第五節 横暴な取り立て

 塀に沿って進み、先ほどの声が聞こえてきたと思われる方角へ向かう。しばらくすると門に行き当たった。大扉は閉ざされているが、隣の小戸がわずかに開いている。

りょう姑娘グーニャン、あんたも聞き分けねぇな。こっちにはちゃんと証文があるんだよ」

「知った事じゃないわ。私はもう借りただけのお金は返したわよ。これ以上何を払えって言うのよ?」

 先ほどと同じ声の主が、別の誰かと言い争っている。小戸をそっと押し開いて、不空は中を覗き見た。

 四人いた。男が二人、女が二人。門の先は院子になっており、そこで男の一人と女の一人が向かい合っている。言い争っているのはこの二人のようだ。女の方は小柄で、どうやらまだ不空と変わらぬ年の頃と思えた。正房の前、石段の上から他三人を見下ろす彼女は、なぜかその顔の下半分を覆面で隠していた。

「わかってねぇなぁ、全然わかってない」

 やれやれ、と言いたげに相対する男が肩を竦める。二十代半ばに見えるひょろりと背の高いその男は書生風の身なりをしている。しかしながらその服はやや薄汚れているようで、さらに若干着崩しているためか到底真面目な書生には見えなかった。

「浅学な姑娘のために、この馬参史ばさんし様が講釈してやろう。いいか? 借りた金にはよ、利子ってものが」

「利子ってのがつくんだぞ? あたし知ってるもんねー!」

 口を差し挟んだのは襤褸衣のような服を着たもう一人の女だ。ボサボサの頭に泥で汚れた肌が実に浮浪者じみている。言葉を遮られた男、馬参史は首を回してギロリと彼女を睨みつけた。口元を歪め忌々しさが表情に滲み出ている。

「――閔敏びんびん、お前は黙ってろ」

「うん? はぁーい」

 睨まれたことに気づいていないのか、閔敏と呼ばれた襤褸衣女はぴんと手を挙げつつも気のない返事を返す。外見からは二十歳を越えているようだが、中身はずっと幼いようだ。

「利子ぐらい私だって知っているわ。そして私はその利子も払い終えたはずよ」

 眼前のやりとりを鼻先で笑うように、覆面の梁姑娘が言う。いやいや、と手を振る馬参史。

「莫迦を言ってもらっては困る。証文がこちらにあると言うことは、利子はまだ払い終わっていないと言うことで――」

「莫迦はどっちよ!? 元金と変わらない額の利子だなんて聞いたこと無いわ! さっさと帰りなさいよこの破落戸ごろつきどもめ。あんたたちにくれてやるお金なんて、もうここにはこれっぽっちもありはしないのよ!」

 馬参史の言葉を遮って梁姑娘が怒鳴った。怒り心頭、と言った様子で指先を馬参史に突きつける。馬参史は一瞬気圧されたように上体を仰け反らせた。しかし、次の瞬間大きく踏み出したかと思うと、瞬きする間に少女の眼前へと詰め寄っていた。はっとして身を引こうとした梁姑娘の襟を掴み、引き倒す。あっと言って蹈鞴を踏みかけた梁姑娘の背後を取り、馬参史はその腕を梁姑娘の首にかけた。そのまま吊り上げるようにすると石段の段差もあって少女の体は爪先立ちになる。

「俺を莫迦とか言うだなんて、おめーの方が莫迦じゃないのか? 俺って頭良いからさぁ、莫迦と話すと疲れるんだよねぇー。――そんなわけだから、これ以上そんなふざけた言動を取らないように締め落とさせてもらおうか」

 梁姑娘の腕がもがくように動く。小さく呻き声のような物が漏れ聞こえるが、声を出せる状態ではない。するとそれを見た閔敏は顔をぱっと明るくして飛び跳ねた。

「わっ、楽しそう! あたしもやるやるぅー!」

 言うなり、振り上げた拳をドンと梁姑娘の腹部に送り込む。ごふっ、そんな音が聞こえた。それと同時に、梁姑娘の腕からふっと力が抜けた。

 ――気づけば不空は、物陰から飛び出していた。一目散に彼らに駆け寄ると、そのままの勢いで馬参史の横っ腹に肩から突っ込む。まさかの闖入者に不意打ちを受けた馬参史は「うえっ」と呻くと、締め上げていた梁姑娘を放り出して地面に転がった。

「お前たち、一体何者か知らないが、何の乱暴狼藉だ!」

 不空はすかさず倒れ伏した少女を背に庇うように位置取って彼らと相対した。閔敏は突然の出来事に目をまん丸にして驚いていたが、ちらりと倒れ伏した馬参史に視線を向けると、その顔に怒りの表情を浮かべた。

「お前、馬の兄貴をよくも!」

 ぱっと手を腰に回す。そこに挿していた短い三本の棒きれを引き抜き不空へ詰め寄る。

 不空は寺男とは言え、物心ついて間もない頃から寺の戒律の下で生きている。そのため武芸を知らないどころか喧嘩だって経験はない。だが今の一連の経緯を見て、少なくともこの場においては梁姑娘と呼ばれた少女は被害者であり、彼ら三人は加害者だと知った。いくら何でもこれは見過ごせないし、割り入ったからには何としてでも少女は守り抜かなければならない。それは仏門の縁者だとかそう言った理由ではない。そうしなければならないという直感だった。

 閔敏が手にした三本の棒は、それぞれが精々肘から手の先位までの長さしかない。それなのに彼女は不空との間に三歩の距離を置いたまま腕を振った。これでは届くわけがない。それで不空は何も動かなかった。だから、その棒がひらりと伸びたのを見て驚いた。三本の棒はそれぞれ別個の物ではなく、鎖で連なった一つ、すなわち三節棍だったのである。

 三節棍は不空の左膝を打ち据えた。激痛が走り思わず足を折る。前屈みの体勢になったところ、さらに背中を打ち据えられる。息が詰まり、不空はどうと地面に突っ伏した。昨夜の雨で院子の地面は濡れており、べちゃっ、と泥が音を立てた。

「あれぇ? あたしらに喧嘩を売ったくせに、こいつ全然弱いじゃん。なぁんだ、つまんなーい」

 襤褸衣女の声がすぐ側でする。見上げようとしたところ、脇腹を蹴り上げられた。ぐぇっ、目の前が一瞬暗転する。

「あははっ! ぐえぇ、だってよ~? なっさけなぁ~い!」

「おい閔妹、それじゃあその情けないクソガキに不意打ちを喰らった俺様は何だと言うんだ? まったく……貴様、ふざけやがって!」

 馬参史の声がして、さらに脇腹を蹴りつけられる。またも呻き声と共に一瞬の暗転が入る。まずい、と咄嗟に思う。これ以上何かされたら間違いなく意識を失ってしまうだろう。

「――おい、そこまでにしておけ。ここへ来た目的を忘れたか?」

 そこへ割り入ったのは残る一人、ずっと一連のやり取りを傍観していた男だった。不空が首を巡らせて視線を向けると、男はそれまで腰かけていた庭石から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくるところだった。

 年の頃は二十代後半。薄緑の袍には風雲の模様が縫い取られ、その上から羽織った上着は上質な絹物。革の靴はピカピカに磨き上がり、頭には随分と大きな帽子を載せている。首元や手首には金銀璧玉の飾りをこれ見よがしに巻き付けており、一見して金持ちの道楽者と知れる格好だ。

「小僧なんぞ放っておけ。金目の物を頂いたらさっさと帰るぞ」

「さすがは兄貴、天才の俺でもうっかりしてたことをしっかり覚えてるんだな!」

 正房に向かおうとする男に莫迦丸出しの事を言いながら馬参史が続く。しかし、それを横合いから突き飛ばす者がいた。梁姑娘である。

叙修じょしゅう、この恥知らずめ!」

 叫びながら梁姑娘は頭二つ分は身長差のある相手に向かって爪を立てようと腕を振り上げる。しかしながら叙修と呼ばれたこの男、右側からやってきた少女の細腕を左手ではっしと掴み取ると、同時に右膝を上げて少女の脇腹を容赦なく打った。さらに、腕を取ったのとは逆の右肘で顔面を叩き潰していた。グシャ、嫌な音が不空にも聞こえた。打たれた反動で一瞬浮き上がった梁姑娘は、今度は呻き声一つ上げることもなく、べっとりとした血糊を撒いてその場に頽れる。はらり、その顔に巻いていた覆面が解けて落ちた。

「うわぁ、凄い凄ぉい! 叙の兄貴ってば一撃じゃ~ん!」

 不空の視界の外で閔敏が手を叩いて飛び跳ねる。その間に突き飛ばされた馬参史が走り寄り、そのままの勢いで怒りのままに梁姑娘の体を蹴り上げる。ぐったりとした様子の彼女はもはや少しの抵抗も見せずに転がり飛ぶ。それを見た叙修は、ハハハと天を仰いで大笑した。

「梁姑娘、この俺に楯突こうなど貴様にとっては無謀以外の何物でもないぞ。貴様は大人しく俺に金を払い続ければ良いのだ。あまり下手な事をするようならすぐにでも妓楼に売り飛ばすところを、そうしないだけありがたいと思うのだな」

「まぁ、お前のような醜女しこめなど大した値打ちにもならんがな」

「あっはは、言えてるぅ~」

 馬参史と閔敏がさらにはやし立てる。それを聞いて不空、自身の中に例えようのない感情が激しく渦巻くのを感じた。それはまるで嵐のように不空の体内を荒らし掻き立て、轟々と耳を聾するほどの唸りを上げる。そして気づいたときには体は跳ね起き、真っ直ぐ叙修へと飛びかかっていた。

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 大きく腕を振り上げ跳躍し襲いかかる不空を、しかし叙修は微笑と共に迎え討った。不空が攻撃を仕掛けるかも知れないと多少予測していたのだろう。半ば面倒そうに腕を掲げて不空が振り下ろす腕を受け止める。そのまま返す手で腕を掴み取って梁姑娘と同様に腹と顔面を打つつもりだったのだろう。――しかしながら、そうはならなかった。

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