太白輝星

第一節 瑞兆あるいは凶兆

 ふと筆を持つ手を止めて、もう一度天を見上げる。墨を広げたような暗黒の中、か細い光を放つ星々の位置を順に辿る。次に傍らの渾天儀こんてんぎを動かす。星々の座標、月の満ち欠け、それらによって導き出される値を念入りに読み取る。そして先の値と比較して今度も同じ結果となることを確かめる。それをさらに三回。しかし何度繰り返そうと、導き出された結果は変わらなかった。

 運命は、不変だ。

 天下万物はあるべくして存在し、なるべき形へと変化を続けている。その変化があらかじめ定められているのなら、その過程に起こる予兆も結果も、すべて定まった運命の中にある。結果が発生するからには原因があり、その原因が発生するにも原因がある。すべての事象には因果関係があり、その因果を解き明かしたものだけが訪れるべき未来を予見することができる。

 ちょう看星かんせいが目指すところはそれである。そして今、千載一遇の機会が巡ってきた。星の運行記録を書き上げると、今度はそれを過去の記録と比較する。結果が生じるには原因があり、その過程には必ず予兆が存在する。天文観生てんもんかんせいたる彼の役目はその予兆である星の動きを観察すること。繰り返す歴史の予兆を未来の誰かが気づけるように記録することだ。

 しかし、彼はそれだけの職務に満足していなかった。彼が望むのは、過去の記録と照らし合わせ、予兆を掴み、未来をることなのだ。

 十数巻の記録を探り、記録庫の床は広げられた過去の記録でいっぱいだ。その中から張看星は目当ての記録を探り当てた。駆け戻って自身の記録と比較する。

「やはりそうだ……太白星に予兆あり……間違いない!」

 普段はなるべく感情を表に出さない張看星だが、この時ばかりは口元の綻びを抑えきれない。声を上げて笑い出すのだけは堪え、再び筆と新しい白紙を手元に引き寄せる。

 彼の生涯は占星にあった。思えばその始まりは淳風じゅんぷうとの出会いにある。彼こそが張看星の人生を変えた人物と言ってよい。あの崇高にして偉大な天文学者が張看星の故郷を訪れ、洪水の予言を授けてくれなければ、張看星もその家族も友人たちも今頃は水底に沈んでいただろう。

 それからのことだ。幼少期より星空を見上げ、星辰を読んで吉凶を判じた。的中することもあれば外れることもあった。やがて人は彼を「看星」と呼び、自らもまたそう名乗るようになったのだ。

 未来をることを望んだ。かつて周武王を導いた太公望、劉備を推し立てた諸葛孔明。彼らはみな占術に優れ、未来を予見することで大業を成した。後世に残された「万年歌」「馬前課」は今や張看星の愛読書である。そしてもちろん、李淳風とその友えん天罡てんこうが残した「推背図すいはいず」は言わずもがな彼の宝である。いずれは自らもあのような讖緯書しんいしょを後世に残すのだと意気込んでいた。

 それがどうだ。今やただ星々の運行を記録し報告するだけの日々。上官たちは皇帝の望む通りの美辞麗句を並べ立てた耳触りの良い報告を上げるばかりで、そこに先人に学ぶ姿勢など欠片もありはしない。憤らずにはいられなかった。過去に生きた人々が未来のために残した記録は、今を生きる我々へのかけがえのない贈り物だ。それを脇に避けてただいたずらに権力者の機嫌を取ることの、一体何が占星か。今がそんな有様で、これより先はどうなってしまうのだ? 今日この手で残した記録は後世に活かされるのか? 無為に簡を消費しただけに終わるのでは?

 占星がいかに国の大事であるか、それがわからぬ奴らに知らしめてやらねばなるまい。過去に学ぶことの意義を。予兆に耳を傾ける必要性を。未来を識ることの重要さを。

 今がまさにその時なのだ!

「待っていろ、待っていろよ! この俺こそが唐の命運を明らかにするのだ。栄枯盛衰のこよみを解き明かすのだ!」

 張看星の筆は止まらない。瞬く間に書状を書き上げる。三編ほど読み返し、うむと頷くやその場を後にする。行き先は太史監の邸宅だ。

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