見た事ない人

 同僚に、酒の全く駄目な男がいた。

 気弱なのもあってわりに甘く見られて、飲み会の折にはよく車で送りを頼まれていた。俺も幾度か乗せてもらった事がある。

 ただし彼にはひとつ妙なこだわりがあって、絶対に助手席に人を座らせない。


「そこは指定席だから」


 そう言って頑なに譲らず、無理に座ろうとすれば日頃の印象を裏切って烈火の如くに怒った。

 皆は「将来の彼女の指定席とか夢見てんじゃねぇの」などと小馬鹿にするが、俺は違うと思う。

 何故なら彼の車を利用した時、「助手席のシートベルトを締めてください」と警告音が鳴るのを聞いた事があるからだ。無論席は空で、荷物も置かれていなかった。

 その折振り返って俺を見た、彼の眼差しは忘れられない。



 それからしばらくして俺は異動になり、元の部署の連中とは徐々に疎遠になっていった。

 だがそんなある日、唐突に彼から結婚式の招待状が届いた。

 冷やかし半分に古い部署を尋ねると、彼はとうに辞めて郷里に帰っているという。おまけに招待状なぞ誰も受け取っていなかった。その場は冗談めかして退出したが、戻りしなにふと過ぎった。


 ──まさか結婚の相手は、助手席の見た事はない誰かじゃあるまいな。


 あの時の彼の目を思い出したら不安がぐいぐいと膨らんで、俺は欠席に丸をつけた。





※以上はつまようじ様よりの原案「車を発進させると補助席のシートベルトをしめて下さいと警告ランプが鳴る」を元に創作したものです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る