Episode38 トリスタン


 ストライド家を出発して一日経過した。

 馬車を引き連れていたために予定よりかかってしまった。

 従者とともに楽園と呼ばれる建物に辿り着いた。

 見た目は楽園とは程遠い。荒涼とした山の斜面に作られ、要塞と形容した方が正しい気がする。ましてや子どもを閉じ込めているというその実態、監獄要塞と言っても過言ではなかろう。

 子どもには自由を与えてやらなければいけない。

 もうあんな"事故"は懲り懲りだ。


「トリスタン殿、私どもは岩場で待機しております」

「あぁ、今回ばかりはタイミングが全てだ。おそらく夜間にはフレッドたちが駆けつける。あるいはお前たちにも援護を頼む可能性もあるが、臨機応変に……」

「はい、承知いたしました」


 俺がジャックの血を子どもたちへ飲ませ、全員解放する。子どもたちを救出後、フレッドたちと合流して演奏楽団を名乗る彼らへの総攻撃。

 なにぶん、子どもたちの人数が多い。

 なかなかに骨が折れるな……。



     …



 要塞は静かだった。ジャックは潜入のとき発見されたというが、不穏な雰囲気は確認できない。気配を遮断し、外壁を乗り越える。岩場を利用して跳躍を繰り返し、難なく潜入に成功した。

 ジャックの事前潜入の結果を思い返す。子どもたちの食堂は別館にあるという。石畳の廊下の渡った先だそうだ。

 すぐさまそこは見つかった。

 夕食の準備にはまだ早いかもしれないが、事前の下調べのために早めに待機しよう。


 別館の外観を確認したところ、正面の入り口以外にも食料の搬入路も見つかった。俺はそこから潜入することにした。音を立てないように忍び込み、食材の保管庫のような場所を通過した。左右には調味料から野菜まで様々なものが並べられた棚が羅列している。これだけの食料を用意できる資金源………やはりメルペック教会の関与だろうか?

 メルペック教会ドルイドのオージアス・スキルワードには何度も汚い仕事を託された。だから、彼の懐の景気の良さは重々把握している。


 食糧庫を抜けた先、調理場と思わしき広いスペースがあった。大きな鍋やフライパン、まな板に包丁など多くの調理道具が取り揃えられている。その調理場の先には、子どもたちが食事するであろう木の机がいくつも確認できた。食事時間じゃないから閑散としている。

 しかし変だ……。

 誰一人として兵士や調理師の姿がない。

 料理もまだ作られていなかった。

 少し様子を見る必要があるな。

 ふと天井を見上げて換気ダクトを確認した。

 潜むとしたらあそこか。



     ○



 それからしばらく天井のダクト溝に身を潜めていたが、特に誰の姿もなかった。まさかジャックの潜入移行、すぐさま撤退したのだろうか。


「……あー、もう」


 そこに一人の少女の声が聞こえた。食堂の方からだ。俺の今回の潜入が無駄にならず、不意にも安堵の息を漏らしそうになる。


「今日の当番は私か~」


 その少女の声は徐々に近づいてきた。

 ここの調理場まで向かっているようだ。


「どうせみんな文句言うの。私の味付けが一番おいしいと思うのに」


 調理場に入ってきた少女を確認した。

 白と黒の修道女服だ。

 ジャックに教えてもらった女神ケアの服装と一致する。ヘアスタイルもふわりと癖のある毛髪だ。ある程度、特徴は類似している。しかし二本の巻き角が生えていた。事前にそんな情報はなかったが……。 


「もうすぐお引越し……」


 引っ越し?

 やはり撤退を検討しているのか。


「暑いところは嫌だけど仕方ないよね」


 少女は調理場から乱雑な音を立てて調理器具を取り出し、食材の保管庫から適当な食材を腕に抱えて戻ってきた。

 周囲には他に人はいない。

 これは好機だ。だがまだ確信がない。

 女神の特徴に類似するが、果たして本当に女神なのか?

 しかし子ども、という事は女神ではなくても誘拐して連れてこられたに違いなかろう。連れ帰っても一人を救うことには変わりないのだ。



 ――――……。

 気配を絶ちきり、物音を立てずにダクトから調理場へと降り立った。


「あ、お砂糖まちがえて持ってきちゃった~。お塩は似てて間違えるのよね―――え?」


 砂糖の容器を持って、少女は振り返った。俺と目が合う。

 彼女が反応する前に素早く背後を取って顎を抑えた。口を塞ぐよりも効果的に声を出せなくすることができる。


「………う……」

「キミが女神ケアか?」


 少女は一瞬戸惑いの表情を浮かべ、少し思案した後にコクコクと頷いた。


「そうか。安心しろ。俺はジャックの仲間だ」

「………ぇ……く……」

「すまない。今から解放するから黙って俺についてきてくれ。キミを助けにきた」


 俺は少女の承諾を確認して、その拘束を解いた。

 と、次の瞬間。


「きゃーーー! グレイスちゃん助けて!!」


 少女は助けの声を張り上げた。事前の合意が裏切られた。


「なっ……まさか洗脳魔術を―――ジャックの血……いや、しかし女神がなぜ?」


 俺の困惑もつかの間、すぐさま誰かが召喚に応じて参上する。

 凄まじい爆音が耳に届く。食堂に誰かが飛び込んできた音だ。

 俺はすぐさま戦闘態勢に入り、調理場を飛び出して食堂へと入った。


「また侵入者? とうとうウチのアリサにも手を出そうってのかしら……」


 そこには怒りに打ち震える金髪の女が前傾姿勢で立っていた。

 入口付近が崩壊しているのを見ると、凄まじい破壊力で扉ごと壊して飛び込んできたようである。軽装の女性。

 俺はこの女を知っていた。


「あら、トリスタン」


 女は俺を見てそう声をかけた。

 まるで街でたまたますれ違った知り合いに挨拶するかのように。


「グレイス」

「どういうつもりか知らないけど、ウチのアリサに何するつもりかしら?」

「………」


 久々の強敵に声を出せない。

 まさか今回の首謀が同郷のものだったとは信じられない。

 グレイス。暗殺者集落の仲間だった女だ。


「久しぶりなのに挨拶もないのね。まぁいいわ。今度は私の邪魔をしに来たってことかしら?」

「グレイス、この施設の代表はキミか?」

「―――そうよ」


 なるほど。

 ともすれば敵同士ということだな。


「ところで、あなたはあれから何してたの?」


 その意味のない問答。時間稼ぎだろうか。かつて共に仕事をしていた頃には、そういった遠回しなやり取りは彼女が一番嫌いだったはずだが。


「もしかしてまだトーマのことを引きずっているのかしら?」

「………」


 人には誰だって過ちがある。それを掘り返すのは野暮だ。俺はもう過去の清算は済んでいるとはいえ、その名前を聞くたびに胸が抉られる。

 トーマは俺の弟。

 俺の不注意で死んでしまったようなものだ。


「相変わらず無口な男。とりあえず目障りだから、ここで死んでくれる?」

「来るというのなら全力で応えよう。俺にはやらねばならぬことがある」

「あ、そう―――」


 刹那、グレイスは食堂の入り口から姿を消した。しかし俺には分かる。右側背後。音もなく忍び寄るその姿は、俺の心眼の力で予知できた。

 ――――カン、と金属音が食堂に鳴り響く。

 俺の首を一撃で撥ねんと脇差が迫っていた。それを造作もなく短剣で受け止める。心眼の前には彼女の動きは封じたも同然。


「―――!」


 直後、フルートの音色が鳴り響く。

 右側の窓辺に立つグレイスがフルートを吹いていた。直前まで俺の首元まで迫っていた脇差は影も形も存在しない。


「楽器を覚えたのか」

「ただの楽器じゃないわ」


 グレイスはフルートの演奏を止めて、一言だけ沿えた。

 直後、正面から迫りくるグレイスの影を予見した。今まさに窓辺でフルートを吹くグレイスと、正面から机を蹴散らして突進するグレイスが同時に存在しているように見えた。

 速い……。

 迫り来たグレイスは瞬速のスピードで小刀の連撃を繰り広げた。俺はそれを長刀で対処する。音速を越えることが集落の修行では基本だった。

 体得すれば、騙し討ちによる暗殺が可能になる。


「あなたもまだやれるようね」

「キミ以上にな」


 背後からゆったりとした動作で何かが迫っている。俺はグレイスの相手をして剣戟を弾き返すと同時に、それを後ろ蹴りで弾き返した。柔らかい身体の感触が足先から伝わってくる。


「きゃあ!」


 迫っていたのはアリサと呼ばれていた少女だった。

 フライパンで俺の後頭部を襲おうとしたようだ。


「アリサに手を出すなって言ってんでしょうがぁあ!」


 グレイスは気が狂ったように、正面から強襲をかけてきた。その猛攻は、食堂に並べられた木のテーブルの数々を無残にも弾き飛ばした。

 彼女の握りしめたフルートは、俺の目の前で小刀の脇差へと変化する。

 魔法もお手の物らしい。

 彼女にとってフルートは幻惑の楽器であると同時に殺人道具だ。

 迫りくるは無数の脇差。

 それは俺もグレイスも得意とした同郷の秘剣ソニックアイ――素人目には一本の剣が同時に多数存在しているかにも見える。

 俺は彼女の太刀筋を三手先まで予測してソニックアイで防いだ。長刀には間合いの利があり、彼女の脇差には最速の利がある。

 その利点と欠点は、繰り広げる同じ剣技を拮抗させる。


 ――――音すらも伝わる前に終わる斬撃。

 と、その直後に響きわたるフルートの音。気づけば彼女は食堂の入り口でただ笛を吹いていた。その横には先ほどの少女もいる。

 さっき弾き返した乾いた斬鉄の重なり合う音が、ようやく伝わって今彼女が吹くフルートの音色と見事に協奏を奏でた。

 まるで異次元の戦いだな……。

 彼女がここまで殺人を極めていようとは驚きだ。


「ただ速いだけのわりにはなかなかやるじゃない。軟弱男もやればできるのね」

「キミも少しは繊細さを学んだようだな」

「繊細さだけじゃないわよ」


 フルートの音色が響きわたる。

 その刹那。俺の足元を誰かが掴んだ。


「……!」


 俺の心眼にも映らなかったその光景。地面からは視力が奪われたのかと思えるほどの闇が足を呑みこんでいた。


「バカね。少しは足掻けば未来は変わるのに」


 少しは足掻けば……。

 弟のトーマは俺の不注意でやられてしまった。

 当時の俺はその失敗に対して精一杯、足掻いただろうか?

 心眼S+の能力が予測した未来は、どの結末も弟の死が待っていた。

 俺はそこで簡単に諦めてしまった。

 あるいは精一杯やればトーマの死の運命を飛び越えられただろうか。


「グレイス、キミは―――」


 動けない。

 足は完全に床と同化してしまったように、闇に飲まれていた。抵抗も空しく、泥沼に嵌ったかのようにずぶずぶと地面に吸い寄せられる。

 その先の未来は闇でしかない。

 俺はすんなりと諦めてしまった。

 弟の死と同じように。


「楽器は素敵だわ。こんなにも世界を私の色に染めてくれるんだもの! あはは、ははははは!!」


 狂った声が響き渡る。最後に見えたのはおかしくなってしまった彼女の狂喜の笑顔だった。やがて視界も闇に覆われて、何も見えなくなっていた。消え去る意識の中、弟トーマの姿と愛弟子ジャックの姿が重なっては消えた。

 ジャックをリベルタに引き込んだのは、果たして正解だったのか?

 弟に似た子どもを見て、俺は冷静さを欠いていたのだろうか?

 アルフレッドの反対を押しきったとき、俺は――。



     □



 トリスタンが出発してから次の日の朝。

 アルフレッド、ドウェイン、俺の3人は遅れて楽園シアンズに出発することになっていた。

 結局リズベスを巻き込むことはできなかった。残念ではあるけれど……全員が心を通わして、というのはなかなか難しいものがある。そんな中でもリンジーは出産も控えているというのにわざわざ見送りに出てくれた。


「アルフィ、気をつけてね。絶対に無理しちゃだめだよ!」

「今まで俺が旅に出て死んで帰ってきたことなんてあるかよ。任せとけよ!」


 アルフレッドは縁起でも無い事を言って、陽気に返事をしていた。


「当たり前でしょ! いきなり未亡人にでもなったら洒落にならないよっ」

「んなわけあるか。我が子の顔も見ずに死ぬ奴なんて相当なアホ野郎だぜ」


 そういう発言は不吉な予感を感じさせるから止めてほしい。


「ジャックも頑張ってね」

「うん!」


 リンジーは俺に対してもエールを送り、頭を撫でてくれた。

 アルフレッドは一人で馬に跨り、俺とドウェインは相乗りした。

 そして日が暮れた頃合いに、楽園シアンズへとたどり着く。

 岩場に潜んだ従者を見つけ、声をかけたところ、かれこれトリスタンが潜入してから数時間は経過したという。


「ガキどもが飯を食う時間までまだかかりそうだな。俺たちも腹ごしらえでもするか?」


 アルフレッドが馬の鞍にかけてあった食料を取り出し始めた。

 その時、ミシッ……という不吉な音。俺の服の懐から何か変な音が響いた。

 不思議に思って懐を弄った。


「おい、どうかしたのか?」

「いや……何かが割れたような」


 そこに入っていたのはトリスタンが譲ってくれた指環だ。

 その指環の輪が途中で切断されていた。


「えぇ!?」

「それ魔道具じゃねえのか? なんでぶっ壊れたんだ?」


 俺もアルフレッドも困惑していた。

 まさか体で押しつぶして壊れたとも思えない。

 疑問に応えるようにドウェインが呟いた。


「……し、死んだ」

「あぁ? なんだって――」

「連動した双子の指環は、片方が死ぬと環を断ち切って知らせる……」

「どういうことだよ?! なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」


 アルフレッドからは焦りを感じる。

 以前の博識さを失ってしまったドウェインから発せられた「死んだ」という言葉が妙に芯を突いているように感じられた。


「つ、つまり」

「冗談じゃねえ。あいつはこんな程度の雑用で死ぬようなタマじゃねえぞ!」


 死んだ……トリスタンが……?

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