◆ 憎き姓
僕の父は後継者争いに負けたらしい。
周囲から期待されていた反面、その屈辱は非常に大きいものだった。あの家の後継ぎは魔術による功績を納め、当主が認めた者に継承権を与えるという家法となっていた。
その敗北により、後ろ盾の大半を失った父は徐々に狂っていった。
父は長男で、優秀だった。次代当主になることは誰しも信じて疑わなかったというのに、あるときぽっと出てきてあれよあれよという間にその座を奪っていったダークホースが現れたのだ。
父は既に結婚もしていたため、守るべき存在があった。
そのためプライドを捨ててまで、今までコケにしてきたその次代当主である弟に頭を下げて、なんとか地位は保てるように根回ししていたらしい。
そのため、屋号は失われてもオルドリッジの氏素性はなんとか維持することができた。
僕は物心ついた頃にそれを知って、そんな父を軽蔑していた。
だが、父はわずかな資産の中でも僕に英才教育を施すために家庭教師を雇ってくれていた。その愛情には感謝していたが、家庭教師が教えてくれた魔法は闇魔法ばかりだった。
当時は何の疑問も感じなかったが、ある程度の年齢になってから魔法の基本は火と氷と電気であることを知り、なぜ自分はこんな邪道を行くような教育が施されているのかと疑問に思っていた。
もしかしたら父は、復讐がしたかったのかもしれない。
◆
次代当主の長男が十歳になったらしい。
その誕生日パーティーに僕ら家族も呼ばれていた。
僕もそのときは五歳になっていた。
「これはこれは、家元様……本日はお招きいただいてありがとうございます」
「なに、そう堅くなるな。今日はゆっくりしていってくれ。元々はお前の家でもあったんだ」
父は最後の言葉に悔しい表情を一瞬だけ浮かべたのを、今でも覚えている。
「ほら、お前も家元様にご挨拶をせんか」
「はい……ラインガルドと申します。この度はお呼びくださいましてありがとうございます」
打ち合わせ通りに頭を下げた。僕はなぜこんな全然知らないおじさんに頭を下げなければならなかったのか。
「ラインガルドくんか。今いくつなんだ?」
「五歳になりました」
「ほう、五歳か……。ちょうど息子たちと同世代だな」
五歳、というフレーズに変な違和感を感じた。
何か嫌なものでも思い出したかのような表情だ。当主は晩婚だったことから二人しかまだ子どもがいないと聞いている。
「よかったらうちの息子たちにも声をかけてやってくれ。次男の方は八歳だからまだ近いかもしれん」
「え、ええ、もちろんです。今日はご愛息様の誕生日パーティー。そのお祝いでございますから」
父が僕の代理で返答をした。下手に出る父の様子は、僕から見ても見っとも無くて仕方がなかった。こういう世界なんだとなんとなく理解していたけれど。
「マスター・オルドリッジ」
「ふむ……それでは失礼」
当主の背後から執事が声をかけた。
一言だけ添えて、執事とともにすたすたと奥の方へと立ち去る。
「……くっ」
父は歪みに歪んだ醜悪な視線をそちらへ向けていた。
○
母の不倫が判明した日、父は自殺した。
彼は最後の最後まで報われない人生だったと思う。
だが母の感情も理解できた。結局のところ、僕と同じ気持ちだったのだ。父はこれまでオルドリッジ家の長男という肩書とプライドで自己を保ってきた。だがそれが失われたとき、父の器が知れたのである。
母は僕を残してその男と去って行った。今では何をしているか分からない。
決して母を責めるつもりはないし、伴侶に不倫させた父は所詮その程度の男だった、ということである。僕が憎かったのは、生まれたときから負け犬の息子である、というこの運命だ。
もう惨めなのはこりごりだった。僕は得意の闇魔法でなんとか生き延びた。
盗みだって殺しにだって手を染めた。呪われた運命なら、もうこの世界をどうぐちゃぐちゃにしようが僕の勝手だと思った。
そんなめちゃくちゃな生活を救ってくれたのはグレイス・グレイソンというブロンドの髪の女だった。
―――あら、あなたのその青い眼。一体どんな世界を見てきたのかしら?
どんな世界――
―――そう。じゃあ、
別にそんなものに興味はなかったが、僕にも生きる理由が欲しかった。
得意の召喚魔法『
僕の役目は表向きは楽団のヴィオラ奏者。裏では楽園の番人だった。
楽園にも汚い仕事をなんでもできる人材が必要だったようだ。
楽団の人間はなにかしら心に闇を抱えていた。
その闇を晴らす光として、音楽好きが多かった。
グレイス・グレイソンには暗殺術を、メドナ・ローレンには楽器を教えてもらった。
◆
楽園シアンズの番人の役目は侵入者の排除などでは決してない。シアンズの方針は来る者は拒まず、去る者は決して許さない、ということだ。
つまり番人の役割は、逃走者の始末や抹消、不安材料の伐採だった。
僕はそれを自覚して最適な動きをした、つもりだった。
ソルテール襲撃には、ケアとジャックを見逃してから約二週間の時間を要した。団長グレイスから一任されていると告げても、なかなか近衛隊を動かすのには手間がかかった。だが奇襲は、期せずして行うものである。
準備は入念にして然るべきだし、差して苦痛ではなかった。
月明かりのない闇夜だった。ひっそりと近衛隊の1小隊を率いてこの田舎町ソルテールへと訪れた。草原に響き渡る虫の鳴き声が、春の訪れを感じさせた。逃亡した女神の化身と思わしき少女と、連れの魔族はこの町にいることは分かっていた。
「ラインガルド様……我々はその、よろしいのですかな?」
近衛隊の役割は女神の運び屋だ。襲撃は僕一人でやる予定だった。
「お前たちの関与がばれると後々面倒になるからな。僕に任せておけ」
「御意」
そうして仕掛けたるは闇魔法の上級魔術、ブラックオクトパスの召喚魔法陣だ。
―――檻は七天の時にて有限の具象なり。我はその身を解き放つ主の鍵―――
―――黒の章魚よ、魔界の盟約に従い、我が意に与するならば応えよ―――
はるか上空に描き始まる、紫電の魔法陣。魔法陣の大きさはソルテールの町一つを覆うのではないかというほど巨大なものだ。バチバチと激しい音を立てて、魔法陣が展開されていく。
僕はこの光景が好きだった。
召喚魔法は総じて闇魔法の専売特許。
召喚はすなわち魔界との契約を意味する。召喚の末、魔界という"闇"が糧を得られなければ、反動は我が身から搾取される。まさに悪魔との契約だ。
上空の魔法陣の中心から異形のモンスターが降り立った。
闇の魔力を身に雇う、大きな大きな蛸の怪物。
「おぉ……」
近衛隊もどよめく。
さすがにこの規模の召喚を見るのは初めてなのだろう。
「――――喰らい尽くせ」
襲撃は始まった。
○
ソルテールはただの田舎町だ。少ない軒数だから魔力探知で、あのジャックもどきのオーラはすぐ辿れるだろうと思っていた。
しかしなぜか、どの家からも感じられない。女神の化身はその特異な魔力の存在を包み隠せても不思議ではないが、しかしあの禍々しい魔力を放つジャックもどきの魔物が見つからないというのは、何かおかしい。
奇襲は絶対に成功しなければならない。
焦った僕は家程度なら破壊しても構わないだろうと思った。
こんな田舎町に、魔界の蛸に抵抗を示す人間はいないだろうと目星は付けていたからだ。ブラックオクトパスは立ち並ぶ家々を破壊しつくし、隈なくそこに住む人間たちを曝け出させた。
住民たちの悲鳴が町中に響き渡る。
しかし一向にケアもジャックもどきも見つからない。
魔界との契約は絶対だ。失敗に終われば僕の体の半分は持っていかれるだろう。それほど大きな召喚だ。
ふと町から離れた小高い丘の上に一軒家が立っていることが目に付いた。
そこから何か強烈な魔力が感じられた。
――――ギュルギュル、と高速で回転する何かが迫る。
「………なんだ?」
魔力探知で感じ取ったのもつかの間、巨大な火球が襲ってきた。
その火球がブラックオクトパスに命中する。
特大の魔法攻撃が、蛸に確実にダメージを与えた。
「今のは、ファイアボールか?」
炎魔法の中級魔術ファイアボール。
威力は中級にして最火力の魔術だ。さらに今の特大サイズ、並の魔術師では作り出せる物ではないだろう。
あの家だな。
その小高い丘へ黒い蛸は触手を伸ばして重たい胴体を移動させた。
「数多の戦火を鎮めても尚………、カノの焔は振り注ぐ……!」
詠唱が聞こえる。女性の声だった。
「刹那の劫火を! ………ファイアボール!」
そしてまたしてもその家の方から火球が飛んできた。しかし今度の火球は大した大きさのものではなかった。魔力量がそれほど多くないのか?
威力も下がって、疲れ果てているのが明らかだった。
「……オクトパス、いけ」
僕はその家をオクトパスの触手で叩き潰す。
「きゃぁぁあ……!」
その庭先が見えたとき、腹を大きく膨れ上がらせた妊婦が目に入った。
なるほど。子を宿していたら魔法もうまくは使えないだろう。しかしこの女性、どこかで見たことのある気がする。
そしてその隣、忘れもしない女神の化身の姿があった。
妊婦を心配するように寄り添っていた。
「………はぁ……はぁ……」
「リンダさん!」
女神ケアは発見した。
しかし、ジャック擬きはどこだ。
まさか何処かでくたばったのか――。
それなら好都合だ。
「オクトパス、女神を捕らえよ」
―――フシュー、フシュー……。
本来の蛸であれば吸盤の役目を果たす吸盤から、腐臭を漂わせる蒸気が放たれた。その直後、触手が女神のもとへと迫る。
「あぅ……!」
町の外まで連れだしたら、あとは近衛隊に運ばせよう。
オクトパスの触手が女神に届くかと思ったその瞬間、女神の化身はその体を光源に、強烈な光を解き放った。そしてあの強烈な赤黒い魔力が浮かび上がる。
「ほう……ようやくお出ましか」
だが構わない。
神ごときが魔界の怪物をひれ伏せるのなら、やってみるがいい。
女神の体を覆う球体の光源がバチバチと稲妻を走らせた。その光源の妨害を受け、蛸の触手は届かなかった。
「ラインガルド・オルドリッジ……」
光の玉の中から声が響いた。
ゆっくりと開眼されたその眼は、赤黒い渦を巻いていた。
「その名で僕を呼ぶんじゃない」
憎き、憎きオルドリッジ。
僕が呪っても呪いきれなかったその姓は、僕の姓でもあるのだった。
「可哀想な人。あなたの起源は人生に酷く悪影響を与える」
「うるさい」
女神がなんだ。楽園がなんだ。
僕はただその呪われた運命を消し去るためにこうなったのだ。
○
魔の力では女神は決して捉えることはできなかった。しかしその逆に、ヒトの力では軽々と女神は捕獲できた。近衛隊が取り囲むと、その光は止み、難なく捕まえることができたのだった。
僕はその成果をすぐさまグレイスに報告するため、楽園シアンズへと戻った。
「あなた……なにしてくれてんの?」
団長は僕の成果に満足するどころか、不満を漏らすほどに気に入らないようだった。その不機嫌さは、むしろ僕の成果に関係するものではないようにも思える。
「こうして女神を捕らえてきました」
「そんなことは今の私たちに関係ないわ! それより町の人を殺したの?!」
特に殺しを目的にしたわけではない。どこにも殺意がなければそれは事故死としていいだろう。
「僕が故意に殺したわけじゃない。勝手に死んだのならそれは僕の責任じゃないでしょう」
「……あんた、とんだバカ野郎のようね」
グレイスは頭を抱えた。
「ありえない……本来の番犬としての役割も疎かになって、さらにはこんな大問題まで引き起こして!」
「本来の役割? 何かあったのですか?」
―――パシン! 頬を叩かれた。
「……な………」
「何かあったかじゃないわよ! シアンズから脱走者が出たの。しかもあんたが見つけたっていうジャックもどきのようだわ!」
ジャックもどきがこのシアンズに? 道理でソルテールで見つからなかったわけだ。
「最悪ッ! 今まで守り通してきたここの情報が明るみになったのよ。撤退も考えないといけないわ」
「…………」
グレイスは、怒り狂った表情が板についてきていた。僕はこんな顔の人を今まで散々見てきたというのもあって、特に動揺することもなかった。
そんな呆然とする僕が気に入らなかったのか、グレイスはさらに続けた。
「……あんたは厳罰処分! 非暴を誓った私たちが人を殺すなんて示しがつかないわ!」
僕に殺人を教えてくれたのはその貴方じゃなかったか。
団長はかき乱した髪もそのままに、ぶつぶつと呟きながらシアンズの聖堂へと向かって歩いていった。
「なんでこうなるのよ。すべて順調だったのに……」
「待ってください。女神の化身はどうしますか?」
「そんなことはどうでもいいの! 適当に"洗礼の間"にでも放り込んで!」
「………わかりました」
捨てられるのは慣れたと思っていたが、拾ってくれた主に突き放されるとやっぱり悲しいものだ。
まだ僕は歳相応の子ども、ということらしい。
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