Episode35 ソルテール事変
トリスタンと合流し、バーウィッチまで一晩で駆け抜けた。
アイリーンは騎乗中に俺の背中に体を預けて寝てしまっていた。明け方、ストライド家のお屋敷にようやく到着した。
その間、俺は一睡も出来ていない。
早朝にも関わらず、当主マーティーンさんと父親パーシーンさんは起きていた。アルフレッドもこの屋敷にいるはずだが、あの男がこの時間帯に起きているはずがない。
パーシーンさんは馬に乗る我が娘を見た瞬間、そのやつれきった顔を歓喜の表情に変えて喜んでいた。
「アイリーン……アイリーン、あぁ、本当に良かった!」
「……ん、お父さん?」
その父の抱擁で目を覚ますアイリーン。
アイリーンも父との再会を喜んでいる。
「ジャックくん……君には感謝してもしきれない。本当に心からお礼を言うよ。ありがとう」
「ジャックはヒーローだったのよ! 空も飛べるし、力も強いの!」
寝起きだというのにアイリーンはキャッキャッと燥ぎ出す。
「ジャックよ、あっぱれじゃ」
白髪の老人、当主マーティーンさんも俺の功績を称えてくれた。
俺は重たい瞼を堪えつつ、その称賛を受け取るにはまだ早いということを自覚している。
「……でも敵に見つかりました。侵入したのが俺である事もバレてます」
「ほう、ジャックの知り合いがいたんかの?」
「はい……今回の主犯は、光の雫演奏楽団です」
俺はそれから今回の調査結果を伝えた。
施設は新興宗教の教会だったこと。
子どもたちは二百人余り全員が無事であったこと。
チャーリーンもいたこと。
彼らは過酷な労働を強いられるでもなく、丁重に扱われていたこと。
本人たちは洗脳され、誰もその施設にいることを疑問に感じていないこと。
アイリーンは俺の血を吸ったことによって洗脳魔術が解けたこと。
「なるほどのぉ。つまりその楽園シアンズというのは監獄というわけじゃな」
「子どもに意思を持たせず監禁するとは。外道が―――」
トリスタンも珍しく表情を強張らせた。
「その演奏楽団は何がしたいんじゃ?」
「……楽園をつくりたいんだと思います」
「ふむ」
眠気のあまりに意識が途絶え途絶えになり始めた。
「……その幹部の一人が俺に問いかけました……平和をかき乱したいのかと」
「なるほどのう。思想は自由じゃがそれを他人様に押し付けちゃいかんの」
「まさにその通りです。さっそく潰しに行きましょう」
トリスタンは普段とは打って変わって焦っていた。彼は俺の事もそうだったけど、子どものことになるといつもこんな感じだ。
「じゃが、想定していた最悪の事態では無さそうで良かったわい」
「ですが……」
「チャーリーンも洗脳にかけられているとはいえ、健康なんじゃろ? 問題はこちらの侵入がバレて向こうがどう動くかじゃな」
俺は眠さのあまりにウトウトしていて、会話があまり耳に入っていない。
「まずはジャックを休ませるとしようかの」
「あ、すみません……」
「おぬしはよくやってくれた。休んでよい………ダヴィ!」
マーティーンさんは誰かを呼びかけた。
出てきたのは先日も見かけた若い執事だった。
「はい」
「部屋へ連れてってやれ」
「承知いたしました」
「ジャック様、こちらです。よくぞアイリーンお嬢様を連れ戻してくださいました」
俺はよろめきながらもダヴィさんについていく。
意識の底ではトリスタンとマーティーンさんの声が耳に入ってきた。
「事態は急を要します。あちらの目的が分かった以上、強引にでも子どもたちを助けに行くべきでは?」
「そうじゃな……じゃがこちらは軍隊を率いているわけではない。ジャックの報告によると―――」
その先はもはや遠すぎて聞こえなかった。
○
「―――ック! おいジャック! 起きやがれ!」
乱暴な声と胸倉を掴まれた感覚で飛び起きた。
「な、なんだ?! ……フレッドか?」
「やべぇ、ソルテールがやべえ事になってやがる!」
ソルテール?
そう言うと、アルフレッドは乱雑な動作で部屋から出ていった。俺はあまり思考が働いていなかった。
「さっさと行くぜ!」
窓から差し込む光がもう昼頃に近いんだという事を知らせていた。
そしてふかふかのベッドでぐっすり寝ていたが、ここはバーウィッチのストライド家の屋敷であることを思い出した。
ソルテールがやばい―――。
ソルテールってことは、俺たちのアジトも。
「フレッド! 待って!」
俺はベッドから跳ね起きてアルフレッドの後を追った。
後を追って屋敷の玄関ホールにたどり着くと、アルフレッドだけではなく、屋敷の人たちがほぼ全員集まっていた。
「早く行かねぇと……!」
「落ち着け」
「落ち着いてられっかよ! リンジーだっているんだ」
場は騒然としていた。パーシーンさんも、アイリーンもその騒ぎを見守っている。
「な、何があったんですか?」
「あぁ、ジャックくん……それが……」
パーシーンさんが俺に気づいてこちらを恐る恐る振り向いた。
「君たちの家に派遣していたうちのメイドが……さっきソルテールから慌てて帰ってきたんだが」
「帰ってきた?」
確か、俺とフレッドが留守の間、メイドさんを一人送るという話だった。
「……ソルテールが、壊滅したらしい」
「え?! か、壊滅?」
町が無くなったという事だ。
驚きのあまりに顔が引きつる。
「情報が錯綜している。とにかく一度様子を見に行かないことには」
様子……リベルタのアジトは……。
みんな――みんなはどうしたんだ。
リンジーは今妊娠しているんだ。
それに、ドウェイン、ナンシーさん、フィリップさん、ケアも。
あの町の人たちはみんなどうなった。
「ジャック……」
アイリーンが、こっちを心配そうに見ていた。
「いいから! こんなとこでごちゃごちゃ言い合ってても拉致があかねぇ! 行くぞ!」
「いいだろう。俺も行く―――」
「爺さん、馬借りるぜ!」
「あぁ、良かろう」
フレッドとトリスタンが屋敷の外へ出て行った。
フレッドと、トリスタンが。
「待って! 俺もいくから!」
○
油断していた。
あんな片田舎の町は大丈夫だと、たかを括っていた。
フレッドにさっさとアジトへ帰ってもらえばよかったんだ。潜入調査だって俺とトリスタンの二人で協力すれば良かったじゃないか。
壊滅ってどういう事だよ。なんであんな平和な町が?
自然災害で? 誰かの仕業で?
誰かの仕業だとしたら誰が、何の目的があって?
考えれば考えるほど嫌な予感が増してきた。もしかして、もしかして昨晩の俺の失敗のせい……。
とにかく一刻も早く戻ろう。俺はトリスタンと馬に相乗りし、アルフレッドは単独で馬を走らせ、急いで向かった。馬なら一、二時間程度走らせればすぐ着ける。
そうして緩やかな坂になっている街道を馬で駆け上がらせ、ソルテールの町に辿り着いた。
町としての面影はまだ残っている。
だけど、至るところから煙が立ち込め、視界に広がる家々も片っ端から倒壊していた。跡形もなく無残に崩壊した家がその悲惨さを物語っていた。
「なんだよこいつは……」
最初に驚愕の声をあげたのはアルフレッドだった。あまりの光景に血の気が引いた。
「リンジー!!」
アルフレッドは手綱と足で馬を叩き、駆けらせた。トリスタンと俺ももその後に続く。
アジトは小高い丘にある。
そこに辿りつくまで、いろんな爪痕を目撃した。
明らかに自然災害によるものではない。広場や木々など、自然は破壊されていない。建造物だけがめちゃくちゃに荒らされていた。まるで何かを探し散らかした後のように。
未だに舞い上がる火の粉や煙が事件の悲惨さを引き立て、戦いの跡を残していた。アジトへ近づくたびに、胸騒ぎが加速して動悸が早くなる。
「はぁ……はぁ……」
―――俺たちの不安が的中するように、本来あるべき家がそこにはなかった。
瓦礫ばかりが無残に散らされて、庭の周囲に飾っていた庭園は滅茶苦茶。
アジトはぺしゃんこになって、二階建てだったのに平屋が倒壊したのかと思われるほどに無残な姿だ。
「ああぁぁぁああ! っざっけんじゃねぇ!!」
アルフレッドは怒り狂って、馬を飛び下り、家に駆け寄った。
家がなくなった。家だけじゃない。
そこにいた家族は?
「くそッ! くそくそくそくそ! くそやろうがッ!」
アルフレッドは瓦礫を力づくで取っ払っていた。
退かしても退かしても山積みのままの瓦礫。我を忘れた怪力でも、それらを取っ払うにはまだ力不足だった。
「なんでだよッ……誰がこんなッ……!」
アルフレッドは叫び続けた。
そこにトリスタンが止めに入る。
「待て、フレッド」
「んだよッ! 邪魔すんじゃねぇ!」
「町のあらゆる場所にリンジーの魔力の気配を残っている。大元はここには居ないようだ」
「なんだと?」
「……こっちだ」
トリスタンの魔力探知がリンジーの居場所を掴んだ。
どうやらこの倒壊した家ではないようだ。
無事でいてくれ。
○
辿り着いた先は坂道を少し下った先のコンラン亭―――否、かつてそう呼ばれていた建物だった
コンラン亭も半壊状態だった。
まだ屋根はかろうじて残っていてそこにたくさんの人が寄り集まっていた。俺たちの元へ嘆きの声がいくつも重なって届く。
見た感じ、怪我人はいない。ヒーリングで治療したようだが、この嘆きの声は自分の財産、住処を失ったショックによるものだろう。
体の傷は癒せても、心の傷は癒せない。
――――うっ……うっ……父さん……。
――――うちの子が……うちの子がどうして……?
少ならず失われた命もあるようだった。
アルフレッドはその人混みに無我夢中で飛び込んでいった。
俺とトリスタンもその後に続いた。
「リンジー!」
「………アルフレッドさん? それにジャックさんも」
俺たちに気づいてくれたのはナンシーさんだった。
どうも彼女は無事だったようだ。
「ナンシーさんか! リンジーは?!」
「リンジーさんならその奥の部屋にいますわよ」
アルフレッドはもはやリンジーの事しか気にしていなかった。ナンシーさんに対して何の礼もなく、指し示めされた廊下奥へと走っていった。
ちょっと失礼かもしれないけど緊急事態だ。
「ナンシーさん、無事で良かったです。後で話を聞かせてください!」
「あ、ジャックさん―――!」
俺もそれだけ伝えると、アルフレッドの後を追いかけた。
「リンジー!」
アルフレッドが勢いよく扉をあけ放った。そこには重症な人たちがベッドに横たわっていた。よくよく見ると腕が無くなっていたり、足が欠損していたり、もはやヒーリングではどうしようもないレベルに怪我を負ってしまった人たちがいた。
その光景が俺たちを焦らせる。
その部屋の奥のベッドに、リンジーが横になっていた。
だが、特に重症な怪我を負った様子はない。
「………アルフィ」
「……あぁ、俺だ……生きてて良かった」
夫婦の再会だ。
アルフレッドは膝をついてリンジーの手を両手で握った。
「久しぶりに無茶しちゃって、起き上がれないから……ちょっとだけ横に……」
「無茶……魔法を使ったのか!? なにがあったんだ?」
「ケアちゃんが……」
ケア――ケアが何を?
これは女神がやったのか?
「攫われちゃった……」
リンジーは震える声で女神が誘拐されたことを伝えた。
一人取り返したらまた誰かが奪われる。犯人は分かりきった事だった。
何が争いのない世界だ。
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