兄妹


「誰と話してんだ、晶生」

と真田の声がした。


 日向たちの許を離れ、こちらに来たようだ。

 その後ろから、沐生がこちらを見ている。


「お前、長谷川沐生と兄妹なのか?

 なんで今まで言わなかった」


 昔は豪奢だったであろう手すりに軽く触れ、下りてきながら、真田は言う。


「いやあ、特に訊かれなかったから」

と言うと、彼は眉をひそめ、


「知らなきゃ訊きようがないだろうが」

と言ってくる。


「まあ、兄妹って言ってもね。

 あんまり一緒には暮らしてないんだけどね。


 うちに引き取って、少ししたら、沐生はやっぱり役者になるって言って、マンション借りて出て行っちゃったのよ。


 お金はご両親のがあったしさ。


 うちに遠慮してのことかなあ、と思うと、ちょっと寂しかったんだけど」


 あの雨の夜。

 沐生と手を繋いで眠った。


 いつもは気にならない壁の時計の音が雨の中でもやけに響いて。


『沐生』

 いつまでも、寝ずに天井を見ている沐生に、晶生は言った。


『うちの子になる?』


 彼が同意するとは思っていなかったが、意外にも拒絶の言葉はすぐにはなく、沐生はただ、黙ってこちらを見ていた。


 両親が失踪して、あの沐生でも心細かったんだろうかな、と思う。


 あの頃から、今と変わらない性格をしていたけど、でも、やっぱりまだ、子供だったから。


 そのとき、

「すみません。

 水沢樹里の意識が戻ったそうです」

と言いながら、あの林田という刑事が戻ってきた。


 みんなが一様に安堵の表情を浮かべるのが見えた。

 これで沐生が解放される、と思ったのだ。


 だが、またも遠藤を踏みつけながら、階段を上がってきた林田は申し訳なさそうに沐生に言った。


「あのー、水沢さんを襲った相手は、フルフェイスのヘルメットを被っていたようなんですが。


 その、身体的特徴がですね。

 どうもその……長谷川沐生さんに似ていたようだ、と水沢さんがおっしゃるんですよ」


「沐生」

と林田の後から、階段を上りながら、晶生は訊いた。


「今、フルフェイスのヘルメットなんて持ってるの?」


「持ってるというか、小道具にあるな。

 俺が使うから、俺の髪の毛とかついていると思うが」

と、あっさりと沐生は言う。


「……そう」


 なにかこう、うまく誤魔化せないのか、この男、と思いながら、その言葉を聞いた。


 まあ、下手な小細工をしても、後がまずいか。


 あのー、と申し訳なさそうに、林田が呼びかけてくる。


「すみませんが、一応、署の方まで、ご同行願えます

か?」


「沐生を連れてくんですか?

 あんまりお勧めしませんが」

と晶生が思わず言うと、


「えっ。

 なんでですすかっ?


 脅かさないでくださいよっ。

 それでなくとも、芸能人しょっぴくのなんて、初めてで、バクバクしてるんですからっ」

と言ってくる。


「堀田さんは?」

「下で待ってますよ〜。

 長谷川沐生は別に逃亡しないだろうからって」


 そりゃまあ、そうだが。


「沐生」

と晶生が見上げると、


「心配ない。

 すぐ帰る」

と言って林田について行こうとする。


 すぐ帰るって言葉は、自分にも彼にも、あまりいい思い出のある言葉ではない。


 思わず、沐生の服の裾を掴んでいた。


 振り返った沐生がちょっとだけ笑う。


 結局、そのまま沐生は行ってしまい、入れ違いに戻ってきた堺がわめき出した。


「もう~っ、晶生ちゃんっ。

 なにしてんのよっ。


 沐生連れてかれちゃったじゃないのよっ。

 この後の仕事、どうしてくれんのよっ」


「ええっ?

 私ですかっ?」


 何故、私に怒りをぶつけるのだ。

 連れてったのは、警察だぞ、と思う。


「だって、貴方、沐生の保護者みたいなもんじゃない〜っ」


 いや、あの男、私より年上なんですが、と思ったが、堺が怖いので黙っていた。


 まったくもうっ、と事務所に連絡を入れるのか、堺は携帯を手に、再び、下りていってしまう。


「相変わらずね、堺さん」

と日向が笑った。


「普段はあの口調で温厚だけど、怒ると怖いわよね。

 あの気性で、よく人とぶつかってたから、ああいう口調になったって聞いたけど」

と余計な情報を流してくれる。


 聞こえたわけではあるまいが、下から堺が見上げて言った。


「晶生ちゃんっ。

 沐生が無実だって証拠、早く見つけてよねっ。


 じゃないと、あんたの秘密、バラすわよっ」


 ひいいいいっ。

 怖すぎるっ。


 一緒に手すりから下を覗き込んだ日向が訊いてくる。


「あんたの秘密ってなに?」

「今、此処で言えたら、秘密じゃないでしょうが」


 ごもっとも、と日向は行って、自分のマネージャーの方に行ってしまう。


 やばい、なんだか帰るに帰れなくなってきた、と思っていると、下から遠藤が、

「此処に泊まるかい?

 部屋は幾つも空いてるよ」

と言ってきた。


 実に楽しそうに。



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