第三十八節 受け継がれた意志

 本堂の屋根上で不空の勝利を見届けた一同は、わっと歓声を上げて抱き合ったのもつかの間、次の瞬間あっと声を揃えて叫んだ。

 倒れたと思ったはずの斐剛が突如として跳ね起き、膝を突いてもはや動けない様子の不空に飛びかかって行ったのだ。しかも、それと同時に三重塔は大きく傾いた。まるで今まで支えていた何かが力尽きたかのような、急な崩落の始まりであった。二人の姿は大きく弧を描いて倒れ行く瓦礫に呑まれすぐに見えなくなる。

「兄ちゃん!」

 子供たちが一斉に悲痛な叫びを上げた。戦闘が行われている間、ずっと声を張り上げていた彼らの喉はもはや枯れ果てており、叫び声と言ってももはや息が漏れるだけの掠れ声でしかない。

 巨大な火柱となった三重塔は麓に向かって倒れ、その向かいにあった厨房や塀も押し潰して農園にまで届いている。すぐ近くには林もあり、そちらに飛び火すれば大参事は免れない。

「皆、落ち着け! 手を貸してくれ!」

 一足早く冷静を取り戻したのは空真だ。

「あのままでは山が燃えてしまう。少しでも火の勢いを弱めて、延焼を防がなきゃならない。それに、このままでは不空が無事だったとしても焼け死んでしまう。早く助け出さなければ!」

 言うなり梯子に向かってほとんど飛び降りるようにして屋根を降りる。一瞬呆気にとられた一同だったが、すぐにその後に続いた。

 僧侶たちが降りた後、子供たちが後に続こうとするのを梁工が割り込んで止めた。

「待て、お前たちが行ったところでどうする? 邪魔になるだけだ、ここは大人に任せておけ」

 すると、少年の一人ががらがらの声で反駁した。

「蕾姉ちゃんがいつも言っていたんだ。この世で一番尊敬するのは、たとえ無理でも自分の力の及ぶ限り全力を尽くす人だって。おじさんだって見ただろ? 兄ちゃんだってまだ子供だけど、悪い奴を全力で懲らしめたじゃないか。その兄ちゃんを助けるのに僕らが全力を尽くさなくってどうするんだ! どいてよ!」

 その剣幕に梁工は圧倒され、少年たちが続々と屋根を降りてゆくのを見守るしかなかった。そうして唐突に、涙が流れた。

「同じだ、あの娘と……」

 翡蕾もかつて、己が病に倒れた時には出来る限りを尽くして救ってくれた。家計を救うために始めた梁家甘処も出来る限りの事をやって盛り上げ、そして出来る限りの力を尽くして幼い子を凶刃から救った。――その意志は、尽きていないのか。あの子たちに受け継がれているのか。

「――譬えば月光の能く一切の優鉢羅花をして、開敷鮮明ならしむるが如し」

 どこかから聞こえて来たその声に、梁工は驚いて屋根の下を見下ろした。そこに立っていたのは思いもかけない、自身の家で療養していたはずの鑑円だった。

「方丈、どうしてここに……」

 鑑円は答えない。ただ胸の前に数珠を掲げ、念仏を唱えるように、囁くように言葉を発する。

「分け隔てなく与えられる慈愛が人々に善心の花を咲かせる。悪心は決して栄えぬ。――ご息女の慈愛は確かに、子供らに善の心を咲かせたようじゃ。重畳、重畳」

 一人納得するように頷いて、鑑円はすっとその場を後にした。梁工は慌ててその後を追って屋根を降りたが、もはやどこにも姿は見えない。さて、どうするべきか?

「――そんな事、決まっているじゃないか!」

 踵を返し、駆け出した。

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