018-1 縫 生 sew‐genarate

「ん……ん―――」


 いつになく清々すがすがしい気分でりおなは目覚めた。

 起き上がって軽く首を回しいつもの習慣で脳に酸素を送るため鼻で息をしながら大きく欠伸あくびをする。


 続けてベッドの上で正座をしてから上体を両腕ごと前に投げ出して腰を上げながら大きく伸びをする。ヨガでいう『猫のポーズ』だ。


 ん―――――――――――っ


 さらに両腕と右足で体を支え左脚を後方に可能な限り伸ばす。


 んんん―――――――――――――っ


 さらにストレッチで体をほぐした。

 ――今のポーズを生まれつき習得しとるねこはやはり何かの天才じゃな。


 などとぼんやり思いつつ(寝間着が昨夜ゆうべ着たのと違う気がしたけどたぶん思い過ごしだろう)りおなは階下に下りた。


 野菜たっぷりのスープとベーコンエッグ、香ばしい香りを立てるトーストにバターとはちみつを塗った豪勢な朝食を家族と一緒に摂ったあと、りおなは自室に戻った。


 トランスフォンの機能を使わず姿見で服を合わせて普段着に着替えた。

 そのあとトランスフォンの機能の一つ『冷蔵庫』から通称チョコバケツを取り出した。

 小袋わけのチョコレートを五つ取り出してそのうちの一つを口に放り込む。

 整理された自分の机を見やる。


 ――そろそろ来るタイミングじゃな。

 りおながそう思っていると、ベッドの枕元で充電していたりおな自身の携帯電話から着信音が鳴る。

 りおなは慣れた手つきで通話ボタンを押し耳に当てる。


【もしもし】


【おはようございます、りおなさん。昨夜ゆうべはよく休めましたか?】


【うん。そろそろ電話来る頃だと思うちょった】


 いつもと同じチーフの落ち着いた声を聞いていると落ち着くのと同時に今朝に限って心のどこかがモヤモヤする。


 ――なんじゃこの感じ、なんか忘れてるような気がするにゃーー。

 ……んぅーー思い出せん(思い出せんちゅう事はきっとなんもなかったんじゃろ)。


【―――りおなさん?】


【あー、ごめん。聞いちょらんかった】


【かねてからやってもらう予定だったカンパニーシステムをソーイングレイピアで実践していただこうと思いまして】


【あー、コンビニのおやつじゃない方のカンパニーね】


【はい、コンビニのおやつじゃない方のカンパニーです。今から迎えに行きますからご自宅の近くで待っていて下さい】


【うん、わかった】


【それじゃ、よろしくどうぞ】通話が切れる。


 玄関を開けると薄曇りの空から柔らかな陽の光が射している。外は少し肌寒いが我慢できないほどでもない。

 一分もしないうちに青い車に乗ってチーフが現れた。




「なんじゃこいつ、また業務用のぬいぐるみ増えたと?」


 チーフたちの本拠地があるマンションの“Rudiblium Capsa”縫浜ぬいはま支店というプレートが貼られたドアを開けた。

 りおなが中に入ると床に寝ている部長とソファーに横たわり、毛布を掛けられた大きなウサギがいた。

 いい夢でも見ているのか時折口の端を上げていて白いキバが中からのぞいている。

 体毛が白くて耳が長くて鼻がひくひく動くのは確かにウサギだ。

 だが目の前でにやにやしている様は、可愛らしいのか恐ろしげなのかはりおなにはよくわからなかった。


「りおなさんこちらです」


 チーフに促されたりおな彼らが事務所として使っている一室に移る。

 デスクの上には大きく広げた髪が何枚も置いてあった。床に置かれた木箱の中には何種類もの布が入っている。


「富樫君、持ってきたわよ」


 りおなが振り向くと課長が木箱を抱えて事務所に入ってきた。

 木箱の中には袋詰めになっているパンヤ、綿わたが大量に詰まっている。

 状況が飲み込めず首をかしげるりおなにチーフが説明を始める。


「りおなさんにはこれからソーイングレイピアで、布を裁断するところから始めて一からエムクマたちを創ってもらいます。

 出来上がったぬいぐるみはソーイングレイピアで何か所か縫ったぬいぐるみとは違い生物のように振る舞うことができます」


「じゃあ全部レイピアで創ると、布と綿でできた生き物になるっと?」


「解釈の差もありますが、生物に限りなく近くなるという表現が正しいですかね。

 ただ、人間世界では生み出せても様々な理由で活動が制限されていき普通のぬいぐるみと同じように動かなくなっていきます。

 そこで作ったらすぐにRudibliumに連れていくことになります」


「んじゃ、そのルディブリウムで創った方がよくなかと?」


「いえ、こちらで創るのはちゃんと理由があります。

 りおなさんは創ったぬいぐるみにりおなさんお手製のはちのすワッフルを食べさせてください」


「えーーーー」


「そうすることでりおなさんを中心に心のつながりが生まれます。それは上下関係とは違う確かな信頼です。

 そのぬいぐるみ達をRudibliumに送り込むことがカンパニーシステムの基本になります」


「それはわかったけんど、りおなワッフルなんて焼いたことないけん」


「そこで私の出番よ」課長が話に加わる。


「材料は全部用意してあるから懇切丁寧こんせつていねいに教えてあげるわ」


 両手を胸の位置で組んだ課長は嬉しそうに話す。


「えーー、課長が焼いてくれるんじゃないのーー」


 りおなは両手を握り方の高さまで上げて上体を軽くゆする。

 ――りおなは自分では料理とかは全部ママに任せたまんまじゃからなあ。

 なんとか目玉焼きは焼けるか。スイーツ作りなんて遠い夢じゃな。


「課長、今回はぬいぐるみ創りを優先したいので、生地までは課長が作ってもらえますか」チーフが助け舟を出してくれた。


「そうね、じゃあ用意しておくからぬいぐるみができたら、来てちょうだい」りおなに向けて手をひらひらと振りながら課長は事務室を後にした。


「手始めにエムクマとはりこグマを創りましょうか。りおなさん、変身してソーイングレイピアを出してください」


「わかった」


 りおなはバッグからトランスフォンを取り出して耳に当てる。


「ファースト・イシュー・イクイップ・ドレスアップ」


 りおなが文言を唱えるとトランスフォンが反応した。

 りおなの身体が光に包まれて、瞬時に頭にネコ耳バレッタを装着したソーイングフェンサーに変身する。

 りおなはなんとなく猫耳が付いた部分を触ってみる。変身前は下ろしていた髪が自動的にツインテールになっている。 


 ――ネコ耳なしでも変身できるんか?

 りおながあれこれ考えているとチーフが説明を始める。


「りおなさん、トランスフォンを出してください」


「ああ、うん」りおなは言われるまま腰のホルダーに入ったトランスフォンを取り出す。


「開いてからカメラ機能を選択してください」


「出した」


「ではこの紙をフレーム一杯に収まるように撮影してください」


 りおなは言われるままに何か線が描かれた紙を撮影する。


「今撮影したのがエムクマの型紙、ステンシルになります」


 チーフは木箱からオレンジ色の大きな布と白い布を取り出す。オレンジ色の布を両手でりおなの前に大きく広げた。

 そしてプラスチック製の熊の目や鼻、ジッパーや丸い器具も取り出す。


「目とか鼻は解るんじゃけど、この丸いのなに?」


「それはクマの手足、首をつなぐためのジョイントですね」


「なるほど」


「ソーイングレイピアでこの布を指し示してください」


 りおながレイピアの切っ先を布に向けると、布はチーフの手を離れた。

 淡く光りながらふわりと宙に浮かんで、たった今撮影した紙に描かれてあった線が布に記された。


「その模様はそれぞれエムクマの身体のパーツになります。レイピアで切り抜いてください」


「わかった」


 りおなはソーイングレイピアを握り直し、切っ先を軽く二、三度振り意識を集中させる。


「ふーーーーっ」


 りおなは大きく息を吐いてから正面に浮いた布を何度も斬りつける。

 するとぬいぐるみを構成するパーツだけ浮いたまま残り他の部分は床に落ちた。


「縫い合わせる手順のデータはソーイングレイピアに蓄積されています。パーツ同士をそのまま縫い合わせてください」


 りおなは小さくうなづき鍔部分にあるボタンを親指で押した。

 レイピアの切っ先が細かく振動して光を放つ。

 間髪入れず浮いている布にレイピアを向けて剣針を撃ち出すと、布同士が見る見るうちに縫い合わされた。

 程なく三頭身半ほどのぬいぐるみが形作られていく。


「続いては顔のパーツと背中のジッパーなど細かいパーツをつけていってください」


 チーフから渡された様々なパーツをそれぞれの場所に縫い合わせると、布だけで綿が入っていないぬいぐるみが出来上がった。

 ふにゃふにゃの状態のぬいぐるみは淡く光ったままゆっくりと回転して浮かんでいる。


「これ、綿はどうやって入れると? 手で詰めんの?」


「こちらの綿にソーイングレイピアを向けて目を閉じてください。 

 そのまま、綿の塊が光り輝くさまを頭の中でイメージしてください。心の中の光が強ければ強いほど目の前の綿も強く輝きます」


 りおなはチーフの指示通りに、綿が光っているイメージを思い描くと、閉じたまぶたの向こうから強い光を感じ出した。

 目を開けると何の変哲もないはずの綿そのものが強い光を放っていた。


「レイピアの切っ先をぬいぐるみに向けてください」


 ソーイングレイピアを宙に浮いたままのぬいぐるみに向けると発光している綿がふわふわと浮かび上がりぬいぐるみを中心に回りだした。

 十畳ほどの事務室は光の粒で満たされる。

 そのまま輝く綿はぬいぐるみの首の後ろの開いたジッパーめがけて次々に吸い込まれていく。りおながゴーグル越しに眺める光景は幻想的でなぜか懐かしく思えた。


 輝く綿の最後の一粒が吸い込まれたのと同時にりおなはレイピアをふるい最後の一縫いを入れる。


 ぽすっという軽い音を立てて出来立てのクマのぬいぐるみは床に落ち、光も消えた。

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