ハサミが戻ってきた理由


 晶生を降ろして走り出した汀は夕暮れの光に染まった街を見ながら、


 ああ、晶生の嫌いな黄昏時だな、と思っていた。


 黄昏時には魔と出会うというが。


 いやいや、お前と出会ったら、魔も恐れて逃げ出すだろうよと思う。


 目の据わり方が尋常でない。


 あれで、児童なんでとか言われてもな。


 しかし、誰が何故、堺のハサミを堺の鞄に戻したんだろうな。


 ……俺なら戻さないが。


 そう思ったあとで、いや、と汀は思い直す。


 晶生と沐生に別れて欲しくても戻すかもしれないな、と。


 堺なんぞの願いより、自分の願いの方が強かったときは。


 堺の祈願をしりぞけて、自分の強い想いを通すために。


 いや、俺は堺以上に、晶生に沐生と別れて欲しいとか思ってるわけじゃないからやらないが。


 まあ、事務所の社長としては、スキャンダラスな関係はやめて欲しいのは確かだが。


 沐生は一応、自重して晶生にはあまり近づかないようにしてるしな、と思う。


 スキャンダルを気にしてという理由でもなく――。


 汀は遠い昔に想いを馳せたが。


「ま……俺は事なかれ主義なんで。

 掘り返されない限り、なにもしゃべらないけどな」

と呟き、車を大通りに戻した。




「じゃあ、晶生ー。

 ちょっと行ってくるから。


 もし沐生が帰って来たら、ご飯、冷蔵庫に残ってるのがあるからー」


 珍しく晶生が部屋で真面目に宿題などしていると、玄関の方から母親の声がした。


 ……残り物を食べさせられる芸能人か。


 いやまあ、今日は来られないって言ってたけどな、と思いながら、はーい、と返事する。


 父親は帰りが遅いようで、母親は地区の集まりに出て行った。


 少し考え事をしていた晶生は急いで宿題を終わらせる。




「立ち入り禁止だぞ、晶生」


 養生シートをめくり、建物の中に入ると遠藤が言ってきた。


「なんだ。

 まだ階段あるじゃない」

と一階の階段に座っている遠藤を見上げて言うと、


「……私はこの階段に憑いてるわけじゃないからな」

と言ってくる。


「このホテルに憑いてるんだ」


「その割に移動しないじゃない」


「……移動の仕方がわからないんだ」


「ならやっぱり、そこに憑いてるんじゃない?」

と笑うと、


「ところで、なにしに来た?

 お前も土下座しに来たのか」

と遠藤は言ってくる。


「此処を通りかかる連中がいろいろと自白していくので面白いぞ。

 人間ってのは、犯罪は犯してなくとも、恐ろしいことをやってるもんだな」


 そう笑いながら、階段の隅にあるペンを見るので、一体、工事現場の人たちはなにを告白しているのだろうと恐ろしくも興味深い。


「ああでも、土下座のペン、なくなったんじゃなかったの?」


 ちょっと手に取るのはためらわれるので、触らずにペンの方を見ながら訊くと、遠藤は、


「……また戻ってきたんだ」

とだけ言う。


 なるほど……と言い、晶生は数段下の階段に腰掛けた。


 廃墟に落ちる月の光と、工事のせいか、白っぽい粉のたくさん落ちている床を眺めていると、


「突っ込んで訊いてこないのか」

と遠藤が訊いてくる。


「いや、なんとなくわかってきたから」

と床を見たまま言い、それきり黙っていると、また遠藤が言ってきた。


「上の階からなくなっていっているようだ。

 なにか刻々と迫りくる感じが怖いな」


「霊でも怖いとかあるんだ?」

と振り返り笑うと、


「当たり前だ。

 怖いものがあるから、まだ此処に居る」

と遠藤は言う。


「だから、生まれ変わってくればいいのに。

 ……産んであげようか?」


 なかなかそんなこともできなさそうだが、軽口を叩くようにそう言うと、遠藤は眉をひそめ、


「……父親が沐生は勘弁して欲しいな。

 話が通じなさそうだ」

と言ってきた。


「ねえ。

 此処の工事って、毎日はやってないわよね?」

と晶生は確認する。


「休みの日もあるぞ。

 ああ、私に日付とか訊いても無駄だぞ。


 今日がいつかなんてわからないし、興味もないのに」


 ごもっとも、と晶生は肩をすくめて見せる。


「そうだ。

 それと、此処の人たちって、ご飯はお弁当?」


「弁当を頼んでるときもあるな。

 結構美味そうだぞ。


 近くの定食屋に行ってるときもあるようだ」


 へえ、と言いながら、なんとなく道の方を振り返ると、

「あんな荒くれ者ばかりが行く定食屋にお前が行くと浮くと思うが」

と遠藤は言ってくる。


「中身はお前の方が荒くれてると思うけどな」

と余計なことを付け加えながら。


 



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