御堂葵

 毎朝経済新聞 二〇一X年六月ニ十八日 朝刊


 鬼島政権に黄色信号 続く審議拒否


 急速な改革を断行してきた鬼島政権に黄色信号が灯っている。

 小紙にて明らかにされた鬼島総理の国防軍への越権干渉について、国会内で波紋が広がっている問題だ。

 本来、国防大臣と国家公安委員会を通さなければ行うことのできない国内への国防軍出動命令を、鬼島総理は独自のパイプで直接軍司令官へ伝達。

 極秘出動を行っていた事が明らかになった。

 更に出動の目的についても一切明らかにされず、書類にも残っていないことが判明した。

 民自党旧主流派は、一部野党と連携してこれに反発。

 軍の暴走を押さえるべき政府の最高権力者が、軍と共謀してその地位を高めようとしているとして、すべての国会審議を中断。

 この問題についての集中審議を行わなければ、今後の法案審議の一切を拒否する構えを示した。

 参議院において、過半数に僅かに足りない鬼島政権は苦境に立たされたと言える。

 また、鬼島総理周辺で新たな不祥事の存在を示す怪文書も流布されており、今後また別のスキャンダル等が発覚すれば、内閣不信任案の提出も検討すると対立派は明言している。


  ***


 暁学園。


「くぁー。学校なんてめんどくせえって思ってたけど、一週間も休むと、やっぱ恋しくなったねえ。日常ってやつがさあー。あーっ」


 朝のホームルームが始まる前の教室。

 武士が座る机に横から背中を乗せて、ブリッジのように背伸びをするハジメ。

 無防備に晒されたその腹に、武士は勢いよく肘を落とした。


「おぐふぉっ!」

「よく言うよ。この一週間、楽しそーーに僕のこと苛めてさ」

「ごふっ、ごふっ……訓練、じゃねーか……水月に肘入れることねえだろ……

ごふっ……」


 床に転がって、腹を押さえるハジメが抗議する。


「よく言うよ。僕は水月狙ったけどさ。腹筋で止めたろ」


 ハジメは床から跳ね起きて、舌を出した。


「バレた?」

「キモイ。舌出すなかわいくないそしてウザい」

「ひでえ」

「あーあー。ハジメって本当に凄いね。さすがプロだよ。うんうん」

「武士くん? 武士くーん! なんかお前さ、性格変わってねえ? 無防備な仲間の急所にいきなり肘打ちなんて、そんな子だったっけ?」

「そりゃああ、変わりますよおお? ハジメの家の人たち総出で、あんな訓練という名の拷問…」

「みんな、武士のことを思ってのことだから?」

「なんで疑問形!?」


 拷問のような訓練を思い出したのか、武士は机に突っ伏す。


「時沢さんって、本当に鬼だ……」

「ああ……あの人な。俺もあの人には勝てねーなあ……」

「でも、葵ちゃんも翠さんも、時沢さんと平気で渡り合ってたよね」

「ありゃあ時沢さん、手加減してんだよ。ああ見えて女子供に甘いから。まーでも、確かにあいつらもパねえよな。オンナの分際でよ」


 ハジメは机の上に座って足をぶらつかせる。


「九龍先輩とどっちが強いんだろう?」

「そりゃ九龍だろ。アイツの化け物っぷりは武士も知ってんだろ?」

「……てことはさ」

「ん?」

「僕を除けば、ハジメが最弱?」


小首を傾げてハジメを見上げた武士の顔を、ハジメは拳骨で挟んでグリグリと押す。


「オ・レ・は! 銃器が専門なんだよ!」

「痛っ……大声でそんなこと……痛い痛い痛い痛い痛い!!」

「頭蓋骨を砕いてやる。あー、手加減しなくていいって楽だ」

「恐いこと言うな!」


 じゃれ合う二人を見て、登校してきた一人の女子生徒が声を上げた。


「武士君!!」


 彼女は教室に入るなり、周囲の目も憚らずに駆け寄り、ハジメを突き飛ばし武士の前に立った。


「武士君、大丈夫なの!」


 たかだか一週間ぶりの再会に、芹香のテンションはかなり上がっていた。


「芹香ちゃん、おはよう……」

「病気で入院してたんでしょう!? メールしても返事くれないし……」

「う、うん。病院で携帯、使えなかったから……ごめんね、心配掛けた?」

「するよ! 大事なクラスメイトだもん!」


 テンションが上がり過ぎている芹香の声はどんどん大きくなり、クラス中の注目を集めている。

 比例して芹香の顔がどんどん武士に近づき、武士は反応に困ってしまう。


「……シュバルツェンベック……てめえぇぇ……」


 下の方から、地獄の底から響くような声が聞こえてきた。

 武士と芹香が揃って足元を見ると、机の上から突き落とされたハジメが仰向けに倒れ、芹香を睨みつけていた。


「あ、ハジメ君もおはよう。ようやく学校来たね。サボリ?」

「俺にはサボリ呼ばわりかよ!」


 再び跳ね起きて、口角泡を飛ばす。


「違うの?」

「ちげーよ!」

「じゃ、なに?」


 そういえば武士のアリバイ作りばかり考えていたあまり、自分の言い訳を考えていなかったことにハジメは気づく。


「あ、いや……ちょっと風邪をこじらせてよ」

「ふーん。あ、武士君は大丈夫? どんな病気だったの? もう治った?」

「無関心かよ!」

「だって嘘でしょ」


 ケタケタと楽しそうに笑う芹香。

 二人が学校に来て本当に嬉しいようだった。


「てめえ……この、シュバルツェンベックぅ……」

「芹香って呼んでよ。呼んでくれてたじゃん」

「お前なんてシュバルツェンベックで十分だ。この、シュヴヴヴァルツゥウェンベッッックッ!」


 存分に唇を震わせて芹香のファミリー・ネームを発音するハジメに、芹香は唇を尖らせる。


「もー。武士君、なんか言ってやってよ!」

「芹香ちゃん。ハジメはね、照れ屋なんだよ」

「ああ、そうだねー。ハジメ君って血液型、絶対ABでしょ」

「なんでだよ」

「警戒心が強くって、照れ屋で。だから人と距離とろうとすんのよね。強面の言動であんまり友達作らないのって、実はそういうことでしょ」

「なっ!」

「武士君には親しくすんのに、私とは距離とってさ。だから急に名前で呼んでくれなくなったり」

「うぜえ! なんでも血液型の話にする女って、うぜえ!」

「ひどーい」

「ハジメにだけは言われたくないよね」

「ちょっと待ってろ武士。おい芹香、じゃあオメーは何型なんだよ」

「私? 私はB型。HLA型はA210のB703、DR座は103だよ」

「あ? ……何言ってんだお前」

「あるの! こういう分類が!」

「嘘くせえ! あ、お前あれだろ、不思議ちゃんだろ? あたしはこんなに珍しい子なんですーっていうアピールが大好きな痛い女なんだろ!」

「なにそれ、ひどい!」


 小学生のようなやり取りをして騒いでいる三人だった。

 しかし、ハジメに馬鹿にされそっぽを向いた芹香は、教室に灰島義和が入ってきたのを見つけると、すっとその輪を抜ける。


「あ?」


 武士の前の自分の席に無言で座る芹香。

 ハジメは不審そうな声をあげる。


「ホームルーム始まるよ。席に戻んなよ、ハジメ君」


 さっきまでの賑やかな声とは打って変わって、平坦な声で芹香はハジメに着席を促した。


「お、おう……」


 実際に担任が教室に入ってきて「席につけー」と言い出したので、ハジメはおとなしく離れた自分の席に戻る。


「ねえ、武士君」


 芹香はほんの少しだけ振り返って、聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声で呼びかけた。


「なに?」

「ちょっと相談に乗ってもらいたいことがあるの。今日、少しだけ時間くれない?」

「え……うん。わかった」

「ありがとう」


 ベルが鳴り、ホームルームが始まった。


 起立。気をつけ。礼。


 変わらぬ始業の様子に、武士は現実に帰ってきたと人心地がついた。

一週間前から始まった非日常が、こうしているとまるで夢だったように思えた。


「あー非常に珍しいんだが……お前ら、騒ぐなよ?」


 しかし担任教師のもったいつけた前置きが、昨日までの非日常が夢ではなかったことを早くも告げる。


「転校生だ。編入試験はトップクラスの成績だったぞ。おい、入れ」


 教室の引き戸が開く。

 入って来たのは、流れるような黒髪の、目鼻立ちの整った美少女。

 切れ長の瞳がややもするときつい印象を与えるが、睫毛が長く、凛とした雰囲気の少女。


 おおお…


 教室中がどよめく。

 どよめきの声がやや低かったのは、男子生徒の声が多いからだ。

 その声に、背筋を伸ばしていた転校生はビクッと肩を震わせる。


 あれ、と武士はその仕草にひっかかるものを感じた。


 クラスメイト達の視線は、もちろん彼女の小さい整った顔に注がれていたが、女子生徒も含めて、やや下の方に視線を下げている者も多かった。

 その視線の先は、暁学園の夏服としてはかなり短く履いているスカートから、すらりと伸びた美しい脚線美。


 ごくん、と隣の席の男子生徒が唾を飲み込む音を、武士は聞いた。


(……あれは、凶器ですよー。骨を砕き内臓を破裂させますよー)


 もちろん武士は少しも恨んでいなかったが、うっとりと彼女を見つめるクラスメイトを横目に見ると、そう告げ口したい衝動にかられた。


「はいはい静かしろー。じゃあ、黒板に名前書いて、自己紹介してくれい」

「あっ……はいっ」


 教師に促され、転校生は小さく頷く。

 上ずっているような声に、武士は再びひっかかる。


(もしかして…かなり緊張してる?)


 転校生は黒板を向くと、チョークを手に取り名前を書き始めた。

 武士は振り返り、ハジメの顔を見る。


 ハジメは面白くもなさそうな、憮然とした表情をしていた。

 これから書かれる名前にクラスメイト達の反応を想像すると、武士は笑いそうになってしまった。


 武士の予想通り、転校生が名前を書き終えると教室はざわつき始める。露骨にハジメの顔を見るものもいた。


「は、はじめまして……み、御堂、葵です……」


 葵は微かに声を震わせながら、最初の凛とした空気はどこへやら、まるで気の弱い女子高生のような挨拶をする。


 武士には、たった今固い表情で緊張しながら挨拶している葵が、一週間前に特殊部隊相手に立ち回り、自分のことをボコボコにしたあの葵と同一人物にとても思えなかった。


 葵は初めての「学校」に、これまでの任務や訓練では一度も味わったことのなかった緊張感を味わっていた。

 クラスメイトたちの何人かが、露骨にハジメと葵を交互に見比べる。

 その様子が目に入り、葵は用意しておいた設定を口にした。


「あ……はい。このクラスの御堂ハジメ君の、い、従妹、です」


 えええーー!


 抗議のようにも聞こえる声が、教室のあちこちから上がった。

 武士の目の前に座る芹香も、信じられないものを見るような目で二人を見比べている。

 ハジメは、憮然とした表情を崩さない。

 どんな顔していいか分からないんだろうな、と武士は彼の心境を推測した。


 教室のざわめきは続いている。


 ――顔……似てるか?

 ――従妹って、本当に?


 確かにハジメは黙ってさえいれば、葵と同じく美形と呼べる顔立ちをしている。

 だがしかし。問題はそこではなかった。


 ――あんな乱暴な男に、なんであんなおとなしそうな従妹がいるんだ……

 ――同じクラスに、美人の従妹が転校……

 ――美少女ゲームだ………


「お前ら、うるせえっ!」


 ざわめきに耐えかねるように、ハジメが叫んだ。

 しかし、普段なら乱暴者の怒鳴り声にシンとなるクラスメイトも、今回ばかりは収まらない。

 教師が手を叩く。


「はいはい、お前ら静かにしろー。御堂も人間だ。従妹の一人や二人いるぞー」

「先生、それフォローになってねえよ」


 担任教師にツッコミを入れると、ハジメは肘をついて窓の外に顔を向けた。


「じゃ、自己紹介の続きを」


 教師が葵に促すと、


「つっ、つつ続き??」


 葵は裏返った声を上げた。


「続きって……」

「名前だけじゃなくて、なんかあるだろ。趣味とか。特技とか」


(特技は蹴り技で、逆立ちからの回し蹴りが必殺技です、とか……言えないよね)


「え、あ……ええと……その」


 言葉を失った葵は、三十人からの視線の前で途方に暮れていた。

 黙り込む葵にクラスメイト達の視線はますます集中し、葵は頬を赤く染めて下を向く。


(あの葵ちゃんが照れて固まってる……)


 武士は少し驚いてその様子を見ていた。

 ヤクザの武術指南役と互角に渡り合う彼女である。

 照れる姿はあの日の屋上で見たことはあるが、こんな、クラスの自己紹介程度で再びその姿を見るとは思っていなかった。


 普通の学校生活など送ったことのない葵。

 任務とは言え、夢にまで見た普通の学校生活に触れて、緊張しまくっているのだ。


(照れてる葵ちゃん、やっぱりかわいいな………え!?)


 惚けたように葵を眺めていた武士は、ギョッとする。

 葵が自己紹介の途中で、教卓の横から武士の席へと駆け寄ってきたのだ。


 ちょっと待って、と今度は武士が固まる。

 葵は縋るような目で武士を見つめながら、唖然とするクラスメイト達の視線を引き連れて武士の前まで来た。

 当惑する武士の腕を両手でしっかりと掴むと、口を開いた。


「どうしよう武士。私、なんて言ったらいいの?」


 それは武士の方が聞きたかった。


  ***


「あはは! あは、あはは……葵ちゃん最高! 可愛い、可愛すぎる……!」


 昼休みの学園の屋上で、相変わらずのゴスロリ衣装にショートカットの髪を揺らして爆笑する翠。

 さすがに今は腰に二本の曲刀は下げていない。

 脇に置いた長方形の黒いアタッシュケースに、碧双刃は収められていた。


「笑い事じゃないよ、翠さん。あの後クラスのみんなに問い詰められて、大変だったんだから」

「……ごめんなさい……」


 落ち込んで謝る葵。

 武士は困ったような表情を浮かべながら、翠が学校に忍び込む際に持ってきた弁当のおにぎりを口にした。


 朝のホームルーム終了後、授業の合間、休み時間の度に。

 武士は男子生徒に、葵は女子生徒に、二人の関係を問い詰められることになった。


 もちろん何も言えるわけがない二人は、何でもない、何でもないと繰り返すことしかできなかった。

 そして。

 納得できないクラスメイトたちに囲まれ続けてしまった武士は、輪の外にいた芹香が、落ち込んだ表情をしていることに気付くことができなかった。


「ま、そのお陰で、こいつが俺の従妹っつー無理のある設定に突っ込んでくる奴はいなかったけどな。……うめえな、これ」


 ハジメは唐揚げを二個まとめて口の中に頬り込む。


「ショウガとニンニクで下味がっつり付けたから。味わって食べてよね、この翠さんの手作り弁当」

「何これ、お前が作ったの? んなことできんの?」

「刃朗衆を舐めんなー。潜入活動とかこなすのよ? 戦闘技術だけじゃなくて、炊事洗濯家事掃除、学生としての一般教養まで、通り一遍なんでもできるように、叩きこまれてんだから。葵ちゃんだって、ここの編入試験、楽勝だったっしょ?」

「……その潜入活動のプロが、あの様かよ」


 ハジメは箸の先で縮こまった葵を差す。

 葵は俯き体をますます小さく丸めた。


「葵ちゃんは仕方ないのよ。訓練はしてたけど、潜入ミッションは初めてなの。同じ年の子たちと接する機会なんてほとんどなかったんだから、仕方ないでしょ」

「……お前が転校してきた方が良かったんじゃねえの?」

「それじゃ意味ないでしょ? 武ちんと葵ちゃんが一緒にいなきゃいけないんだから」

「それなら、お前も一緒に転校してくりゃいいだろ。武士にこんな世間知らずの面倒みさせんなよ」

「だ、か、ら。何回言わせんの。自由に動ける人間がいなきゃいけないでしょ。まあそれに、いいんじゃない? 世話焼きしながら仲良くなれば、二人の魂の距離も縮まるってね。ね? 武ちん」

「え?」


 いきなり話題を振られ戸惑う武士は、慌ててご飯を飲みこむ。


「不慣れな葵ちゃんをリードしてあげてよね」


 武士は思わず横に座る葵を見る。


「よろしくお願いします……!」


 先日までのクール・ビューティは嘘のように、葵は素直に頭を下げた。


「え、あ……こちらこそ」


 つられて武士も、ペコリと頭を下げる。


「やーん! 初々しい!」


 拳を口の前に揃えて身もだえる翠に、


「なんか、やってらんねえ」


 ハジメは五個目のから揚げを口に頬り込んだ。


「ずいぶん、のんびりした空気だね」


 給水塔の影から、唐突に直也が顔を出した。


 あまりに唐突な登場に、翠はアタッシュケースに、ハジメは脇に置いたカバンに、思わず手が伸びてしまうところだった。


「気配消してくんじゃねーよ」

「誰が聞いてるか分からないよ? 御堂。俺は君の先輩なんだよ」

「……すみませんでしたぁ。九龍先輩ぃ」


 武士たちは、屋上の給水塔の裏で弁当を広げていた。

 「作戦会議」の為だったが、梅雨も終わった初夏の陽気の中、どうにもちょっとしたピクニックのような雰囲気が流れていたのだ。

 遅れてきた九龍もその輪に加わる。


「九龍先輩、昼ご飯食べました? これ、翠さんが持ってきたお弁当…」


 武士がおにぎりをひとつ差し出すが、


「ああ、大丈夫。簡単に食べてきたから」


 直也はやんわりと断った。


「……じゃあ、まず番号交換しようか」


 直也はポケットから携帯電話を取り出す。


「……は?」

「は? じゃないよ御堂。翠さんが、葵さんの分の携帯を契約してきたんだろう?」

「あ! そうだった忘れてた!」


 翠は慌てて、弁当を入れてきた紙袋から携帯会社の小さい紙袋を取り出す。


「翠さん、少し弛んでないか?」

「あはは……ゴメンゴメン。はい、これ葵ちゃんの。充電されてるから」


 翠は葵に黒い最新型のスマートホンを差し出す。

 午前中に、御堂家が手配した「御堂葵」としての偽の身分証で契約した携帯電話だった。

 御堂家には自由に無制限に使えるスマホなど(ヤクザらしく)文字通り売るほどあったが、葵が「学生」としての身分を手に入れる以上、どこから足がつくか分からない為、一般の携帯会社と契約している電話を用意したのだ。


 葵は、差し出された携帯電話を受け取ると、そのまま動きが止まった。


「……葵ちゃん?」

「……私の……携帯電話……」


 携帯を見つめながら潤んだような声を出す葵。


「おいおい、まさか携帯も使ったこと無いとか言うんじゃないよな? そこまで世間知らずじゃねえよな?」


 ハジメが箸を振り回しながら葵をからかう。


「あるよ。だけど……自分の、っていう携帯電話は、初めて」


 スマホを操作しながら、呟くように葵は語る。


「これ……クラスの人に番号とか聞かれたら、教えていいの?」


きらきらと光る目で翠を見て尋ねる。


「う、うん……教えない方が不自然だしね……」


 その表情に、さすがにやや不安を抱きながら、翠は答える。


「葵さん。任務を忘れないようにね。君は普通の女子高生になったわけじゃないんだ。田中と一緒にいるという任務の為に、ここにいるということを忘れないでくれ」


 同じ不安を感じた直也が、はっきりと葵に釘を刺す。

 その言葉に、さっきまで子供のような表情をしていた葵は、瞬時にいつものクール・ビューティの顔に戻った。


「分かっている」

「……九龍先輩……」


 抗議ともつかない声を上げる武士に、直也は鋭い目を向ける。


「田中君。情勢が変わってきたとはいえ、気を抜いたら駄目だ。君は、君たちには命蒼刃の力を得た英雄としての使命があるはずだ」


 厳しい直也の言葉に、武士は葵を引き止めることができたあの日以降のことを思い出した。

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