五、執事は暴動を起こす
もしもデミウルゴスが説得を最優先にしていたなら、事態の収束は計れたかもしれない。
だがその場合、バーは壊滅的な被害を受けていたに違いない。セバスは問答無用の臨戦態勢だったし、逃げ回りながらどうにか話をつけようとするならば、椅子だの棚だのなんでも盾にして時間を稼ぎつつ試みるほかにない。
むろん、ここでシャルティアやコキュートスが制止に入ってくれるようならば、デミウルゴスとて落ち着いて対処出来たろう。しかし二人は「デミウルゴスとセバスが争うのは御方の願い」と納得し、とりあえず観戦という姿勢を取ったものだから、いかんともしがたい。
コキュートスはともかく、シャルティアはそのまま観戦姿勢でいてくれた方が、あれほど事態は紛糾せずに済んだのだが――
ともかく、デミウルゴスはとっさに計算していた。壊滅したバーを再建するためにかかる費用を。
慎ましやかな空間ではあるが、これでかなり凝った造りである。細部という細部に魂を込めたかと思われんほどに、装飾であったり配置であったり、隅々まで配慮が行き届いている。当然のごとく使用されたデータクリスタルも膨大な量だった。
おそらくプレアデスの一体を復活させるのと同等程度には修理費用がかかる。
一方で、廊下はといえば?
見た目には豪華だが、種別は『通路』である。ユグドラシルのゲーム時代から、『通路』は魔法やスキルの破壊的エフェクトでぼろぼろになっても、一定時間経過後に自動で修復する仕様であった。修復費用がかかる『施設』や、設置費用を要する『罠』にはないメリットである。
だからこそ、デミウルゴスは全力で廊下への脱出を急いだ。
スキル『悪魔の諸相:八肢の迅速』により、スピードを大幅に向上させ、即時退避。逃げの一手だ。
セバスは攻撃モーションをキャンセルして強制停止、椅子を破砕する寸前で華麗に身を捌いて扉へと向き直り、僅かに身をかがめ筋肉をたわめて、直後爆発的な踏み込みで突進する。
デミウルゴスはすでに廊下に出ているが、扉はあえて閉めずにおいた。豪風とも呼ぶべき執事の突進、廊下で片足を軸に九十度身を回転させて壁への激突を防ぎ、勢いを殺さずに追う。
悪魔が廊下を進めたのは、ほんの数歩。スキルで強化しようとも、執事の身体能力には到底及ばない。背中におぞましい風圧を感じ、身をよじってとっさに回避する。鼻先をかすめるように拳が通り過ぎ、それが軌道を変えて裏拳となって襲いかかる。
首を左に傾けるのが一秒でも遅れていたらどうなっていたか。頬のすぐそばに叩き付けられた拳は、壁を陥没させる。鼓膜がおかしくなりそうな衝撃と轟音だった。
「まあ! あれは壁どんっかしら?」
なぜだか嬉しげなシャルティアの声がするが、そちらを見ている余裕はない。壁に背を押しつけ、追い詰められた状態のデミウルゴスは、ともかくも意志力を総動員して友好的な笑みを繕い、
「君は思い違いをしているよ、セバス。まずは話をしようじゃないか」
「その手には乗りません。口先で丸め込むのはあなたのお得意ですから」
「まさかこの第九階層で、至高の御方々の居住区とも呼べるこの場所で、醜い争いを繰り広げようというんじゃないだろうね?」
「この階層こそ、我々の決闘にふさわしいではありませんか。至高の御方がお望みなのです。この地におられないすべての御方々に照覧いただいても恥じないよう、全力をもってあなたを滅しましょう」
「とりあえずものすごくうれしそうに殺す気満々なのはどうかと思うよ? 私もあれこれと仕事を抱えている身だ。死んでしまってはいろいろと支障があるし、また復活費用もかなりの高額になる」
「では死なない程度に殺します」
「意味が分からないんだが!?」
しかしこの調子だと、「ほどほどに嫌い合おう」と言ってみたところで、「ほどほどに殺し合えばよいのですね」などと返されかねない。
血の滴るような笑みを浮かべる執事は、かつて娼館を襲ったときに勝るとも劣らぬ不穏さを湛えている。まずい、と判断した悪魔がスキルを使って離れようとしたその隙に、執事の拳が颶風をまとった。
だが、デミウルゴスはどうにか床へ身を投げ出し、転がるように離れられた。当人が一番驚いている。何が起きたのかと顔を上げた彼が見たのは、氷結の武人が細身の剣をセバスの脇から腕のそばへと差し入れ、その動きを阻害している姿だった。
「手出しはやめていただきたい。これは至高の御方もお望みのことです、コキュートス」
「オ前タチガ争ウノヲ止メルツモリハナイ。ダガ戦力差ガコレホドアルノデハ問題ダ。私ガデミウルゴスニ加勢スルコトデ調整スル」
「なるほど、承知いたしました。私はあくまでデミウルゴスのみを狙いますが、彼を庇った場合にあなたがダメージを負う可能性もあることを、あらかじめお詫びしておきます」
「気ニスルナ」
などと二人が勝手に協定を結んでいる間にも、デミウルゴスはじりじりと距離をとる。しかし破壊されても問題ない『通路』に留まらねばならないジレンマが、食堂や広間へ逃げ込むことを許さない。選択肢はほとんどない。
と、シャルティアが両手で服の裾を持ち上げながらいそいそと駆け寄ってきて、
「わたしは? わたしは何をしたらいいかしら? アインズ様はどうすればお喜びになる?」
「……そうだね、とりあえずセバスを戦闘不能にしてくれると助かるんだが」
「あら、だめよ。ズルはいけないでありんす」
ふふん、と言ってのける吸血鬼には、もはや何も期待するまいと悪魔は達観した。
「これは何事ですか!」
叫び声はプレアデスの副リーダー、ユリ・アルファのものだ。振り返ったデミウルゴスは、騒ぎを聞きつけた戦闘メイドが駆けつけたことを知った。シズとエントマ、ソリュシャンもいっしょである。
よし、と悪魔が事態の収拾のため指示をしようとしたそのとき――
「我々が争うことを、アインズ様は望んでおられるのです!」
セバスが堂々と宣言した。深い確信と、強い使命感をにじませて。
まずい、と悟った悪魔が行動を開始するには遅く――
目の色を変えたプレアデスたちが勝手にバトルを始めた。
シャルティアが「わらわも混ぜるでありんす!」などと上機嫌に加わり、互いに攻撃し合っていたメイドたちは頷き合って、全員で協力して吸血鬼に挑みかかる。
頭痛を堪えて制止しようとしたデミウルゴスは、横から抱きかかえられるようにして持ち上げられる。はっとして見れば、先ほどまで悪魔がいたところに執事のかかと下ろしが炸裂しており、地響きを立てて床が陥没していた。
「余所見ヲシテイル暇ハナイゾ、デミウルゴス!」
「ああ、うん……私は君に礼を言っていいのか呆れていいのか非常に悩んでいるんだ、コキュートス……」
おっかなびっくりにのぞき込んだ一般メイドに、ユリが指示する。
「レベル五十相当以上のNPCの方々に連絡を! 至急戦争に参加されたし、アインズ様のご希望である、と!」
加速度的に悪化する事態をよそに、バーは平穏を取り戻していた。
きのこ頭のマスターは、深い感謝と危惧を込めて廊下をちらっと見やる。爆音に次ぐ爆音が廊下を響き渡っている。
(ありがとうございます、デミウルゴス様……。バーの被害は床にあるセバス様が踏み込んだ片足の跡だけです)
修理費用も些末なものだ。
ゆっくりと扉を閉め、ピッキーはかぶりを振る。ああも争いが激化していては、とてもじゃないが外には出られない。
もっとも――希望はあった。
デミウルゴスとセバスが相次いで外に飛び出した直後、扉の外に姿を見せた者がいた。なぜそんな状況になっているか分からずとも、彼は理解したようだった。NPC同士で争いが始まったのだと。
そう、彼はその認識を苦も無く受け入れたのだ。ほとんど瞬時に。
他の者ならば、まさか、という思いが先に立ち、実情を理解すべく動こうとするだろう。コキュートスかシャルティアか、あるいはピッキーから理由を聞き、なるほど、と思ったときには廊下が戦場と成り果てていたことだろう。
彼は、そんな手間をかけなかった。
バーに入ることさえしなかった。
即座に彼は動いた――正確には動くよう命じた。
彼はひとりで移動しない。常に男性使用人が小脇に抱えていく。
事態の逼迫を察した彼は、迷うことなく叫んだのだ。
「私を投げろ!」
男性使用人が懸命に駆けるよりも、全力で投げつけた方が速い。
その軌道をセバスかデミウルゴスが塞げば――攻撃がかすめでもすれば。彼など一撃で死んでしまう。
分かっていて、彼は怯まなかった。
男性使用人が渾身の力を振り絞り、肩を大きく使って、投げた。
弾丸のごとく、彼は飛んだ。
飛べない鳥が、宙を舞った。
あやまたず通路の先に着地した彼は、大声で配下を呼んだ。
一番近くにいた男性使用人が駆けつけた。
ほかにも何人か顔を出した。
彼は毅然として命じた。フォーメーションA、と。
男性使用人たちの間に電流が走ったかのようだった。
ついにその時が来たのか、と。
すべてはあまりに手早く、迅速だった。男性使用人が彼を投げたとき、まだシャルティアとコキュートスは席から立ち上がったばかりだった、と言えば、その疾風迅雷のごとき反応がいかに神がかっていたか分かるだろう。
(もはや頼みの綱はお前だけだ)
祈るように、ピッキーは友の名を呼ぶ――
(しっかりやれよ、エクレア)
【あとがき】
アインズ様語録
「セバスに伝言ゲームの才は無いな」
(一巻、二百八十二ページ)
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