必殺技

 葵の「御堂葵」としての身分工作、および暁学園への編入手続きと並行して、その日の夜から武士の訓練が開始された。


 御堂組のビルには、組員が日々の鍛練に使用する訓練場があった。

 暁学園の柔剣道場と遜色ない広さのフロアがあり、そこを使っての訓練だった。

 武士の訓練には時沢があたった。独自の行動を開始した直也を除いて、ハジメと葵、翠も訓練に同席する。


「悠長にやっている時間はありませんからね。もっとも効率のいい訓練は、実戦です」


 剣道をやっていた武士には、剣術をベースにするのがよいだろうということで、武士は木刀を与えられる。


「こ、これでどうするんですか」

「私を倒して下さい」

「は?」

「簡単です。その木刀で、私を打ちつければいいんですよ」

「そ……そんなことできるわけないですよ! 死んじゃいますよ!」


 竹刀で相手を打つことすら苦手な武士に、木刀で生身の人間に打ちかかることなど、できるはずもない。


「不遜なことを言いますね。武士君」

「え?」

「君に、私を殺せると思っているんですか?」


 時沢は、無手のまま武士との距離を一瞬で詰める。

 木刀を握る武士の腕を掴むと、軽く返した。

 たったそれだけの動作で、武士の視界の天地はくるりと逆転する。

 遅れて背中に衝撃が走り、武士は天井を見上げて床に倒されていた。


 衝撃で肺の空気が押し出され、一瞬呼吸が止まる。

 息苦しさを覚える間もなく、続いて脇腹に鋭い痛みが走った。


「がっ……!」


 時沢が、倒れた武士の脇腹をつま先で蹴り上げたのだ。

 その一撃は容赦なく、武士の内臓に深刻なダメージを与えていた。


「時沢さん!」


 訓練を見ていたハジメが声を上げる。

 隣にいた葵も思わず息を飲んだが、即座に太腿のホルターに差していた命蒼刃が輝き始め、葵は僅かに顔をしかめた。


「回復するんでしょう? なら躊躇しません。ハジメさんも手加減はいらないと言ったでしょう」


 時沢は冷たい声で言い放つ。


「いや、あれは」

「武士君。痛いですか?」


 木刀を手放し脇腹を押えて蹲っている武士に、時沢は声をかける。

 普通なら「痛い」程度で済むはずもないのだが、武士には命蒼刃の回復の力が作用していた。

 しかし、痛みと恐怖に立ちあがることができない。


 昨夜から何度も致命傷の怪我を負い、その度に立ち上がってきた武士。

 しかしその時は、謎の戦闘集団に襲われたり、葵の生命の危機であったり、非日常の特殊な状況下での出来事だった。

 しかし今は訓練をするという、ある意味で日常の延長線上にある状況だ。

 興奮状態にあった昨夜とは違う。

 理性が残っている状態で時沢の容赦のない攻撃を喰らうと、武士は痛みに対する恐怖で身震いするしかなかった。


「立ちなさい。君は、命蒼刃に守られるだけで良いのですか?」


 時沢が蹲る武士の顔面を蹴り上げる。


「葵さんに、ハジメさんに、守られるだけの存在でいいのですか?」


 武士の胸倉を掴んで、倒れこんだ武士の体を引きずり起こす。

 そして鼻血がまだ止まっていないその顔面を、拳で殴りつけた。


 体を回転させながら吹っ飛ぶ武士に、更に追い討ちをかけようと歩み寄る時沢。


「……やめろ!」

「葵ちゃん!」


 翠が止めるのも構わず、葵が飛び出した。

時沢の背後から疾風のように駆け寄り、その勢いのまま飛び上がって、時沢の頭部に回し蹴りを繰り出す。

 時沢は背後からのその攻撃を振り返ることもせずに右腕で止めると、その足を掴んで腕をぐるんと回転させた。


「なっ……!」


 大きく体勢を崩された葵は頭から床に落ちそうになるが、まるで猫のようにしなやかに短い滞空時間で体を回転させ、足から着地した。


 時沢は、ほぼ同時に低い姿勢となった葵の頭部を目がけて、蹴りを繰り出す。

 慌てて両腕でガードする葵だが、時沢の蹴りのパワーは並みではなかった。

 体重の軽い葵は体が宙に浮くほどの勢いで吹っ飛ばされる。

 衝撃を殺す為に自ら床に転がった葵に、時沢は追いうちをかける。

 床に転がる葵の体を踏みつけようと足を振り上げた。


 そのとき、恐怖に震えていたはずの武士が、時沢の足に飛びついてきた。

 足にしがみつき、葵への追い討ちを止める。

 時沢は自分の足にしがみつく武士を見るとニヤッと笑い、その武士の背中に躊躇なく肘を打ち落とした。


「が、はっ!」


 思わず武士は抱え込んだ足を放してしまう。

 その隙に葵は素早く立ち上がったが、武士が飛びついてきたことに驚いたのか、あるいは時沢の意図に気づいたのか、その場で棒立ちになっていた。

 時沢は拳を振り上げて、棒立ちとなった葵の顔面に、強烈な突きを繰り出す。


「っ! 葵ちゃん!!」


 背中に強烈な打撃を喰らって床に伏せられていた武士は、驚異の瞬発力で体を起こし、葵の顔に迫っていた時沢の拳を平手で受け止めた。


 一瞬の出来事だった。

 一連の動きを見ていたハジメと翠は絶句する。

 時沢や葵に、ではない。

 背中を強打され倒れていた武士が、時沢の拳が葵に迫る刹那の瞬間に飛び起きて、その突きを受け止めた動き。

 その動きの速さは、尋常ではなかった。


「ハジメさんから聞いた通りですね、武士君」


 時沢は、頬に傷のある強面の顔でにっこりと笑う。


「君は他人を守る時にだけ、卓越した運動神経を発揮する」


 武士は葵を背に、時沢の拳を受け止めながら肩で息をしている。

 その眼光から、時沢への恐怖の色はすっかり消えていた。


「だけど武士君。これからはその運動能力を、自在に扱えるようにしなくてはいけない。その為の訓練を、これから行いましょう」




 武士が後に鬼と称した時沢は、比喩でなくまさに鬼そのものだった。

 細かい指導などしない。

 実戦そのもの。

 武士は正真正銘殺気のこもった攻撃を受け続け、時にはハジメや葵を交えて時沢と戦った。


 武士は僅かながらも実戦のコツを掴みつつあったが、それでも時沢が期待するレベルにはほど遠かった。


「なかなか、思うように伸びないですね」


 休憩の時間に、訓練場で車座になって座りながら時沢は漏らす。


「いや……武士はよくやってると思うぜ。時沢さん、鬼過ぎるよ」


 ハジメの言うとおり、武士の動きはたった一週間で、剣道部で練習していた時と比べたら各段に成長していた。


「よくやっている、程度では駄目なんですよ。鬼島の特殊部隊〈北狼〉は、常軌を逸した戦闘能力を持つ集団です。彼らに対抗できるレベルには、まだまだ天と地ほどの開きがあります」

「そんなこと言ったって、武士は普通の高校生なんだぜ」

「ハジメさん。あなたがそんな覚悟では困ります。武士君はもう、普通の高校生ではありません」


 座り込んでいる武士を見て、時沢は言った。

 武士は床を見つめて黙り込んでいる。


「まあ、トッキーの言う通りだけどねー」


 翠は腰の碧双刃の柄を触りながら言う。


「私はコレの力でなんとか奴らと対抗できてたけど。九色刃がなければ、葵ちゃんでも敵から逃げるので精一杯だったわけだからねん」

「その、九色刃だけどよ。なんか必殺技とかないわけ?」


 ハジメが碧双刃を見ながら問いかけた。


「はあ?」


 必殺技という言葉に、翠は呆れたような声を返す。


「いや、お前のその曲がった刀はよ、樹の枝とか切るとズバーンって伸びて、敵をババッとなぎ払うんだろ? 武士達の命蒼刃にも、そういう攻撃に使える力はねーわけ?」

「あんたね。必殺技って、マンガじゃないんだから」

「もう充分マンガじゃねーか」


 間の抜けた会話をするハジメと翠に、時沢が間に入った。


「必殺技ならあるじゃないですか。葵さん」


 翠は時沢の言葉に、驚いた顔をする。


「トッキー、知ってるの?」

「組長に、九色刃の仕様書は読ませてもらいました」

「仕様書? そんなのあるんですか?」


 神秘の力を持った九色刃に似つかわしくない言葉に、武士は違和感を覚えて聞き返した。


「軍用兵器ですからね。当然ありますよ」

「家電製品みたいに、説明書があるってことですか」

「刃郎衆でも一部の人間しか、その存在を知らないでしょう。紙媒体ではもう存在していません。データとして、組長が持っていますよ」


 武士達の訓練を征次郎に一任されるにあたって、時沢は命蒼刃のスペックデータに目を通していた。


「葵さんは、命蒼刃の仕様については知っていますよね?」


 無言だった葵に時沢が問いかける。

 膝を抱えて座っていた葵はこくんと頷くと、口を開いた。


「でも命蒼刃には不明な能力も多い。……武士。前に屋上で戦ったとき、武士は私の魂を、攻撃を先読みしてたよね?」

「……うん」


 死を考えていた葵を引き止めるため、武士は葵に戦いを挑んだ。

 葵の攻撃してくる軌跡を、武士は青い光の筋で一瞬先に見ることが出来ていた。


「仕様書に、管理者と使い手は互いの魂を感知できるとは書いてあったけど……武士がやったような、相手の攻撃を先に感じるなんて仕様は書いてなかった」

「命蒼刃は九色刃のうち最後に完成したようですからね。これまでも使い手が居なかった訳ですし、能力の検証ができていないのでしょう」


 時沢は考え込むように顎に手を当てた。


「それで? 時沢さん。もったいつけんなよ」


 ハジメが催促する。


「なにをですか?」

「必殺技ってなに? 書いてあったんだろ? 仕様書に」

「葵さん、説明してもらえますか?」


 時沢は葵に促した。


「はい」


 素直に頷いた葵は、注目しているハジメや武士に向き直った。


「命蒼刃には、不死と回復の力のあくまで副産物として、もうひとつの力があるの。その能力の名前は、〈霊波天刃〉」

「れいはてんじん?」

「なにそれかっけー。必殺技っぽい」


 聞きなれない響きに思わず復唱する武士と、はしゃぐハジメ。


「あんた、うるさい」


 翠は反射的にハジメの頭を平手で叩いた。


「いってーな。なにすんだテメエ」

「真面目に聞きなさいよ」

「だって〈霊波天刃〉だぞ。アニメの技の名前みたいだって、思わねーか? お前そう思わなかったか?」

「そりゃ少しは……いやかなり……思うけどさ」

「ほらみろ!」

「うっさい!」

「そこの二人。仲がいいのは分かりましたから、静かにして下さい」


 時沢の冷静な声に、


「仲良くねーよ」

「仲良くないわよ」


 綺麗にハモると、二人は押し黙った。


「……続けていい?」

「お願いします」


 葵の言葉に、なぜか武士が申し訳なさそうに頭を下げる。

 葵は説明を続ける。


「〈霊波天刃〉は、命蒼刃の使い手だけが使える能力。刃に封じられた使い手の魂が、使い手の精神に共鳴して発生する刃、なんだけど……試してみようか」


 葵は座っていた膝を立てて、太腿のホルターから命蒼刃を鞘ごと引き抜いた。


 ちなみに葵は、訓練中ながら動きやすいようにとタイツにミニスカートという出で立ちだった。

 命蒼刃を抜くとき、葵の脚線美が一瞬かなり大胆に露になる。

 真正面に座っていた武士は、視界に唐突に飛び込んで来たその光景に慌てて目を逸らした。


「……?……どうしたの?」

「いや……なんでもないです……」


 首を傾げて尋ねる葵に、武士は顔が赤くなるのを感じながらそう答えるしかなかった。


「変なの」


 葵はくすりと薄く笑って、命蒼刃を鞘から引き抜いた。


「あれは天然か?」


 葵の服装と態度に、ハジメは小声で翠にささやく。


「私も最初は、天然って思ってたんだけど……確信犯なら恐ろしい子よね……葵ちゃん…」


 翠も小声でハジメの疑問に応じた。


 葵は命蒼刃の柄の方を向けて、武士に差し出す。


「持ってみて」

「あ、…うん」



 武士は慌てて向き直り、差し出された短刀の束を握る。

蒼い刃がきらりと蛍光灯の光を反射した。


「それで、誰かを殺すって思ってみて」

「……は?」


 唐突に過激な言葉に、目が点になる武士。


「要は、命蒼刃に殺気を込めてくれればいいの」

「いや、殺気って」

「そうすれば、回復の時に出るのとは違う光が、命蒼刃から長い太刀みたいに伸びる。殺意を抱いた対象だけを切ることができる、光の剣になる……はず……って、書いてあった、けど」


 自信なさげに、言葉の最後が小さくなる葵。

 彼女も実際に見たことはないのだ。


「光の剣! まじで! ラ○ト・セーバーじゃねーか!」


 光の剣と聞いて興奮を抑えられないハジメ。

 隣に座る翠はあきれ顔をしながら、もう注意を諦めていた。


「武士、ナイン・サーガの〈真・九星界裂斬〉だぜ、おい!」


 前にハジメと武士がハマっていたネットゲームに出てくる、魔を打ち倒す聖なる剣技の名前だった。


「叫べ武士! 真・九星界裂斬と叫んで剣を振るんだ!」

「もうハジメは黙ってろよ!」


 ほとんど爆笑しながら冷やかしてくるハジメに、冷たい言葉を浴びせる武士。


「?……その真・九星界裂斬っていうのがどんな技か知らないけど、〈霊波天刃〉はそんなことしても使えないよ?」


 まだ笑っていたハジメに、葵が首を傾げて真面目な顔で言う。


「いや、それは分かってんだけど……スンマセン」


 素直に受け取られてしまうと、ハジメは謝るしかなかった。


「じゃあ武士、命蒼刃に集中して。誰でもいいから、殺したい程憎い相手を思い浮かべて」


 そう言われても困ってしまう武士だったが、とりあえず言われた通りに、目を瞑り右手に握った命蒼刃に意識を集中させる。


「ハジメ……死ね……」

「だげじぐん!!!???」


 冗談で呟やかれた名前に、絶叫するハジメ。


「武士……ハジメ君のこと、そんなに嫌いだったの?」


 またも冗談を真面目に受け取った葵に、


「いや冗談! 冗談だって!」


 慌てた武士は目を開けて訂正する。


「……真面目にやって」


 葵は本気で怒り、低い声で唸った。


「そんなこと言われても。殺したい相手なんていないし、殺気なんて持てないよ」


 ただ蛍光灯の光を反射するだけの命蒼刃を見ながら、武士はブンブンと短刀を持つ右手を振る。

 そんなことをしても、命蒼刃は当然チカリとも光りはしない。


「まあ、こうなると思った」


 葵は武士の手から命蒼刃を受け取ると、鞘に納めて、再び太股のホルターにしまった。

 そして黙って見ていた時沢の方を向く。


「……と、いうわけです」

「やはり、すぐに〈霊波天刃〉は使えないわけですね。仕方ありません」


 時沢は武士を見ると、にっこりと笑った。

 武士はビクッと身を固くする。

 訓練が始まって以来、時沢の笑顔は武士にとって恐怖の対象でしかなくなっていた。


「ということは、武士君。地道に訓練を続けるしかないということです。もう少ししたら学校にも通わなくてはいけませんからね。今後はもっと厳しく行きますよ」


 あと何十回死ねばいいんだろうと、武士は絶望的な気分になる。


「もう少ししたら、俺のことを考えるだけで〈霊波天刃〉使えるようになりますよ」


 嬉しそうに笑う時沢。


「ドSだ…」


 翠がボソッと呟いた。


 こうして、武士は学校に戻るまでの丸一週間、朝から晩まで訓練に明け暮れていた。

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