なんで、わざわざ私服に着替えて?
いつの間に、看護師が、と真田が思ったそのとき、誰かが入り口の大きな白い戸をノックした。
はい、と真田が答えると、カラカラとその戸が開き、私服の若い女たちが顔を覗けた。
誰だろう?
見舞客?
いや、この顔……看護師だぞ。
夕食持ってきたし。
なんで、わざわざ私服に着替えて、訪ねてきたんだ? と思っていると、彼女らは自分ではなく、沐生を見上げ、
「は、長谷川沐生さんですか? あの……」
と色紙を取り出し、サインをねだろうとした。
そのとき、
「なにしてるの、貴方たちっ」
と少し抑え気味の鋭い声が飛んだ。
あっ、師長っ、と彼女らは慌てた様子で振り返る。
「私たち、今、仕事中じゃありませんっ」
と急いで訴えていたが、現れた顔つきのきつい師長はつかつかと中に入ってくると、
「だからって、長谷川さんの邪魔していいと思ってるのっ」
と頭ごなしに彼女らを怒鳴り始めた。
だが、真田は、その言い方に、ん? と思う。
『患者さん』でも、『見舞客』でもなく、『長谷川さん』の邪魔?
だが、そんな師長の怒鳴り声など、沐生の耳には、あまり耳に入っていないようで。
いつものように、特に、なにも考えていない風な顔で、条件反射的にか、彼女たちが差し出していた色紙を手に取り、サインし始めた。
「あ、あっ、ありがとうございますっ!」
と看護師たちの声が跳ね上がる。
それに気づいた別の患者の見舞客のおばちゃんがすかさず、やってきて、メモ帳にサインしてもらっていた。
すると、通りがかりの入院患者のおばあちゃんが震える手で――
……たぶん、緊張で震えているのではない。
薬の袋を差し出してきて、沐生はそれにも無言でサインしていた。
黙ってしまった看護師長を看護師たちは見上げていたが。
あの夕食を運んできた山崎という看護師が師長に、予備の色紙を差し出すと、師長は黙って、それを受け取り、沐生にそっと両手で差し出した。
沐生はまた無言で、それを書き、師長と看護師は深々と沐生に礼をすると、頬を染めて、出て行った。
一歩外に出た途端、どうやら、長谷川沐生の熱狂的なファンだったらしい看護師長と彼女らは非常に盛り上がって、去っていった。
……なんだかよくわからないが、このときの一体感で、きっと、今後もあの師長と彼女らは上手くいくことだろう。
そんなことを真田が考えていると、マイペースな沐生は、黙って帰ろうとする。
「待て、長谷川沐生」
晶生と一緒で、この世とあの世の狭間に居るようなこの男は、人の話など聞いていそうにもない。
また、そのまま行ってしまうのかと思ったが、立ち止まり、振り返ってくれた。
……いや、そんなことをありがたがるのもおかしいのだが、そんな超然とした雰囲気が彼らにはあるから。
真田は慌てて、枕許のスマホをつかむと、
「長谷川沐生。
俺と写真を撮ってくれ」
と言って、彼に向かい、それを突き出した。
なんだ? という顔をする沐生に、
「必要なんだ。
俺の荷物を
と訴える。
沐生と二人で撮った写真を姉に送りつけると、ようやく、着替えが病室に届いた。
ものすごい速さで姉も母も来たが、もちろん、そのときには、沐生はおらず、猛烈に怒られてしまったのだが――。
いや、だから、早く持ってこいよ、荷物~っ。
幸いなことに、その写真に看護師は写っておらず、沐生が帰る頃には、もうその姿もなかった。
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