水底より月を見る

 月はまだ出ないのだろうか。周りには真っ暗い闇ばかりが在る。

 どうにも寒くてたまらずに、俺は体を震わせた。


 俺は人を待っている。相手は女だ。駆け落ちの約束をしていた。身分違いの恋だから、手に手をとって村から逃げ出すところだった。

 今夜、この橋の真ん中で落ち合おうと言っのはあいつの方だ。きっと土地勘があるのだろうと思っていた。

 しかしあいつはまだ来ない。

 もしや足元を誤ったのではと不安になった。


 この大川にかかる橋の幅はそれなりには広い。だが今は草木も眠ろうという刻限だ。明かりといえば月と星のみであるのに、それは雲に覆い隠されている。

 この時期の水は骨に凍みるほど冷たい。先の雨で水量も増している。万一川に落ちようものなら、まず命はない。

 心配は募る。だがが声に出して女を呼ばわれば、村の者に露見してしまう。

 だから俺は黙って待った。ただ耳を澄まして、闇の中で待っていた。

 女が来たらどこまで逃げよう。逃げた先でどう暮らそう。そんな事を考えながら。

 ──そうだ。

 考えていたのだ。さっきも確か、こんな事を考えていた。

 考えているうちに、月が雲に覆われたのだ。その闇の中、背後に女の足音を聞いた気がして、それから。

 それから先が思い出せなかった。どうにも記憶が曖昧だ。

 大きな水音を聞いたような気がする。あれはきっと、人が落ちた音だ。だから俺はあいつが心配なのだ。まだ来ないあいつが、川に落ちたのではないかと心配なのだ。


 しかし寒い。ひどく寒い。一向に月は出ない。あの女はまだ来ない。それにしても、どうしてこんなに暗いのだろう。月は何故出ないのだろう。

 見えない。何も見えない。

 在るのはただ闇ばかりで。

 なんだか、なんだかまるで――。

 

 皓々と月が川面を照らす。

 骨まで凍みる冷たい流れが、水底みなぞこの俺の体を、ゆらりゆらりと弄ぶ。

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