第一章 ソーニャ

1.不思議な船に乗っていた人

 イワンは旅装束を身に纏い、馬に乗って湖の岸辺をとぼとぼと進んでいた。

 国を出てもう何日にもなるが、特に行くあてはない。そのまま歩いていると、いやでもここ数日の記憶が頭によみがえってきた。


 あの後、夜が明け父王が王座についた時を見計らって晩に起こった出来事を話したが、案の定、父は烈火の如く怒り、散々に怒鳴り付けられた。

「盗人が怪我を負ったジャール・プチーツァ『熱の鳥』だっただと?わしに嘘をつくのか!?」

「たとえそれが本当だったとしてもだ、どうして捕まえない!何、怪我をしていた?それよりもゾロト・ヤブロニャ『金のリンゴ』の方が大事に決まっておるではないか!一体何を考えているのだお前は!!」

「もう良い!お前は優しすぎるだけで他は何も出来ない役立たずだ!今すぐに国を出ていけ!!どうせお前は三男だ。長兄フョードルがわしの跡を継ぎ、次兄のピョートルがその補佐役となる。お前など必要ない!!」

 火をつけた鋭い矢のように飛んでくるその言葉も辛かったが、イワンの心を一層痛めつけたのは、わざとイワンの耳に入るように言ってきた兄ふたりの言葉だった。

「かわいそうに、おれたちのようにたくらみごとの一つもできなかったためにな」

「弱虫はこれだから嫌なんだよなぁ」

 そして部屋に戻らされたイワンはいやいや旅支度をすることになった。父の言いつけに逆らえば、待っているのは死でしかないことを感じ取っていたし、何よりこれ以上父を失望させたくなかったからだった。

 支度は家臣たちが手伝ってくれたおかげで一日でまとめることができた。その時家臣たちが励ましの言葉をかけてくれたが、イワンにとっては自分の心をますます傷つけるものでしかなかった。イワンは早く、ここを出ていきたいという思いに知らず知らずのうちに駆られた。

 そうしてイワンは次の日の早朝、日が未だ登り切っていないときに、「父王の命を受けて国外に逃げた盗人をとらえに行く」という名目で、国を出て行ったのだった。


 馬がぶるる、と小さくいなないて止まったので、イワンはハッと物思いから覚めた。思わずこの、国からはるか南にある湖の水面に目をやる。

 そして――イワンはわが目を疑った。

 なんといえばいいのかわからないのだが、鉄でできた丸っこい形をした船・・・のようなものが、岸辺へとすすすっと近づいてきていた。船体には文字のようなものが刻み込まれている。よくよく見ると、母なるルーシ一帯で使用されているグラゴリ文字のようだった。しかも、上は円形の、透明な水晶で覆われている。

「・・・どこの国の船なんだ!?」

 イワンは思わず大声をあげてしまった。

 するとそれに反応してか、水晶がぱかり、と巨大な二枚貝のように開いた。イワンはぎょっとしたが、馬がおびえ始めたのでぽんぽん、と優しく首元をたたいてやり、ひらりと地面に降り立つとすぐそばの木の陰に隠れ、剣の柄に手をかけてじっと船をにらんだ。

 船はこつん、と岸壁にあたり、そこで止まった。・・・かと思ったら、船の中で何かがもぞもぞと動いているのを、イワンは見た。木陰から顔を出してよくよくのぞいてみる。

 船の中にいたのは――少し長めの、赤が混じった金色の髪を持つ人物だった。

 自分と同じく男物の旅装束をまとっているので少年だろうとは思うのだが、しかしその顔は色白で、美しいなよやかな輪郭をしているので少女とも思える。だが、自分と同い年くらい(ちなみに、イワンは十六歳である)であることは、なんとなくではあるもののわかった。

 その男か女かよくわからない旅人(というしかない)は、大胆にも船(これもそういえるのかどうなのかわからないが)のなかで体を横にして眠っていた。イワンが眺めていると、すっと目を開いてむっくりと体を起こすと、うーん、と背伸びをしてあたりをきょろきょろと見回した。

「・・・ドミートリ兄様?」

 兄様・・・その言い方をするってことは、身分の高い家か何かの女の子なのかな。イワンがそう思っていた時だった。

 船のようなものの背後の水面で、何か影のようなものがちらり、と動くのが見えた。そして一瞬の間をおいて、苔に覆われた水かきのある手が、旅人の首めがけてばっと伸びてきた。

 イワンはたんっ!と思い切り強く地面をけって、船の上に着地すると同時に剣を抜くや否や思い切り振りおろし手首を切り落とした。

 ゲヤァァ!と不気味な声を上げて手の主が水の中から姿を現す。

 ところどころ苔と水草に覆われた体と、蛙の頭を持った人間のような物。

「ヴォジャノーイ!」

 イワンの後ろで旅人が声を上げる。ちょうど男と女の中間のような声だ。

「おそらくここはこいつらの棲家なんだ」

 イワンは化け物から目を離さないまま言った。

「早く荷物をもって岸辺に上がれ!でないと引きずり込まれるぞ!」

 ヴォジャノーイは水の中に住む男の精霊だ。ただし、精霊といってもヴォジャノーイの場合は悪さをすることの多い精霊で、昼間は水晶で作られ、沈没船から調達した金銀やどこからか手に入れた魔法の石で装飾されている宮殿で暮らしているといわれるが・・・。

(こいつらが動くのは夕暮れから夜のはずだ。なんでこんな真昼間から出るんだ?)

 船の水晶を奪うにしてもおかしい。だが今はその理由について考えている暇はなかった。荷物を抱えた旅人の手を取ると、素早く一緒に岸へと上がり、少し離れた場所に移動する。それと同時に、旅人が乗っていた船は、見る見るうちに沈んでいった。

「・・・」

 二人とも、何も言わなかった。あまりにも一瞬の出来事に、ただ呆然と立ち尽くす。ヴォジャノーイは、人を水中に引きずり込んでも船は沈没させないはずだ。それなのに・・・。イワンはついさっき起こった光景に絶句していた。隣にいる旅人も、どうやら同じ気持ちのようだった。

 しばらくして、ふたり揃ってのため息が出た。そこで初めて、イワンは旅人をまじまじと見た。

 女のようでもあり、男のようでもある可愛らしい顔立ちに、丸っこく大きな、ヤグルマギクのような濃紫の瞳。背丈はイワンよりも少し低い。そして色鮮やかな男物の旅装束。

「・・・助けてくれて、ありがとう」

 旅人は、船が沈んだところを残念そうにみやり、それからイワンを真っ直ぐに見つめてお礼を言った。

「ええと、僕は・・・」

 だがそこで、旅人はなぜか黙りこくってしまった。イワンが不思議に思っていると、旅人は考え込んだ様子で、ややあってから、

「ソーニャ。ソーニャって言うんだ。君は?」

「イワン。ここから北の、ゾーロトからやってきた」

 名乗りもそこそこに、イワンは馬の方へと歩きながら、

「取り合えずここから離れよう。あいつら、陸地に上がってこないとも限らないからな」



「ゾーロトかぁ。商売と芸術の国だよね。素敵な建物がたくさん建ってるっていう」

「ああ。教会も素晴らしいが、王の御殿が特に天下一品だよ」

 ふたりは話をしながら野原を歩いていた。岸辺を

「そういう君は、学芸のムドリェツから来たんだろう?」

 ムドリェツというのはイワンの故郷ゾーロトの南西に位置する国で、詩歌や物語、魔法など、様々な学芸・学問の文化が花開いていることで有名だった。

「え、何でわかったの?」

「前に来ていた学者たちが、君が着ていたような服を身に纏っていたからさ」

 『賢者』を意味する言葉を国名にもつムドリェツは、呪術といった魔法の研究もされており、学者や王族は、悪い精霊や禍から身を守るとされる刺繍を鮮やかに施した服を身に着けているのである。

「君は学者なのかい?」

 イワンは聞いた。ソーニャは少したじろいで、

「まぁ・・・そんなところかな・・・」

といったが、イワンがそれを不審に思うよりも前に、ソーニャは聞き返してきた。

「それじゃあ、君はゾーロトの王子様?」

 イワンはどきりとした。いったいどう言えばよいのだろう。ほんのちょっと悩んだ挙句、イワンは、

「・・・どうして、そう思ったんだい?」

「服も馬も、高価そうなものみたいだから」

 まずいな、ここはやっぱり話すべきなのか・・・。でももしもソーニャが山賊の仲間だったら?イワンが躊躇していた時だった。

「イワン、前!」

 ソーニャの声にびくりとして前を向く。すると、三つ又の形に道が分かれており、その前に上に苔の生えた碑が立っていた。

「何か書いてあるな」

 イワンは石碑を見てつぶやいた。グラゴリ文字で何かが書かれている。ソーニャが近づき、声に出して読んでみた。

「『まっすぐ進めば飢えと寒さで共倒れ、左に進めば馬が生き残り、右に進めば旅人が無事に行く』――」

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