創造主


 わたしはニューヨーク市で、アイルランド・アメリカ系日本人の父と日本人の母の間に生まれた。病弱な母はわたしを産んですぐに死んだ。母の写真を見ると、その髪型は、三つ編みだった。それで、わたしは三つ編みが好きになった。

 十一歳の時に日本に渡って、高校卒業まで日本で過ごした。日本に来たばかりのわたしは、友達がいなかった。やることがなくて、毎日、父の懐中時計に耳をあてて、カチカチと時を刻む音を聴いて、時間が過ぎるのを待った。そんなわたしに父はヨーヨーを買ってくれた。ヨーヨーダイン社のSUPER-EGOシリーズ。外側に蓋がついていて、開けると中は時計仕掛けになっていた。長針と短針が時を刻んでいた。わたしはこのヨーヨーが好きになった。ヨーヨーが好きになったから、父の全てが好きになった。うれしかった。


 十七歳の時に父が自殺した。ただの自殺じゃない。壮絶な死に様だった。《わたしは抜け殻になった父の尻穴にとうもろこしの軸をつっこんだ》父は心理学者だった。超心理学なんていう眉唾理論に手をだしていたせいで、マジョリティな学会からは全く歯牙にも掛けられなかった。けれど、日本のマスコミはどうやらこの手の話題が大好きらしく、文化人コメンテーター枠のイロモノ学者として重宝し、父を番組に出演させた。おかげで、生活には困らなかった。良識のない出版社からも声がかかった。『性交深層読心術』とか、『マル秘Hな洗脳法』とか、いかにもインチキくさいものばかり上梓していた。しかし、これが馬鹿売れした。父は嘘と本当を混ぜこぜにして物を語る。本人にも何が本当で何が嘘なのか分かっていないようだった。しかし、父は信念に基づいて嘘をついているようだった。正気であると同時に狂っていた。常識と非常識が混在していた。だからこそ、父のデタラメな理論を信じる人もいた。信じる人は幸いだった。裕福な者が、父のパトロンとなった。父の理論によると、人間の意識の深層である自我は、超能力と呼ばれている現象を引き起こす原動力になるらしい。例えば、ポルダーガイスト現象も、自我が無自覚に膨張する際に発生するエネルギーの振動が引き起こす現象らしい。したがって、純然な精神を持った人間の前頭葉と世界を接続し、その自我を人口的に極限まで膨張させれば、社会構造を一瞬にして改変し、真の平和パラダイスを構築することができる。というトンデモ理論に基づいて父は世間の馬鹿者どもから巻き上げた金を使って、研究に没頭した。わたしにはさっぱり理解できなかった。


 ある日、父は『蒼ざめた馬』という新興宗教の教祖と密会していた。若い男だった。確かに神秘的だった。女のような男で、ともすれば男のような女にも見えた。銀髪、痩身、長身、目は細く、冷淡、にもかかわらず、柔和で、爽やか。純白のタキシードを身に纏い、その紫色のネクタイは、常識を逸脱した長さで、社会の窓を覆い隠していた。密会場所は家だった。家で。わたしの部屋で。わたしの部屋のベッドのなかで。《ぼくたちはソドムの悪逆をあえて行うことによって》《罪を引き受ける覚悟を獲得する》《偽悪によって》《さらなる高みへ!》等とわけの分からないことを喚きながら、父の股間にに珍妙な棒を突っ込んでバッコンバッコンやっていた。父は雌馬のように喘いでいた。わたしは見るに耐えず、父からもらったヨーヨーの紐で白豚の首を絞めた。しごくように。こすりつけるように。極細のワイヤーが皮膚を破ってめり込んで血が滲んで《苦しめ!千切れろ!》バタバタと苦痛のために暴れるホモ豚の珍棒は父の股の間に突き刺さったままバッコンバッコン動き続けていた。死に際していきり勃つそれを見て、しかしこれは生存本能なのだろうか?種の保存を急ぐためにより強いエクスタシィを感じて射精している?けれども男と男の交尾で種の保存などできるはずがないではないか。ということはセックスというものは愛してるからするものでも子どもを産むためにするものでもなく、ただ動物的にしたくてしているだけなのだ。なんて穢らわしい生物だ。と、わたしは思った。教祖はビクビク痙攣していた。顔はチアノーゼを起こして藍色になっていた。醜い。その醜さが心地よかった。これ以上絞りきれないというくらいにワイヤーを引っ張り続け、ぶち。と、切れた。ワイヤーは血を吸い込んで真っ赤に染まっていた。手をだらんとさせて白目で虚空を見つめるこの男が、生きているのか死んでいるのか、さっぱり分からなかったが、そんなことよりわたしの部屋は臭気にまみれており、絶望的な苛立ちを感じた。辟易した。この男の体内にあるものは、なんて醜いのだ。どんなに見てくれが美しくても、きっと体の表と裏をひっくり返してしまえば単なる臓物に過ぎないのだ。父がわたしを見ている。歓喜と虚無が入り混じった、ふくわらいみたいな表情だった。「殺さないでくれ」と父は笑いながら言った。栗の花のにおいに耐えられず、わたしは家を飛び出した。電車に飛び込んで死ぬために、スーパーで赤玉ポートワインを買った。一気に煽って、世界が気持ちよくなった。金券ショップで絶望13キップを買った。十京駅から零坂駅まで行ってやろうと思ったが、面倒くさくなってやめた。キップは自販機横のゴミ箱に捨てた。電車に乗ったり降りたりしてたら、いつの間にか東天乗駅のプラットホームにいた。静かだった。蝉の声がこもって聞こえる。真夏の太陽が空気を揺らめかせている。赤く日焼けした腕に玉のような水滴が浮いている。こめかみから流れた汗が顎を伝って落ちてコンクリに黒い点をつける。ベンチでかりんとうを食ってるババア。ホームの電光掲示板の赤い文字列が横移動している。人身事故による零宮〜浦零間の運行中止のご案内。赤いゲシュタルトが崩壊して、意味をなさなくなる。電光掲示板の隣に寄り添った時計の針は十五時三分を示していた。自己愛に満ちた数字。わたしは財布に入っていた万札を全て取り出した。その束をビリビリに破いて、線路上にばら撒いた。日銀の屑チケットがちりぢりになっていく。全てがどうでも良くなって、わたしは死ぬことを諦めた。家に帰ろう。帰って父を殺そう。そう思った。


 家は色のない灰色だった。敷地面積は888坪。延床面積は2525坪。構造は鉄筋コンクリート造で、地上五階、地下一階。わたしの部屋は地上三階にあった。わたしは自分の部屋に向かった。見たくない。でも、見ないといけない。階段を昇った。地獄への階段を。自分のしたことが、果たして現実だったのか確認したかった。ノブを回した。扉を押した。開かれたカーテンから射し込む八月の光は、夕焼けに溶け込んで、群青色をしていた。一切が不自然なほどに整頓されて、そこに男の死体はなかった。なにもかも。全て。元通りだった。「どうした? 大丈夫か?」父が後ろに立っていた。わたしの愛した父だった。「よかった。さあ、食事にしよう」その日の夕食は、キャロリーメイトと、インスタントのコーンスープだった。「うまいな」「うん」「お父さん」「なんだい?」「今日、わたしの部屋に入った?」「いや、さっきは、お前がいなくなってしまったんじゃないかと思って」「そう」「部屋には入ってないよ」「そう」「父さん、今週は帰って来ないからな」「うん」「ちゃんと食事するんだぞ」「うん」「歯、磨けよ」「うん」「ウンコしろよ」「うん」「地下には入るなよ」うん。《このまま地下室へ行くのは凡庸すぎると思って》わたしは地下へは入らなかった。《鍵が掛かっていたので、入れなかった》

 一週間経っても、父は帰ってこなかった。さらに二週間経っても戻ってこなかった。地下に行く階段から腐臭が込み上げていた。昼になると、臭いがおさまったが、夜になると二階まで臭いが湧き出てくる。わたしは地下に行った。音がする。誰かがいた。

 

 お父さん? いるの?

 なんだい?

 ああ! よかった 帰ってたんだ

 遅くなって悪かった

 開けていい?

 ああ 入っておいで

 

 わたしは扉を開けて中に入った。切れかけた蛍光灯が、パチパチ光っていた。中央にある実験台。

 電極が刺さった脳味噌。スチール製の枠が黒く塗装された水槽のなかに、ぷかぷか浮かんでいた。

 頭蓋骨が抜き取られて、顔がペシャンコになった父の抜け殻がコンクリートに転がって腐臭を放っていた。


 あすか きこえるかい

 お父さん?

 おとうさんはここにいるよ

 どうしてそんな姿になってるの?

 じっけんが成功したからだよ わたしは世界と接ぞくして 自我をかいほうしたんだよ


《世界は改変されたんだ》


 父が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。そもそも父のいう『世界』というものが抽象的すぎて。わたしは水槽に浮いてる脳味噌に刺さった電極を目で追って行く。黒い鉄の塊があった。これが『世界』だとでも言うのだろうか。ただ、どんなに馬鹿馬鹿しくても、目の前にいる父の脳味噌が、わたしに語りかけているということは《絶対に》事実だった。

 

 改変されたってなにが?

 ありとあらゆるものが

 わたしはなにも変わってない

 ゆるしておくれ あすか

 なんで謝るの?

 わたしは世界を愛している

 愛しているのにどうして?

 憎いからだ

 なにがそんなに憎いの


《わたしはおまえが憎いのだ》


 それが父の最後の言葉だった。

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