第5話
「だから言ったじゃない。ちょっと待てって」
台所で紅茶をいれて、パン屋さんのフィナンシェを食べながら、ハナが魚屋の裏のおばあちゃんの話と、天ぷら屋さんの話をしたら、ウメがあきれたように言った。
確かにさっきハナが家を飛び出していったとき、ウメに止められたのを覚えている。
「でもあのままじゃ絶対、おじさんとケンイチくん、仲直りできなかったよ」
「それはそうだけど、先に知ってるのと知らないのじゃ大違いでしょ」
「じゃあウメは知ってたんだ?」
「クロから聞いてたわよ。ケンイチが盗んだんだけど、話が大げさになってるってね」
ウメはそう言うとハナの膝の上に飛び乗った。それにしても本当にパン屋さんのフィナンシェはおいしい。甘くていい匂いがして、ちょっと贅沢な味がする。
「でも、赤ちゃんが生まれるなんて楽しみだね」
なんだかうれしくてハナは椅子の上で足をぶらぶらさせる。
「ちょっと、お行儀悪いわよ」
ぶらぶらさせたせいで膝の上の居心地が悪くなったウメが言った。
「おやつなんだからいいじゃない。そうそう、じゃあおばあちゃんの話も知ってたの?」
「それは知らなかったけど、あのおばあちゃんのおじいちゃんとの思い出の品って熊の置物でしょ? そんなものを盗む泥棒なんておかしいとは思ってたわよ」
ウメがおばあちゃんの思い出の品まで知っているとは驚いた。でも確かにあの熊の置物がお金になりそうな確率はすごく低い。そのかわり、おばあちゃんにとってはお金には換えられないすごく大事なものだったってことだけど。
「あとは佃煮屋に入った泥棒の話ね……」
ウメが考え込むように言った。
「あとトロの家出」
ハナが続ける。するとウメが大きくため息をついた。
「まあそれはねえ……本格的におなかがすけば帰るとは思うけど……」
「トロの悩みってなんなの?」
ハナはもうひとつ食べようとフィナンシェに手を伸ばす。
「ユリの分も残しておきなさいよ。あと、そんなに食べると晩ごはん食べられないわよ。ま、その方があたしはおこぼれに預かれるからいいけど」
晩ごはんが魚の干物の場合、猫には塩分が多すぎるからお母さんが口の中で塩分を吸い取ってから、ほんのちょっとだけウメにあげることになっている。だからハナが残してもウメが食べられる量はあまりかわらない気がするけど、とりあえずそれは言わないでおいた。
「大丈夫。で、トロの悩みって?」
「口にするのもバカらしいわ」
「そうやってまた教えてくれないつもりなんでしょ?」
「ケンイチと一緒よ。あーバカバカしい」
そう言うとウメは、すたっとハナの膝の上から床に降りた。
ケンイチと一緒? どういう意味だろう?
「もしかして魚屋さんに赤ちゃんができた……とか?」
「あんたってバカねえ、ハナ」
ウメが心底あきれたように言った。
「バカってなによ、バカって!」
ハナは思わず椅子から立ち上がる。
「そっちじゃないわよ。ちょっと考えればわかるでしょ」
ウメは大きくあくびをする。
ケンイチくんは天ぷらの食べ過ぎで怒ってて……ってことは、もしかして……。
「……もうお刺身を食べたくないとか?」
「そうよ! ほんっとくだらないわよねえ、あいつ! なに贅沢言ってるのかしら」
「く、くだらない……」
ハナは力が抜けて思わずつぶやく。でも食いしん坊のトロならありそうな話だ。
「まあ確かに毎日同じごはんじゃ飽きるけどね。それにしたってねえ!」
確かにウメの言うとおり、ハナだってお刺身は好きだけど毎日だったら飽きる。お母さんのごはんも大好きだけど、たまにはハンバーガーも食べたい。明日その話を魚屋のおじさんにしてみることを考えながら、ハナはフィナンシェを口に放り込んだ。
その夜―――。
「ちょっとハナ! 起きて! ハナったら!」
「うーん……」
寝返りを打ったハナの顔にいきなり爪の出た猫パンチがぶつけられる。
「なにすんのよう……うぐっ!」
「泥棒よ!」
なんとか目を開いたハナの胸の上にいきなり載ると、ウメは叫ぶように言った。
「えっ? どこ? うち!?」
がばりとハナは起き上がる。時計は深夜2時。いつもだったら絶対に眠っている時間だ。でも一気に目が覚めた。
「商店街をこないだの泥棒がうろついてるってシロから報告があったの」
シロは確かに泥棒の顔を唯一見ている猫だ。でもうろついているだけじゃ泥棒はつかまえられない。ただ様子を見に来ているだけかもしれないし……。
「それだけじゃ捕まえられないよね」
「そのままシロがあとをつけたら、今魚屋さんの窓をあけようとしてるってクロから報告よ! シロが見張ってるわ。急いで!」
「でもあたしだけじゃ……」
こどもひとりじゃどうにもできない。どうしたらいいんだろう。
「大丈夫よ、緊急招集をかけたから」
「緊急招集?」
「パジャマのままでいいわよ、急いで!」
ウメにせき立てられ、ハナはカーディガンをパジャマの上に着ると部屋を出て階段を駆け下りる。すると仕事部屋からお母さんが顔を出した。
「……あらハナ。こわい夢でも見たの?」
「ちょっと出かけてくる」
「え? なに言ってるの、こんな時間に。もしかして寝ぼけてるの?」
ハナは玄関でつっかけのサンダルを履くと家を飛び出した。そのあとに普段は絶対に家から出ないウメも続く。
「え、ウメまで!? ちょっと!」
お母さんが叫ぶ。その声を背に、ハナは走り出す。あとから出たはずのウメはすぐにハナを追い越し、あっというまに姿が見えなくなった。猫の足は速い。魚屋さんまで走れば5分……いや3分もかからない。
「すごい……!」
魚屋さんの前でハナは思わず声をあげた。満月の下、シロとクロだけじゃなくて、商店街中の猫がそこに集結していた。すみっこにトロもいる。
それにしても商店街にこんなにたくさんの猫がいるとは知らなかった。ハナが一度も見たことのないような猫までが勢揃いだ。そして、その一番前にウメがいた。隣にはシロが座っている。
「ハナ叫んで!」
ウメが言った。叫べって言われても……あ、こういうときに叫ぶのはきっとこれだ!
「ドロボー!」
ハナが思いっきり、出せる限りの声で叫ぶ。
がたがたっと魚屋さんの扉が動いたかと思うと、男が飛び出してきた。同時に魚屋さんの二階の明かりがつく。男が飛び出したのは猫の群れの中。
「わ、なんだおまえら!」
男のまわりで猫たちがいっせいに背中の毛を逆立ててうなり出す。
「手加減しなくていいわよ!」
ウメの言葉と同時に、クロがまず男に飛びかかった。それにほかの若い猫たちが続く。
「うわああああああ!」
男が猫たちを蹴散らそうと、手足を振り回す。背中にしがみついたままだったクロがはね飛ばされた。
「クロ!」
思わず叫んだハナの前で、クロはくるりと空中で一回転して着地したかと思うと、男を追い始めた。クロが走り出したのと同時に、いっせいに猫たちが男のあとを追う。さっきハナがウメに追い越されたように、猫の足は人間よりずっと速い。
「なんだなんだ? げっ! レジが荒らされてやがる!」
一番あとから追いかけようとしたハナの後ろから、魚屋のおじさんの声が聞こえた。
「おじさん、こっち!」
泥棒を追いかけようとした足を止め、ハナは開いた扉からおじさんに声をかける。
「えっ? ハナちゃん?」
パジャマ姿のおじさんが驚いて言った。
「早く!」
大人の男の人がいればさらに心強い。そしてハナも猫たちを追って駆けだした。泥棒は裏の路地に入っていくが、あっというまに猫に進行方向をふさがれる。
「なんなんだ、この猫たちは!」
男が後ずさった。だが、そこにも猫がいる。
そしてもうひとつの大きな猫影がのっそりと姿を表した。トロだ。
「跳びなさい、トロ!」
ウメが叫ぶ。その声を聞いて、トロが勢いよく男の背中に飛びかかった。そのままトロに押しつぶされるように男が地面へと転がる。
「げぇ……っ」
推定体重10kgのトロに勢いよく載られたら大人の男の人だってひとたまりもない。暴れようとした男の上にさらにほかの猫たちが襲いかかる。トロにつぶされ、猫たちに引っかかれまくられ、男は逃げ出すのをあきらめたようだった。
「ざっとこんなもんよ。みんな、おつかれさま」
ウメが言うと猫たちがまるでウメをたたえるように、にゃーにゃーと鳴きだした。
「さすがウメさんですね。マツさんの娘さんなことだけはあります。初めての大きな仕事なのに、相棒のハナさんと協力して、みんなを統率したあの手際。本当にすばらしいです」
ハナの横でみんなよりはちょっと遅れて到着したシロがうっとりと言った。
「シロ、マツのこと知ってるの?」
「知ってるもなにも、ワタクシも若い頃はお世話になりました。マツさんが亡くなられてから、ウメさんが15になるまで、この町には猫の魔法の使い手がいなかったので、ワタクシたちもいろいろ大変でしたけど、これで安心です。それにしても相棒はユリさんかと思ってたんですけど、ハナさんだったんですねえ」
シロがハナを見上げながらうれしそうに言った。猫の魔法の使い手……ってウメのことだよね。15ってどういうこと? ウメが15になるまで猫の魔法の使い手がいなかったってことは、15にならないと猫の魔法が使えないってこと?
ハナがシロにさらに質問をしようとしたとき、パジャマ姿の魚屋のおじさんが、いつも魚をさばくために使っている大きな包丁を持って駆けつけた。
「ハナちゃん!」
するといっせいに猫たちがその場から逃げ出す。残されたのはトロとその下敷きになっている泥棒、そして泥棒の隣に座っているウメだけ。シロもどこかに逃げてしまった。
「な、なにがあったんだ?」
猫たちが足下を集団で逃げていくのを見たおじさんが、びっくりした顔で言った。
「猫たちが捕まえてくれたんだよ」
「猫たちが?」
ハナの答えにおじさんが不思議そうに聞き返した瞬間、泥棒が最後の力を振り絞ってトロをはねのけようとした。
「この野郎!」
しかし、そこにおじさんが飛びかかり、泥棒を押さえつける。さらに泥棒の顔にトロが強烈なパンチをお見舞いした。
「いてえ!」
ほかの猫たちによってひっかき傷だらけになっていた泥棒の顔に、さらに大きな傷がつく。
「く、くそっ……!」
暴れる泥棒の前におじさんが包丁をぎらりと突きつける。
「それ以上暴れると、おまえをさばいちまうぞ」
「うっ……」
これで本当に泥棒は観念したみたいだった。
「がんばったなあ、トロ」
「なーう」
トロがちょっとうれしそうに鳴いた。
「こりゃあごちそう奮発しないとな」
「おじさん、トロにはキャットフードをあげてよ」
ハナはおじさんにそっとトロの悩みを伝える。
「キャットフード? そんなもんより刺身のほうが……」
おじさんがトロの顔を見る。
「なーう」
トロはおじさんを見上げ、ハナの言うとおりだというように鳴いた。
「あのね、トロ、お刺身ちょっと飽きちゃったみたい。毎日同じごはんだとおじさんも飽きちゃうよね」
「そりゃ確かに……オレもたまには肉が食べたい」
「だからね、トロにはキャットフードをあげてもらえる? それでそのかわりに、商店街の猫たちにお刺身のいいところじゃなくてもいいから、わけてあげるのはどう?」
「よっしゃ、わかった! トロだけじゃなくて猫たちみんながつかまえてくれたんだもんな」
おじさんが泥棒の上に載っかったまま笑顔で言った。
すぐに駆けつけた警察に泥棒は連れて行かれ、商店街には元の静けさが戻った……が、ハナには続きが待っていた。
「まったくもう、なに考えてるの! こんな深夜に家を飛び出すなんて!」
もうすぐ夜が明けようとする頃、台所の板の間でハナは正座させられていた。魚屋のおじさんに続いて現場に到着したお母さんはものすごーく怖い顔をしていた。
「だって……ウメが泥棒だっていうから……」
「その前に110番するとか、お母さんに言うとか、あるでしょう!?」
ハナがお母さんに怒られるのはかなり久しぶりのことだった。前に怒られたのはいつだったっけ……? でも今はそんなことを思い出せないくらい、ものすごく眠い。その上、叱られる元凶となったウメは、お母さんの隣でかしこまって座っている。ずるい。
「……でも、泥棒つかまえたんだよ……」
「そういう問題じゃありません! 無事つかまったからいいようなものの、もし泥棒がハナになにかしようとしたらどうするの!」
お母さんの言うことはもっともだった。でもウメが緊急招集かけてるから大丈夫だって言ってたし、そんな時間なかったし、慌ててたし。
「だって……」
ああ、もうダメだ……。
「ハナ! もう……仕方ない子ねえ」
お母さんがあきれたように言った声がぼんやりと聞こえてくる。
「にゃうん」
正座させられたまま、うとうとと眠ってしまったハナにウメがそっとすり寄った。
翌朝。ハナはベッドの上でゆっくりと目を覚ました。隣にはウメが眠っている。ウメが起こさない朝なんてずいぶん久しぶりだ。
「あれ……?」
時計を見ると10時。遅刻とか遅刻じゃないとかいう話じゃない。がばりとハナは起き上がる。
「ちょっと、ウメ、どうして起こしてくれないの!!」
文句を言うと、ウメはベッドの上でまるくなったまま、目だけをほんのちょっとあけて言った。
「……なにいってんの、今日は土曜日よ」
「そうだった……」
でもいつもなら、学校がお休みだろうとお正月だろうと、いつもの時間にウメはハナを起こす。今日は起こさないでいてくれたということだ。それにベッドで寝ているということは、どうやらお母さんがベッドまで運んでくれたらしい。台所からここまでハナを運ぶのはきっとものすごく大変だったに違いない。
ハナはベッドから起き上がると、パジャマから着替え、髪の毛を結ぶ。
「ウメは起きないの?」
「もうちょっと寝かせてちょうだい」
ウメが一緒に起きないなんてちょっとめずらしかった。昨夜の件でウメもほとんど寝てないみたいだ。
「仕方ないね、ウメもおばあちゃんだもんね」
「ちょっと、誰がおばあちゃんよ! あたしは猫の魔法の使い手なんですからね! まだ15なんて始まったばっかりよ!」
「ねえ、それどういうこと?」
聞き返したハナにウメが嫌そうに顔をしかめた。寝起きでついウメは猫の魔法のことを口走ってしまったらしい。
「ウメは15歳になったから、猫の魔法の使い手になったんだよね?」
「……誰に聞いたのよ」
ウメが起き上がりながら、不機嫌そうに聞き返す。
「シロ」
「あいつ……」
ハナから顔をそらしながらウメがつぶやく。そのこわい顔はシロのことがちょっと心配になるほどだった。でもここでひるむわけにはいかない。だって猫の魔法のこと、もっと知りたい。
「ウメのお母さんのマツも猫の魔法の使い手で、おばあちゃんは猫の言葉がわかったんだよね。で、ウメは15歳になって猫の魔法が使えるようになって、私が猫の言葉がわかるようになった」
「……そうよ、それであってるわよ」
ウメがため息混じりに言った。なんでそんなに猫の魔法について教えたくないんだろう?
「猫の魔法が使えるから、ウメは特別な猫」
「そうね」
ウメがすました顔で答えながら、ベッドの上に手を抱えて座り込んだ。
「それだけ?」
「それだけよ」
「ほんとかなあ?」
ハナは顔をのぞき込むが、ウメはそっぽをむいている。
「ま、いいけど」
ハナは立ち上がると、部屋を出て一階に下りていく。そのあとにウメも続いた。台所で顔を洗っていると、音に気づいたお母さんが仕事部屋から台所に顔を出した。
「もっと寝てるかと思ったのに」
「お母さん起きてたの?」
「まあね」
いつもなら絶対に寝ている時間に起きているということは、お母さんも昨日のことを心配していたみたいだった。昨日の最後の記憶はお母さんの怒っている顔だ。お母さんのあんな顔はすごくひさしぶりだった。
「久々にハナを二階まで運んだら疲れちゃったわ~。あんなところで寝ちゃうんだもの、ハナったら」
「ありがとう、お母さん。それから、えーと……昨日はごめんなさい」
「いいわよ、もう怒ったし。でも夜中にひとりで家を出るなんて絶対にダメだからね」
「うん、わかった」
ハナは素直に頷く。昨日は眠くてなんだかいろいろ言い訳した気がするけど、でもお母さんの言うことが絶対に正しい。小学生が……ううん、小学生じゃなくても夜中にひとりで家から出るのは危ない。危なくないのは猫たちくらいだ。
「そういえばおまわりさんから電話があったよ。あとでハナに話を聞きに来るって。あの泥棒、結構いろんなところを荒らしてた泥棒だったみたい」
「そっか、でもつかまってよかった」
ハナが答えるとお母さんが腕組みをして、急に深刻そうな顔になった。
「ねえ、ハナ」
「ん? なに」
聞き返したハナの耳元にお母さんが顔を寄せて内緒話をするみたいにささやく。
「猫の言葉がわかるって奴、あれほんと?」
「本当だよ」
ハナは笑顔で答える。その足下でウメがじっとハナを見上げていた。お母さんは腕を組んだまま、ちょっとだけ考え込む。
「うーん……そっか。おばあちゃんが言ってた話も本当だったか。猫の魔法ってやつ」
「お母さん、おばあちゃんの話信じてなかったの?」
「信じるわけないじゃない。だって猫の言葉がわかるのよ?」
お母さんの言うことも、もっともだった。普通なら絶対に信じられない。
「でもおばあちゃんもハナもわかるのに、どうしてあたしだけわからないのかしら」
お母さんがウメを抱き上げた。
「ねえ、ウメ?」
「にゃう?」
首をかしげて聞いたお母さんにウメも首をかしげる。
「ねえ、お母さん、おばあちゃんほかに猫の魔法のこと言ってなかった?」
「マツの一番の友だちがおばあちゃんだから、おばあちゃんは魔法が使えるんだって」
「友だち? じゃあ私はウメの一番の友だちってこと?」
ハナが顔をのぞき込むと、ウメはぷいっとそっぽを向いた。
「……一番の友だちなんかじゃないわよ」
ウメが小さな声で言った。ハナ以外の人間の前でウメがしゃべるのは初めてだった。
「お母さん、今の言葉聞こえた?」
「え? 今ウメがなにか言ったの?」
「にゃーう」
ウメがお母さんに向かって普通に鳴き声をあげた。
「今のは?」
「今のは普通に鳴いてたよ」
「じゃあさっきのは? あたしにはなにも聞こえなかったけど」
どうやらウメがしゃべっても他の人には聞こえないらしい。
「ねえ、なんて言ってたの?」
お母さんが興味津々に聞いてくる。
「一番の友だちなんかじゃないわよ、だって」
ハナは笑いながら答えた。するとお母さんは言う。
「そんなことないでしょ、だってウメはハナのことが大好きじゃない」
お母さんが顔をのぞき込むけど、ウメはやっぱりそっぽを向いたままだ。なんだか照れてるみたい。でも、ちょっとうれしい。
「それにしてもウメの言葉がわかるなんて信じられないわ。そうそう、マツといえば不思議なことがひとつあったのよねえ」
お母さんが首をひねりながら言った。
「え、なに?」
「マツって2匹いるのよ」
「どういうこと?」
2匹? どうしてウメのお母さんが2匹もいるの?
「だから、あたしが生まれたときからいた猫もマツなんだけど、大学卒業したあとにおばあちゃんが飼っていた猫もマツ」
お母さんの言っている意味がよくわからなかった。考え込むハナにお母さんはさらに続ける。
「だって猫が30年も生きるわけないでしょ? 生きてたとしたら猫又よねえ、そんなの」
ハナは昨日お母さんにマツの話を聞いたときのことを思い出す。お母さんが生まれたときから家にいて、ウメを産んで3年くらいで死んでしまったと言っていた。ということはハナが生まれたのはお母さんが32歳のときで、ウメがうまれたのはその5年前で、えーと、マツが死んだのはその3年あとだから、お母さんの言うとおりマツは30年くらい生きていたことになる! どうして昨日の時点で、おかしいってことに気がつかなかったんだろう!
「だからたぶん初代マツが死んじゃったあとに、似たような猫を拾って、おばあちゃんが同じ名前をつけたんじゃない? だから2代目マツの子がウメ」
「たぶんって、お母さん知らないの?」
「だってあたし大学入ってから、あんたが生まれるまでここに住んでなかったし、その間に死んじゃったのかなって」
たぶんマツはお母さんが生まれてから、ハナが生まれるちょっと前まで生きていた特別な猫だったんだとハナは思う。いや特別な猫というより、猫又って奴なのかもしれない。そんでもってもしかすると、お母さんが生まれる前から生きていたのかもしれない。なんといっても、マツは魔法を使う猫だ。そしてウメも。ということは、ウメもすごく長生きするってことだろうか? だから15歳はまだ始まったばっかりなんだ!
それにしても、どうしてお母さんはマツがすごい長生きなことを勝手にそんな風に考えたんだろう? 猫の魔法にしてもそうだ。お母さんは夢みたいな話は基本的に信じない。夢みたいな話ばっかり描いてるくせに!
ハナはお母さんに聞いてみることにする。
「マツはなんで死んじゃったの?」
「それがふらっといなくなっちゃったのよねえ……猫は死ぬときは姿を見せなくなるっていうし……1代目のマツもそんなかんじだったんじゃないかしら……」
それじゃあマツが死んだかどうかだってあやふやだってことだ。もしかしたらどこかで生きているのかもしれない。
「ねえ、お母さん。普通、もしずっといる猫が死んじゃったりずっと帰ってこなかったりしたら、連絡するよね。だって家族と一緒じゃない」
「あの頃あんまり電話とかとらなかったのよねえ、あたし」
のんびりと言ったお母さんにハナはがっかりする。ここはしっかり叱っておかないといけない。
「お母さん!」
「はい!」
思わず大きな声で言ったハナに、お母さんがびくりと動きを止める。
「なんで電話とらないの!」
「だって……めんどくさかったから……」
お母さんが小さな声で申し訳なさそうに言った。ハナはさらに続ける。
「今でも電話をとらないから、〆切に編集さんが家まで来ちゃったりするんじゃない!」
「……すみません……」
お母さんが素直に謝った。これじゃまるで昨夜の逆だ。
「もうそんなことだから、お父さんも帰ってこないんだよ!」
まあお父さんが帰ってこないのは、週刊誌で大人気のマンガ連載を持っていて、すごく忙しくて帰ってこれないだけだけど、お母さんが連絡の電話をなかなか取らないことにも理由があると思う。たぶんメールにも返事をしていない。それに、お母さんが一番へこむのはお父さんのことを言われたときだ。
「ごめん……」
お母さんがしょんぼりとうなだれた。ちょっと言いすぎちゃったかも。
そのとき、ぴんぽーんと玄関のベルがなった。それを合図にしたみたいに、ウメがお母さんの腕の中から飛び降りる。
「毎度! 魚屋です!」
ハナとお母さんが玄関に行くと、扉の向こうにはいつもの格好をしたおじさんが大きな包みを持って立っていた。
「昨晩のお礼だよ、ハナちゃん」
「ありがとう、おじさん!」
ハナが受け取ったそれは大きな皿にラップをかけて、風呂敷に包んだお刺身の盛り合わせだった。ハナの好きなエビとイカも入っている。
「なんだかすいません」
お母さんがぺこりと頭を下げる。
「いやいや泥棒に入られてたらエライことでしたからね。それからハナちゃん、これは約束の猫たちの分」
おじさんが差し出したのは、ビニール袋に入ったいっぱいの魚の切り身だった。
「猫が何匹いるかわかんなかったからさ、こんなもんでたりるかな? 当然刺身にして食べてもいいくらいのぷりっぷりのところを持ってきたよ」
「もちろん! ありがとう」
お母さんにお刺身のお皿を渡し、ハナはビニール袋を受け取る。
「じゃ、オレはこれで。ウメもありがとな」
「にゃーん」
おじさんがウメの頭を撫でると、ウメがかわいらしく鳴いた。
「あ、おじさん、トロにはキャットフードあげた?」
「もちろん! がっついて食べてたよ。ダイエット用の奴にしたけどね」
おじさんは笑いながら言うと帰って行った。確かにトロはちょっとダイエットした方がいいかもしれない。
「これもって商店街の猫のとこ、行ってくる!」
「朝ごはんはいいの?」
「あとでいいよ。先に猫たちにごはんあげなくっちゃ」
お母さんに答えると、ハナは靴を履きはじめる。
「あたしの分も残しておいてよ」
ウメがハナの背に声をかける。
「ウメにはお刺身わけてあげるよ。イカとエビ以外」
「みんなによろしくね、いってらっしゃい」
「うん。じゃあいってきまーす!」
ハナはいつものように、商店街に向かって駆け出した。
猫の魔法のつかい方! 金巻ともこ @tomoco
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