ヤグルマギクのソーニャ

陽向 未

序章

『熱の鳥』

 王子イワンは夜の庭にいた。

 秋半ばの寒い夜なので、周りの空気だけではなく、腰を下ろしている切り株からも冷気が伝わってくる。分厚いズボンを履いているので凍えるという程ではなかったが、それでも体が震えてくる。

 イワンは寒さで寝てしまわないように、グッと目を見開いて、少し離れた所にあるゾロト・ヤブロニャ『金のリンゴ』の木を再びじっと見つめた。


 事の発端は、そのゾロト・ヤブロニャが何者かに盗まれたということだった。

 イワンの国は、母なるルーシの大地でも北に位置しているのだが、それにも関わらず、他国の商人たちが大勢集まってくる。主要な貿易品の一つである毛皮と共に、様々な病に効くと言われているゾロト・ヤブロニャの実の欠片の取り引きをするためだ。何せ『金のリンゴ』なのでほんのひと欠片だけでも価値がある。他の国への友好の証には、この実を丸々一つ贈るぐらいだ。ゾロト・ヤブロニャ『金のリンゴ』は国交と商売において大事な品物であり、かつ国の宝なのである。

 そんなゾロト・ヤブロニャは、代々王自らが世話をするのが伝統だった。短気で何かあればすぐにカッとなって怒鳴り付けるような父王ワシーリも、このリンゴの木だけは、息子たち以上に大切にしているのではないかというほど、丁寧に世話をしていた。

 だが、木に果実がたわわに実った頃、ゾロト・ヤブロニャの実が、何者かに盗まれたという事件が起こった。

 それを発見したのは、もちろん毎朝『金のリンゴ』を見ることを日課としている父王だった。その日もいつものように木を見に行き、実の数を数えたところ、3つも無くなっていることに気づいたのである。それからが大変だった。頭からペチカ(暖炉とオーブンを兼ねた暖房器具)の火よりも赤い炎が出るかの如く怒りながら王座に戻るや否や、イワンをはじめとする3人の息子を呼びつけ、唾を飛ばしながら、見張りを言いつけたのだった。


 そういった理由で、イワンは真夜中にここにいる。長兄と次兄は眠りこけて盗人を逃し、父王から散々大目玉を食らった。自分はああはなりたくない。それにもし成功すれば、自分を馬鹿にしているふたりの兄も自分のことを見直すかも知れない。そんな微かな希望を抱いて、イワンは見張りをしている。

「・・・来ないな」

 イワンはひとりごちた。見張りを初めてどれ程経っただろう。だいぶ時が過ぎたみたいだけどな。そう思いながら何とはなしに庭を見渡すと、植えられた季節の花々だけでなく、道に沿って立てられている、神々の彫刻を施した柱に、イワンは改めて父王の美意識の高さに舌を巻いた。短気で知られるワシーリだったが、それでも美しいものを愛するという心を持っており、彼の命令で建てられた王の御殿や教会はため息が出るほど美しかったが、その御殿の隣に造られたこの庭は、それら以上に美しいと、イワンは思った。

 草花から夜更けの空に目を移すと、今まで庭を照らしていた月が雲に隠れるところだった。合わせて庭も暗い闇に覆われる。

 そこでイワンは、不思議なものを見た。

 ペチカの炎よりも赤く輝くものが、月を隠した雲の中からふわり、ふわりと庭へと降りてきたのである。

 イワンは座ったまま身を固くした。輝くものが近づくにつれて、辺り一面が同じように赤い光に照らされる。足下の草の葉の一枚一枚まで、はっきりと見えるくらいに明るくなっていく。

 輝くものは、リンゴの木に降り立った。その頃になるとイワンは光に目が慣れて光っているものがなんなのかを見ることができたのだが――その正体に、あんぐりと口をあけていた。

 鳥だった。ゾロト・ヤブロニャの実よりも輝く金の羽と火のくちばし、水晶の目を持つ鳥が、深紅の焔のような光を纏っているのだ。

「――ジャール・プチーツァ『熱の鳥』・・・」

 イワンは知らず知らずの内に呟いた。伝承の中にしか存在しないと思っていたのに、まさか本当にいるだなんて・・・。

 その肝心の『熱の鳥』は、どうやらイワンに気付いていないらしい。ゾロト・ヤブロニャの実が下がっている枝へぴょんと渡ると、さっそくついばみ始めた。

 イワンはハッと我に返って立ち上がり、そっと近づいて行った。『熱の鳥』は、まだこちらの気配を察していない。夢中で下方の枝に実るリンゴをついばんでいる。こいつも何かの病にかかっているのか?と一瞬考えたが、それよりもこの鳥を捕まえなくてはいけない。イワンは気配を殺して接近し――飛び付いて尾羽をしっかりと掴んだ。

 『熱の鳥』はバタバタともがいて、くちばしでつつこうと長い首を後ろに回した。

 その時、イワンは息を飲んだ。『熱の鳥』の水晶の目が傷つけられていたのだ。

(なんて・・・ひどいことを・・・)

 イワンは思い、それから、手を離していた。『熱の鳥』はちょっと頭を下げたような仕種をして、リンゴを足で掴むと、どこかへと飛び去っていった。

「・・・」

 イワンは呆然と立ち尽くしてそれを見送った。

 今のは現実だったのか、夢だったのか・・・。

ふとイワンは自分の足下を見た。

 夜の闇の中でもほんのりと輝く尾羽が、草の上に落ちていた。

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