空き家の悪霊 I
確かに良くない気配がするな、と中に入った笹井は思った。
あまり霊は見えないが、何度も心霊スポットに行っているのだ。
気配くらいは感じられる。
玄関を入ってすぐのところ、何故か半開きになっているトイレの中が見えた。
今時珍しい昔風の石のようなタイルと和式の便器が見えた。
中に誰か居る気がする。
それがこちらを覗いている気がする。
それは子供のような気がする。
そう。
自分はいつも、なにもかも『気がする』だけだ。
赤いスカートを穿いた子供のような気がする、と思ったが、それはただ、トイレの花子さんから連想しただけなのかもしれないし。
まあ、此処は、学校のトイレでもなければ、左から三番目のトイレでもないが。
境目がわからないんだよなあ。
霊なのか、妄想なのか。
目を閉じてみた方がよくわかる気がするんだが。
霊能者には視力の弱い人間が多いというが。
視覚に頼らない分、気配に敏感になるからかもしれないと思っていた。
だが、晶生などを見ていると、霊的なものに阻まれて、目で物が見えにくいのではないかという気がしてくる。
ちょっと心を落ち着けて、と目を閉じ、さっきのトイレの場所に意識を向ける。
うわっ、と声を上げていた。
トイレのノブを掴み、半分開いてこちらを見ている赤いスカートの幼い女の子が見えたからだ。
それで半分開いていたのか、と思った。
それにしても、幼い女の子の姿をしているが、目つきが違うな、と思う。
長くこの世をさすらってきた人間の顔をしていた。
これが晶生さんの言ってた悪霊か? と思ったとき、
「笹井さん、大丈夫ですかっ」
とスタッフの嬉しそうな声がした。
……なに喜んでるんだ、この人たちは、と思ったが、まあ、そういう仕事なので仕方がない。
「なにか出ましたか?」
と訊いてくるのも、語尾が上がって楽しそうだ。
照明まで勝手に倒れてくるし、今日は大収穫だとでも思っているのだろう。
だが、開いた襖の向こうに居るスタッフの中には表情を曇らせているものも居た。
女性のADなど真っ青になっている。
スタッフの中には、自分などより感じやすい人も多いから。
こういう場所によく行くせいで、霊感が強くなってしまっているのかもしれない、と思った。
まあ、中には過剰反応しているだけの者も居るが。
スタッフたちの後ろから、さっきまでのレポーターの顔を脱ぎ捨てた沐生が、いつものようにしらっとした顔で、なにやってるんだ、と言わんばかりの顔で、こちらを見ていた。
「あ、沐生さん、こちらに来ていただけますか?」
と呼びかけると、カメラがこっちに寄ってきた。
なんの用だ、という顔で来かけた沐生がカメラに気づき、表情を一瞬のうちに取り繕う。
さすが役者だ、と思うと同時に、こんな家族や恋人は怖いな、とも思っていた。
真実なにを考えているのかよくわからないからだ。
晶生にはこの男の真実がわかるのだろうかと思っだか。
考えてみれば、彼女も同じ人種だ。
「霊が少しイタズラしたようですね。
ちょっと手を貸してください」
と言い、手を差し出す。
いつものように目を閉じるのが怖かった。
今見たものが、また見える気がしたからだ。
霊と目を合わせると憑いて来られそうな気がする……。
沐生が目が見えない演技をする自分の手を掴んできた。
「沐生さん……」
と全体を取ろうと、カメラが少し引いたのをいいことに、小声で呼びかける。
「あの、そこのトイレに女の子の霊が見えるんですが。
本物ですかね」
ちら、と沐生はそちらを見、
「居るな」
と言う。
「うわ〜っ。
どうしましょう。
霊が見えちゃいましたよ」
感激のような、恐怖のような。
いろんな感情が入り混じり、抑えて叫ぶと、阿呆か、と言われる。
「どうかしましたか?」
と先程の女性タレントが、こちらがカメラに向かってはなにも言わないので、進行させろと言われたのか、襖のところから話しかけてきた。
「すみません。
沐生さんに悪い霊が憑きかけています」
「でも、私に向かって、照明倒れてきたんですけど、私、大丈夫ですかね?」
どうでしょう、と苦笑いして、沐生を見上げると、沐生は溜息をついて、
「あの女は大丈夫だ。
たまたまあそこに居ただけだ」
と言ってくる。
それをそのまま、声を大きくして彼女に告げる。
「貴女は大丈夫です。
ただ、沐生さんの側に居たから、被害に遭いかけただけです。
私が今から除霊します。
沐生さんに憑いているのは、そこのトイレの女の……」
「女の霊じゃないぞ」
と囁かれ、そういえば、晶生が男が居ると言ってたな、と思い出す。
「女の子の霊ではなく、そちらに居る男の霊です」
そう彼女の居る場所を片手で示すと、ひっと彼女は逃げた。
いや、今、まだそこに居るかは知らないが、と思っていると、沐生が小声で、言ってくる。
「……テストでカンニングしてるみたいになってきたが、大丈夫か」
うう。
すみません、と思っていると、
「午後二時に這い出してくる女の霊が居るって話だったんですが、家の中には男の霊も居たんですね」
と怯えたように女性タレントが言い、そちらをカメラが撮っていた。
さて、祓うといっても、と沐生の手を握ったまま思っていると、
「落ち着いて。
息を吸え」
と沐生が指示してくる。
「あんたいつも除霊してるとき、なにを考えてる。
いつも通りのことを思えばいい」
そう言われ、笹井は目を閉じた。
この人が居れば、なにか見えても大丈夫、と心に念じて。
それもまた、情けない話だが。
目の端にあの女の子の霊の気配を感じながらも、意識を沐生に向けた。
子供の頃、友達の家が真言宗の寺だったので、そこで遊んでいるうちに覚えた経を唱える。
どうか。
この人に、邪悪なものが近づきませんように。
この人が平和に幸せに暮らせますように。
なにをそんな漠然としたことを、と思われそうなことを願う。
すると、トイレの女の子の気配が薄くなった。
沐生の手に力が入る。
目を開けると、沐生は何故か後ろを振り返っていた。
「どうしました?」
と訊くと、襖の向こうを見ていたらしい彼は、
「いや……あんた、凄いな」
と驚いたように言ってきた。
そういえば、さっきから、あんたって……。
私、随分年上なんですけど、と苦笑いするが、なんだかそれが嫌味ではなかった。
霊能力や容姿のことだけでなく、彼の魂の方が、格上のように感じられるからか。
「あれっ?
もしかして、祓えました?」
と言うと、
「祓えたわけじゃないが、一時的に遠ざけたぞ」
……違うものまでな、と沐生は片方の手で右肩に手をやる。
もう片方の手はまだ繋いだままだった。
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