021-2

 その日の晩、りおなはいつもの公園でバスを待っていた。

 もちろん夜中に小さな公園の前を通る路線バスなどない。

 りおなが待っているのはRudiblium Capsaに向かう特別便だ。すぐそばにはチーフがいて携帯電話の画面を確認している。


「今連絡がありました、もうすぐ来るそうです」


「そう、わかった」


 りおなの足元には一通りのお泊りグッズが置いてある。

 キャリーバッグ、トートバッグポーチとクローゼットの中身や、シャンプーやリンス、タオル、少ないが化粧道具、携帯ゲーム機や音楽プレイヤーなど考えられるだけ全部詰め込んできた。


 チーフからはトランスフォンの道具収納用の機能『コンテナ』に詰めれば手ぶらで済むのに、と言われたがこういうのは気分の問題だ。

 何しろこれから行くのは海外どころではない、りおながまだ足を踏み入れたことのない異世界なのだ。



 時間は少しさかのぼる。チーフが切り出したRudibliumへ来てほしいという申し出を言われるより先に告げ、りおなはさらに続ける。


「それっていわゆる悪の親玉をやっつけろっていう話じゃろ? それってやっぱり強い?

 あとどれくらいかかると? 二日くらいなら連休使って行けるじゃろうけどしばらくかかんの?

 それから―――」


「順を追って説明します。が、その前に場所を移した方がいいですね」


 りおなとチーフの周りには無害なぬいぐるみ達が興味津々といった感じで二人を見上げている。りおなとチーフはぬいぐるみに手を振り部屋を後にした。


「さて、では説明を始めます」

ダイニングテーブルにお互い向き合う形でりおなとチーフは腰かける。同じテーブルにはパソコンに向かって作業をしている課長もいた。


「初めに会った時りおなさんに頼んだことは覚えていますか?」


「うん、変身してソーイングレイピアでヴァイスフィギュアをやっつけてくれ、じゃろ?」


「はい、基本的にはその依頼は続行でお願いします。今から話すのは以来の追加、ヴァイスを生み出す元凶を止めてほしいのです」


 それはりおなとしても望むところだ。対症療法的にヴァイスフィギュアをその都度現れるたび倒していくだけでは、根本的な解決にはならない。多少手間でももとを断ってしまえば元を断ってしまえば安心して学校生活が送れる。


「『種』以外でヴァイスフィギュアを生成する方法は説明しましたっけ」


「んーー、聞いたかも知らんけどたぶん忘れてる。もっかい教えて」


「はい、我々が来た世界には、太古の昔から人間界で発生する悪意を心の光に変換させるシステムがあるのですが」


「うん」


「ある時期を境に年々その活動が弱くなっており、それを補うためにわが社の開発部門のぬいぐるみが、人間界の悪意を抽出し心の光に変換させるプログラムを開発し、システムを運用するプロジェクトが立ち上がっていたのですが、そのプロジェクトチームの中に人類に対して反旗を翻そうとする輩がいました。


 開発中のプログラムを書き換え、悪意を抽出し特定の物体に注入、変身させエネルギー源にするプログラムに作り替えました。りおなさんもご存知のヴァイスを創るテクノロジーです」


 りおなは黙って聞いているがその表情はすでに渋い。


「そのプログラムは悪意を注入する際のロスが大きく実用化が見送られていましたが、ある人物がそのイレギュラーなプロジェクトに加わった事で、悪意注入プログラムの改良速度が格段に上がり、人間を攻撃できるほどの力が出せるレベルまで強化されました。

 開発を促進させたのが私の元同僚で芹沢という業務用ぬいぐるみです」


 りおなは唇を尖らせ頬杖をつく。魔王とかならまだ解らないでもないがあのごついヴァイスフィギュアを生み出しているのがチーフと同じぬいぐるみというのには少しショックを受けた。


「悪意注入プログラム以前に開発していた、悪意を心の光に変換させるシステムを小型化し、心の強い人間に使いこなせるように創られたのがソーイングレイピアで、レイピアの能力を最大限引き出させるための衣服や装備がイシューイクイップやトランスフォンになります。

 試作品第一号が今りおなさんが持っている物ですね。

 ソーイングレイピアと悪意注入システム、一見相反する性質を持つふたつですが、その実起源は同じなんですよ」


「んじゃあ、その芹沢っちゅうのをやっつければいいと?」


「いえ、芹沢がたずさわったのはプログラムの開発と実用化にこぎつけただけで実戦投入はしていません、人間界にヴァイスを送り込んだのは……」


 チーフはいったん言葉を区切り何か苦いものでも口にしたような表情をりおなに見せる。


「社長の伊澤、というぬいぐるみです」


 チーフはテーブルの上に置いた手を握りしめる。普段は柔和な笑みを絶やさない課長も表情を曇らせる。


 普段飄々とした態度のチーフの声が珍しく震えている。りおなは頬杖をついていた手を下ろし椅子に深く腰掛ける。それを見て我に返ったチーフはいつもの表情に戻る。


「伊澤をこのまま放置すれば、Rudibliumのみならず心の光に還元されずよどんだ悪意が人間界にも満ちていきます。

 緩慢にですが確実にこの世は荒んでいきます。

 改めて私からお願いします。Rudibliumに来て伊澤を、そして悪意注入プログラムを止めてください。

 Rudibliumのためにではなく人間界のために戦ってください。出来る限りのアドバイス、サポートは私がします」


「『私が』じゃなく『私たちが』だけどね」

課長がチーフの依頼を訂正する。

「自分たちの会社の不始末を人間、それもか弱い女の子に尻拭いさせるのは心苦しいけど私たちにはほかに選択肢がないの。私からもお願いするわ」


 課長は立ち上がり、りおなに対して頭を深々と下げる。


「うん、わかった」


 りおなは背筋を伸ばしチーフと課長に声を発する。


「その伊澤っちゅうお山の大将をやっつければいいんじゃろ? そのあと社長は誰がやんの? チーフ? 課長? トシでいったら部長か」


「まあ、伊澤を解任させた後のことはまた別の話になります。それから期間に関してですがRudibliumにしばらく滞在しても人間界でのりおなさんが長期にわたって不在という事態にはなりません」


「どういうこと?」


「詳しい説明は省きますが部長の所持しているバスは一種のタイムマシンになっていまして、人間界からRudibliumに行く時の時刻を正確を記録し、戻ってくる際その直後の時間に戻って来られます。

 またRudibliumにいる間、りおなさんは歳を取りません」


「なんで」


「Rudibliumは人間界とは違う法則で動いている世界です。

 精神、心が物質や肉体に強く作用します。心を強く保てばりおなさんは若さを保てます」


 りおなは話を聞きながら眉をひそめる。そんな何十年もかかるのか? 安請け合いするんじゃなかったとりおなは思っていたが、チーフはりおなの思考を先読みするかのように話を続ける。


「もちろん一度行ったら行きっぱなしというのは極力避けます。一回の滞在は長くても一か月を目安に、機を見てこちらに戻るのも考慮に入れます。

 戻った特に勉強で遅れが出ないように復習もみっちりやりますから」


「う」


 りおなは痛いところを突かれたように声を漏らす。伊澤とやらをやっつけたら、バカンスがてら遊びに行こうと思ったら先を封じられてしまった。 

 このぬいぐるみからは逃れられないのか、などとりおなが考えているとチーフがまたりおなの思考を先読みする。


「ヴァイス退治やぬいぐるみ創りは大変ですからね、たまに休暇で避暑地のようなところでのんびりするのは構いません」


 また考えを読まれた。目の前のコイツは読心術でも持っているに違いない。りおなはそう考えて再び頬杖をつく。


「まあ行ってもいいけど、条件があるけ」


「条件?」チーフが聞き返す。


「その伊澤っちゅうのをやっつけたら祝勝会かなんかやって。

 それからあれ、ラーメンおごって。そしたらだいたいの事は文句言わんでやるけん」


 次の瞬間、黙って話を聞いていた課長が吹きだした。大きな両手を口に当て同じく大きな体を震わせて笑いをこらえている。


 不意の出来事に、りおなは上体を起こして課長に不信の目を向ける。ふと気がつくとチーフも細い鼻づらに手を当てて肩を小さく上下させている。

 りおなは不機嫌そうにチーフと課長を交互に見る。


「なんじゃなんじゃ!? 人がせっかくやる気だして行きよる ゆうてんのに何が面白いんじゃ!? もうどっこも行かんぞ!」

 

 何かものすごくバカにされたような気がしてりおなはふくれっ面になる。二人の業務用ぬいぐるみはしばらくの間笑いを必死にこらえていた。



「大変失礼しました」


 チーフはりおなに対して深々と頭を下げる。課長も同様にりおなに非礼をわびる。当のりおなは不信の目を二人に向けたままだ。


「それで? 行くとしたらいつになると?」

ふてりながらもりおなはチーフに尋ねる。


「そうですね、『エムクマとはりこグマ』の住人たちは一通り創りましたから、かれらも連れていきたいですし、できれば今夜にでも」


「今晩? はやっ」


「無理ですか?」


「いや、急すぎるなって。まあいいけんど。今すぐ?」


「いえ、りおなさんは一度ご自宅に戻られてご家族と一緒に夕食を摂ってゆっくり過ごしてください」


「何かそれじゃと、二度と帰って来られんみたいじゃけんど」


「逆です。必ずこちらに帰ってくるという決意を固めていただきたいのです。もちろん最悪の場合はりおなさんだけでも送り返しますから」


「まあ、それはいいとしてその前に買い物行ってくるわ。いろいろ買いたいもんもあるし」


「食料品や日用雑貨などは、すでにかなりの量買いこんで常備していますが」


「そーでなくて、少しコンビニとかデパ地下とかの雰囲気味わいたいの」


 普段は特に意識しないで行っているが、いざしばらく行けないとなると未練が残る。出来る限り納得ずくで向こうの世界に出向きたい。


「では、店舗までお送りします。荷物持ちも」


「んや、送ってくれるだけでいい」


 ――サラリーマンのかっこうしたチーフと一緒に買い物しとるとこ、同級生にでも見られたら、正味一時間で噂が学校中に広まってまう。

 異世界に逃げても消せんトラウマ確定じゃ。

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