、あの子は慌てて泣きそうになっていた。その時の悲痛な表情を、今でも覚えている。あの子は、帰りの会の時、最後の挨拶で起立した時に、オシッコを漏らしてしまった。隣に座っていたクラスで一番可愛い女の子がキャーッ!と騒いでいた。キャーと言いつつ、彼女の表情はとても下衆な喜びでいっぱいだった。あの子は泣いていた。あの子は先生の話を遮って「トイレに行きたい」と言えなかったのだと思う。あの子は先生の話を静かに聞いていただけなのに、おしっこを漏らして先生から叱られて泣いていた。そしてみんなから「しっこ漏らししっこ漏らし」と渾名をつけられあの子はいじめられた。そういえば、あの子はウンチももらした。学校帰りの夕日のなか、わたしたち四人で、あの子は帰りの道で急にモジモジしだして、ウンチの臭いがした。くせー、おまえウンコもらしたな。サトーがあなたのことをウンコもらしウンコもらしーとはしゃいで、もう一人の男子とダッシュして先に帰ってしまった。あなたは漏らしてないと言い続けていた。わたしのことを睨んで、おまえもさっさと行け! と言ったけれど、わたしはあの子のそういうところが好きで一緒に並んで帰った。そのせいであの子は股間を押さえてずっとモジモジしながら家まで歩くハメになったのだ。あの子には悪いことをしたと思う。あの子は何でも我慢してしまうのだ。わたしはあの子の弱さの奥に潜む禍々しいところが好きだった。


 小学四年生の頃、再び彼と同じクラスになった。あの子がまた泣きそうな顔をしている。近くの工事現場のトラックの下に、ニャーニャー鳴いてた子猫がいたからと子猫を拾ってしまう。あの子はその子猫がトラックに轢かれてグチャグチャに潰されてしまうことを想像して怖くなって猫を拾ってきてしまったのだ。あの子の住んでいる都営住宅では動物は禁止だった。だから飼えなかった。あの子は猫を飼えないことを知って、死にそうな顔をしていた。だから、わたしはその子猫をもらって飼うことにした。でも、わたしの家の近所のおばあさんは猫が嫌いだった。布団叩きで追いかけ回したり、保健所に電話をかけまくったりしていた。だから、わたしはその猫を家猫にしようと思ったのに、わたしが学校に行ったあとに窓の近くに座ってニャーニャー鳴いて外に出せと要求したらしく、あまりにうるさかったというので母親が外に出してしまった。その日、運悪く近所のおばあさんが野良猫の駆除のために猫殺しを屋根や庭に撒いていたらしい。猫の集会でもあったのだろう。近所に住んでいた野良猫たちはみんな死んでしまった。わたしたちの猫もそのなかにいた。わたしは泣いてあの子に謝った。あの子はものすごく恐い顔をして、わたしの頬っぺたを打った。しかし、すぐに青ざめた顔をして自分の右手を自分の左手でぎゅっと押さえていた。それからいつまでたってもブルブルしてわたしを打とうとしない。だから、わたしは自分で自分の頬を叩いた。自分の頬を思いっきり、なんども腫れあがるまで殴りつづけた。そしたら彼がやめろといってわたしの手を掴んで押し倒した。ずるいぞ。そんなのずるいぞ。とあの子は言った。その翌日、おばあさんの飼っている犬が近所の公園の砂場の上でボロ雑巾のようになって死んでいた。近くに名前入りの金属バッドが落っこちていた。わたしはその金属バッドを公園の水道で洗って、山の中に捨てた。


 そして、小学五年生の時だった。あの子は鉛筆で絵を描いていた。陰影のある立体的な六芒星を書いていた。なんでそんなものを書いていたのだろう。あの子はそれを書き終えて明るい笑顔になった。そしてその絵がアホなサトーに奪われて「なんだ気持ちわりーなんだこれ」と囃し立てられビリビリに破られ窓から捨てられる。あなたは怒った顔をするが鉛筆を持ったままじっと座って黙っている。また絵を描き始める。あの子が何も反応しないのが気にくわないらしく、サトーが、あの子の手を引っ叩く。その弾みであの子の持っていた鉛筆が、あの子自身の手のひらに突き刺さり、ボキッと鉛筆の芯が折れて、黒い芯だけが皮膚に埋まってしまう。顔を歪めて洗い場に行く。サトーが慌てている。おれがやったんじゃないからな。おまえが自分で勝手に刺しただけなんだからな。おれは謝らないからなと言う。それを見ていたわたしは得体の知れない怒りでゾッとする。わたしは傷口を水で流しているあの子に「一緒に保健室に行こう」と言った。あの子は、「大丈夫だから。おれの顔を見ないで」と言う。あの子は顔を背ける。その手を見ると皮膚にめり込んだ鉛筆の芯は外に出て来ない。埋まった鉛筆の芯が出血することすら認めていない。あの子は何でもない風を装って教室に戻って折れた鉛筆を削り始める。サトーが寄ってきて「おれは悪くないからな」と言うのと同時にあの子は思い切りその尖った鉛筆をサトーの下あごに突き刺した。顎を貫通してサトーの汚い口の中を血まみれにする。何が起こったのかよくわからず目を白黒させるサトーがあがあがいって震え出し、あの子は鼻に頭突きをかまして顔面から床に倒れたそいつの後頭部を踏みつける。鉛筆と一緒に歯がボキボキボキッと折れる音がした。わたしは興奮して胸の鼓動が抑えられなかった。

 それからというもの、あの子は、貪欲なまでに罪を犯し、どんどん悪い方へと落っこちて行った。堕天使のように。


 中学生になって、わたしは陸上部に入った。わたしは誰にも邪魔されずに一人で身体を動かすのが好きだった。部活は強制加入なので全員が入らなければならない。札付きの悪だろうと、鑑別所送りになっていようと、そんなの関係なしに全員が部活に加入する。あの子もまた陸上部に入り、意外にも、毎日部活に顔を出していた。耳から鼻にかけてチェーンのようなピアスを入れてジャラジャラさせながら走る姿は滑稽極まりなくて、わたしはつい笑ってしまう。「笑ってんじゃねえぞ」「だっておかしいんだもん」「恥骨蹴り砕いてやろうか?」「いいよ。やってよ」と言ってわたしは校庭の真ん中で大股開きになる。あの子は、足を振り上げようとするフリだけして「馬鹿じゃねえか」と言って、再びランニングに戻ってしまう。

 その後の実際の出来事を、わたしは知らない。知らないというより、記憶になかった。そんな出来事はわたしの世界では起こらなかった。


 わたしが死んだため、消えかかっていたわたしのイドは、大黒アキラの意識に寄生した。大黒アキラもまた、弱さからくる禍々しさを持っていた。

 ところが、おまえは。おまえというクズ野郎は、大黒アキラの意識を蹂躙し、勝手な物語を作った。おまえが活躍できるための勝手な世界が、歪んだ形で構築されようとした。わたしは逃げようとした。しかし、わたしは塩の塊になって動けなかった。わたしもおまえの意識の渦に取り込まれてしまった。

 そしてわたしはあの子を殺してしまった。わたしの大好きだった、名前のない彼を、記憶にない大好きな彼を、殺してしまった。

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