032-3

「いや、逆じゃ! まとも過ぎるから余計におかしいんじゃ!」


 りおなに噛みつかれたチーフの姿はひと昔前の日本ではよく見られたが、この異世界ではひときわ異彩を放っていた。

 普段着ている紺色のスーツを脱ぎ代わりに真っ白い割烹着かっぽうぎを着こなしていた。

 いつも肩にかかった長い耳をこれまた白い三角巾ごと後ろに結んでいる。


 Rudiblium Capsa極東支部縫浜ぬいはま支店に事務所を構えている、自称業務用ぬいぐるみ富樫の今の格好は、『昭和のお母さん』そのものだった。



「あー、なーんかどっと疲れたーーーー!」

 言いながらりおなは自分がいつも座っている席へ腰かけネコ耳フードを脱いで天井を仰ぐ。

 上には街灯と同じオレンジ色の照明が柔らかい光で食堂を照らしている。

 そこへチーフがカレーやコールスローサラダを盛り付けた皿をテーブルに並べだした。

 宿屋の食堂には今夜もかなりの数のスタフ族やティング族、ラーバ族がいた。

 普段はすぐに晩酌を始める部長も今夜は給仕を手伝っている。

 なぜか全員に白牛乳の瓶と小袋入りのコーヒー粉末まで配っていた。


 給食かい、とりおながツッコむ間もなく宿屋のメイドが先割れスプーンを各々に配っている。りおなは更に脱力して頭を下げた。


 ――あーーーー、カレーの匂いをかぐとほんとにおなか減ってるってわかるにゃーー。

 と同時にエムクマとはりこグマが両わきに座っているのに気付いた。

 このはともみじははりこグマの隣に座っている。

 ――みんなはカレー食べるのは初めてかーー。


 手に手に先割れスプーンを持って嬉しそうにしていた。


「配膳終わりました。りおなさん、いただきますの号令をかけてください」

 チーフは割烹着姿のままりおなに告げる。

 りおなはチーフを何秒か凝視していたが、やがて観念したように合掌しなげやりに叫ぶ。


「それじゃーみんな……いじゃ・・じゃ・・ー……みゃ・・す!」

 それを合図に食堂のおもちゃの住人たちは一斉に食べだす。


 ――なんちゅうか、ファンタジーってかただただシュールじゃなあ。


 その現実味のない様子にりおなは軽い浮遊感を覚えるが、すぐに首を軽く横に振っていつも通りの習慣でコールスローから食べだした。


 ――ほんのりピンク|色じゃな。和辛子とまた違った辛さじゃ。これは―――あれか、明太子いれてんのか。うんおいしい、残ってたらおかわりしよ。


「どうですか、りおなさん」チーフは新たにから揚げが山のように積まれた大皿と卵が入った小鉢をりおなに差し出す。


「ありがとー、うん美味しいわ。これは? ナマ? ゆで?」

 卵を手に取ってチーフに尋ねる。


「いえ、温泉卵おんたまです。カレーに乗せてもいいですし小鉢に割り入れてだし醤油を垂らして食べてもいいですよ」


「んじゃ、小鉢にだし醤油張って『ちゅるん』って飲むわ……っちゅうかあんたさっきも聞いたけんどなんでそんな格好しとるん?」


「私はだいたい料理中はこの格好か“Long Puppy”のエプロンかどちらかです。普段ならともかく今は課長が不在ですからね。

 それに私も『ウェアラブル・イクイップ』の説明会で少々疲れましたから、気分転換に料理したかったというのもあります」


 ――その理由はりおなにもよくわかる。

 疲れとる時にだらだら過ごしてると、もうそっちのほうが癖になるのはよくあるからにゃ。

 何か簡単な作業でもして気持ちを切り替える、それはよくわかるんじゃけど。


「じゃからって、異世界のこの街で割烹着っちゅうのはどうかと思うわ。りおなが言うのもなんじゃけどもうちっとTPO考えて」


「わかりました、次からはエプロンにします」


「うん、そうして」りおなは続けてカレーを口に運ぶ。


「これ……おいしいけど、給食のカレー?」

 口の中には懐かしい味が広がる。と同時に小学校の頃、同級生たちと一緒に食べている様が脳内によみがえった。


「はい、Rudibliumの住人たちやエムクマたちはカレーは初めてでしょうから少し甘めにしました。

 カツオだしを効かせた『立ち食いそば屋のカレー』というのも考えたんですが……」


「いやこれでいいけん、チーフも着替えて一緒に食べよう」


「そうですね、わかりました」

 言いながらチーフはカウンターの奥へ戻りいつものスーツに着替え直した。

 りおなの左側にははりこグマが座っていて深鉢にカレーを盛って美味しそうに食べているが、相変わらずお世辞にも行儀はよくない。

 あちこちテーブルにこぼしているし白い布地の口の周りはルーだらけだ。


「ありゃあ、どーしよ。チーフ、布地のカレーの汚れってどうやって落とすんじゃったっけ?」

 着替えを済ませてテーブルに戻ってきたチーフに尋ねる。


「普通にハンカチで拭けば大丈夫ですよ」

 チーフに手渡されたハンカチで、言われるままにはりこグマの口を拭いてやるときれいに拭き取れた。りおなは少し驚く。


「りおなさんに創られたぬいぐるみは少々の汚れは布で拭けば落ちますし、水浴びや入浴もできます。今夜くらいご一緒に入浴されてはどうですか」


「誰と? チーフと?」


「いえ、私とではなくエムクマとはりこグマとですが……いえ、強要はしませんが」


「んー、また今度にするわ」


 りおなはスタイルに自信が無いわけじゃないけどにゃあ。中学二年生としては標準じゃろうし。

 んでも修学旅行でもないけんお風呂なら一人でゆっくりと浸かりたいわ。


 りおなが口を開きかけた時に、もうほろ酔いの部長がりおなたちのテーブルに近づき大声を出す。


「なんだ? 恥ずかしいのか? 別に見られても減るもんじゃないだろう」

 言いながら部長はから揚げを小皿に取り分け(わざわざ)レモンを絞ってむしゃむしゃと食べだす。


「んや、増える減るの話じゃないけん……部長、りおなと一緒に入る?」


「なっ! バカ言え! なんで俺が……」

 なぜか必要以上にうろたえだす。


「じゃろ? チーフ悪いけんどお風呂まではちょっといけんわ」

 チーフにそう返すとこのはともみじがりおなに提案する。


「じゃありおなさん、つかれてるだろうからごはんたべおわったら先に入ってください」


「エムクマちゃんはりこグマちゃん、わたしたちといっしょに入ろう。いいでしょおじいちゃん」


「ああそうだな、いっしょに入ってやりなさい」

 よほど孫が可愛いのか、部長は普段ではあり得ないほど相好を崩し、このはともみじに告げ(少し気持ち悪い)、カウンターに戻った。


「ありがとうね、このはちゃんもみじちゃん」

 ――チーフからはなるべく一緒にいてくれとは言われちょうけどお風呂も一緒ちゅうんはなんとなく違うと思うわ。


「りおなさん、そういんぐれいぴあで『心の光』をふきこんでつかれてるでしょう、たべおわったら私たちがお片づけてつだいますから早めに休んでください」


「わかった、ありがとう」

 双子の言葉を受けりおなはなんとなくじんわり来た。

 続けてエムクマの隣で(両耳を首の後ろに持っていって毛先をクリップで留めて)夕食を食べているチーフに耳打ちする。


「ようできた子ぉらじゃのう、言っちゃなんじゃけどやっぱりおじいちゃんとは似とらんわ」


「そうですか、でも仕事が速いという所は似てますよ。あとそれとなく周りに気遣いができるところも同じですね」


「そういうもんかのう。ああ、そうじゃ十時くらいに差し入れくれたけどあれチーフに言われたからじゃろ?」


「いえ、私からは特に何も」


「そうなん?」

 りおなは少し意表を衝かれる。部長は自分の判断でりおなにどんどん焼きを差し入れてくれたのか? 

 ちらりと部長の法を見やるといつも通りカウンターの隅の席でスコッチを飲んでいる。その後姿を見ながらりおなは心の中で「素直じゃないのう」とつぶやく、と同時に新たな疑問が持ち上がる。


 ――そういや、スタフ族の家族は地球にいた時から持ち主に家族という設定をもらっとるから、転生先のRudibliumでもその設定を引き継いでるんじゃろ。

 んだから、この世界でも親子や兄弟になるがけど、チーフらぁの言う『業務用ぬいぐるみ』はどうやって家族、というかこどもを増やすんじゃろ?

 まさか人間みたいに――――


「――りおなさん、どうかしましたか? 手が停まってますが」


「ああ? あー、にゃんでもない」

 チーフに声をかけられてりおなは我に返る。

 ――まさか夕飯中にする質問やないしなあ。


 りおなは今自分が考えていていたことをごまかすようにカレー皿を持って一気にかきこんだ。



「ふう、すっきりしたー」

 りおなは一人でゆっくりと半身浴を終え自室に戻り畳の上に敷かれた布団にうつぶせになる。

 ――りおなのおうちにも和室があったけど、あそこは客間やけん、りおなが布団で寝るはめったに無いしにゃあ。


 部屋の外からはこどもたちのはしゃいだ声が聞こえる。エムクマたちがお風呂に入ったのだろう。

 りおなは布団の上で大きく伸びをして眠気がくるまでくつろぎだす。


 ――ゆってもやることったらじぶんちといる時とぜんぜん変わらんけどにゃ。

 トランスフォンの機能『本棚』からRudibliumに来る前に買い込んだマンガやファッション誌をベッドの上に出現させた。

 うつ伏せになったまま読みふける。


 同じく『冷蔵庫』からチョコバケツを取り出し好物のピーナツチョコを食べる。

 そして雑誌に飽きたらチーフが気を利かせて(?)入れておいてくれた何世代か前世代か前のレトロゲームを取り出して遊んでみたりする。


 ――ソフトそれ自体ははTVがないと使ええんけどにゃ、りおなが持ってる携帯ゲームでも遊べるようにチーフたちでツール……えみゅれーたじゃったっけ、を組み立ててくれたからにゃ、やってみるか。


 接触が悪いくて起動せんとき、ソフトを一回取り出して、差し込み口に息を吹き込むっていうのんは、むかしくさいけどにゃ。

 まあ、3Dフルポリゴンのゲームばっかしやってたけん、こういう2Dで色味も少ないレトロゲームってかえって新鮮やのう。

 チーフの話だと、ソフト一本分の容量は今の折り畳み型、いわゆるガラケーの待ち受け画面より少ないって。昔の人の苦労がしのばれるにゃ。


 往年のレトロゲームを楽しんでいると部屋のふすまをノックする音が聞こえる。りおなが返事をするとエムクマとはりこグマ、このはともみじが部屋に入ってきた。

 エムクマとはりこグマは普段通りだがこのはは緑、もみじは赤のおそろいのパジャマに着替えている。


「りおなさん、いっしょにねてもいいですか?」


「おじーたんがりおなさんさえよかったらいいよっていってくれました」


「んーそうか、んじゃいっしょににねよっか」


 りおなは壁にかかった時計で時刻を確認すると九時半だ。

 ――普段ならもちっと起きとるけど、こどもたちのに合わせたほうがいいか。


 ゲーム機や雑誌をトランスフォンにしまい、代わりに寝具一式をを二組出現させりおなの布団の両脇に並べる。


「寝る前に甘いもん食べる? ほんとうはよくないんじゃろけど今日は特別」

 ピーナツチョコを見せるとよにんは嬉しそうに受け取り口に入れる。


「ほんじゃねよっか」

 よにんが布団に入ったのを確認してりおなが蛍光灯の明かりを消すと間もなくすぅすぅと寝息が聞こえてくる。


 カーテン越しに照らされるオレンジの明かりも燃料が切れたのかゆっくりと消えていく。目を閉じて呼吸を整えていると目を閉じた視界から光を感じた。


 ――これがながクマが言ってた『心の光』かーー。

 うん、集中すっとエムクマとはりこグマだけでなくこのはちゃんともみじちゃん、チーフと部長、宿屋の従業員さんも。

 もっというと街のみんなの『心の光もが目え閉じた状態で『見える』わ。

 少年マンガの『心眼』みたいじゃな、カイガーーン。


 どの光もほんのり暖かく楽しげに感じられ、ろうそくが消えるように弱まっていく。

 その様子はぬいぐるみが眠りについたのだというのがおぼろげながら解った。

 さらに意識を外に広げると『ノービスタウン』の外にいる『ウェアラブル・イクイップ』を持っている者まで把握できる。


 その様子はまるで真夜中気象衛星から都市部分の明かりを見るような気分だった。

 ――明日は『荒れ地ウェイストランド』の開拓村に希望してるひとらを連れてくのについてくからにゃ、早めに寝よう。


 りおなはRudibliumの住人が安らいでいるのを感じつつ深い眠りにについた。




   ◆



 

 漆黒の闇の中、は不意に目覚めた。覚醒の原因は間違えようもない、胸の傷の痛みだ。

 傷自体は肉体的な損傷こそ無いが真っ白なシーツに墨を少しづつ垂らしていくように黒い跡が広がり身体の奥深くへと浸透していく。

 それと同時に苦痛や不快感、ありとあらゆる負の感情ががの身体を駆け巡っていく。


「――なにが『災いの一撃』だ。ただいたぶるための攻撃に勿体付けた名前じゃないか――」

 苦痛のために吐き出された呪詛の言葉に返事をする者はおらず闇に紛れていく。


「この攻撃をしたヤツはこう言っていたな、『その苦痛から逃れたいのなら、更なる苦痛を自分以外の誰かに。より深く、より大勢に』、か」

 ひとりごちたあとの自嘲的な笑いが自然に洩れる。

「むしろ願ったり叶ったりじゃないか、この世界がどうなろうとこの苦痛から解放されるならな……」


 の視線の先には細く輝くものがあった。

 その輝きを見ると痛みがほんの少し和らぐ気がする、だが一瞬のことだ。また胸の痛みがを支配する。


 痛みに耐えかねて気絶するようにまた浅い眠りに落ちる。それと同時に輝きも色を失い闇に溶け込んで闇は静寂に満たされた。

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