◆ オルドリッジⅠ


 深い、深い闇の底に落ちていた。

 先ほどまで何をしていたのか?

 思い出そうとしても闇に落ちるごとに記憶も遠ざかっていった。唯一覚えているのは、手を伸ばすベストの学者と赤黒い渦模様だけだ。いつまでも続く浮遊感に、自我が吸い込まれていくような錯覚を覚えていた。 

 そして、地の底は唐突にやってきた。


 ―――――――ドンッ!

 その衝撃で体がびくんと跳ね上がる。

 がばっと起き上がって周囲を見渡した。

 唖然とした同期たちが、くすくすという笑い声をあげてこっちを見ていた。


「あー……オルドリッジくん」

「はい、教授」

「眠いなら帰ってもいいんだぞ?」

「すみません、昨晩はレポートをまとめてまして遅かったものですから………」

「それも今日提出できておらんではないかっ!」


 笑い声が講堂に巻き起こった。恥じらいを隠すように、頭を掻いた。

 そうだ。俺は今、魔法大学の学生。

 さっきまで冒険者だったような気がしていたが、夢だったんだ。


「キミは最近、"時間魔法"に没頭しているようだが」

「えぇ、そうです」

「時間管理も少しは勉強した方がいいんじゃないのか?」


 さらに笑いが湧き上がる。こうなると教授も笑いを取るために俺を利用し続けるだろう。

 そそくさと講義を途中退席した。

 そんな俺の様子を見ても、大して関心がなさそうに教授は講義を再開した。



 俺の名前は……ジャック?

 いや、そんなありふれた名前のはずがない。

 オルドリッジの正統な後継者として、今修行中の身だ。

 魔力もゼロじゃない。

 魔法に関してはむしろ優等生だ。


 そうだ。

 俺の名前はイザイア・オルドリッジ。

 時間魔法を体現するために、魔法大学で研究に明け暮れる学生。

 さっきまでの夢が現実的すぎて無力な子どもになっていたような気分だ。

 廊下を歩き進めていくうちに意識がはっきりしてきた。

 とはいえ、そろそろ何か研究成果を出さないとオルドリッジの後継者として認められない。

 俺の関心は「時間魔法」だ。

 時間魔法は当初こそトンデモ理論だったが、古典魔術には頼らないという先験的な魔術だ。

 今でこそ数式上では、時間が空間的に捉えられるものだと判明した。

 仮に俺がやってる研究が進めば、時間操作―――すなわちタイムスリップも可能だと思っている。

 多くの同期からバカにされているが……。


 魔法大学の研究生は既存の古典魔術をヒントに、その原理を解明して魔法の起源を解明しようとしている。

 だが俺はそもそもその前提自体が間違っているんじゃないかと考えている。

 古典魔術に頼って魔法を解明するのは、検証的で発展性がない。検証はできても古典魔術に再帰するだけで起源を探究することはできないだろう。

 もっとさらに別の次元から考察しなければ意味がないんだ。



     …



 とりあえず休憩がてら、学食で水を一杯飲み干した。


「こんな時間にのんびりお茶か?」


 突然、学食の入り口から声をかけられた。

 振り返ると、銀髪で色白の男が立っていた。背筋をぴんと張り、いかにも育ちが良さそうである。


「あぁ、お前は……」


 無愛想な顔だが、真っ直ぐな視線が芯の強さを示していた。逆に言えば、それが彼のプライドの高さを表し、さらに気難しそうな印象を与えてしまう所以だ。

 何度か顔を合わせているので、もう名前は覚えていた。


「シュヴァルツシルトか」

「………アンファンで良い」


 アンファン・シュヴァルツシルト。

 遠い国では超一流の魔術師家系らしく、オルドリッジ出身の俺とよく優劣を比較される。言うまでもなく、その度に俺の劣等感が増す原因ともなっていた。


「時間の研究は進んでいるのか?」

「ある程度はな。おかげさまで魔力ばかりは無駄にあるから。実験は山ほどできるし」

「最近、肩の力を入れすぎなんじゃないか?」

「お前に言われたくないね」


 アンファンの専門は"重力"だ。俺と同じように古典魔術を取っ払って、新しい魔法を世に広めようとしているから、けっこう考えも似ている。

 でも重力魔法はまだ実現の可能性大だ。

 そのあたりで俺の時間魔法とは期待度が違った。


「友達のいないキミの事だから、悩みを打ち明ける先もないのかと心配しているよ」

「そういうお前だって友達いないだろ!」


 しかしアンファンは、ふふん、と人をからかうような目線で眺めてきた。

 アンファンはプライドも高いから俺のような落ちこぼれは扱いやすいんだろう。


「僕はキミと違っていろんな人間と交友も深めている。研究は一人じゃ進まないからな。"三人寄らば文殊の知恵"さ」

「何が言いたい? 俺の進む道が邪道だとでも?」

「違う。心配しているんだよ」


 才能を誇示するために、落ちこぼれの俺をばかにしたいだけだろう。


「そうシケたツラをするな。幸運をも味方にするのが研究者に必要なテクニックだ。………ほら」


 そう言うとアンファンは名刺サイズの紙切れを渡してきた。そこには何かしらの会の日時や場所やらいろんな情報が書かれていた。

 どうやら招待状のようである。


「家で今度パーティーを開くんだ。学生がたくさん集まるから楽しいぞ。たまには息抜きをして、もっと人と交われ。新しい発想も生まれるもんだ」


 なんだ、やけに楽しそうな事を始めるじゃないか。

 あまりノリ気じゃないが、アンファンにしては珍しく、俺を気遣ってくれているのかもしれない。


「仕方ないな。遊びに行ってやるよ」



     ○



 さすがシュヴァルツシルト家の御曹司。

 留学に来ているだけのわりにアホみたいにデカい一軒家を所有していた。別荘なのかもしれない。使用人も何人か雇って置いているみたいだった。

 屋敷の敷地内に入ると、予想外に人は大多数集まっていた。

 シュヴァルツシルト家とのコネ作り目的の学生が多いのかもしれない。

 この国ではまだオルドリッジの研究機関が勢力争いでは強いものの、諸外国ではシュヴァルツシルト家の機関が随一を誇っている。

 海外へ活躍したいと考えている学生は、このパーティーに呼ばれただけでも誉れ高いことだろう。

 俺はそういう親の七光り的なのは大嫌いだ。

 アンファンはシャンパーニュ入りのグラスを片手に、いろんな学生(主に女学生)から言い寄られていた。

 これだから二枚目御曹司はなぁ。


「イザイア」


 アンファンは俺を見かけたからか、取り巻きを取っ払って俺に近寄ってきたようである。


「どうだ? 人脈は広がっているか?」

「さぁ、どうだかね」

「……キミに足りないのは人への干渉力だ。視野が狭くては何も見えてこない」


 ちなみに世間に火や氷などの混合魔術を提唱したのもアンファンの実家であるシュヴァルツシルト家。常に事象を混ぜ合わせてフレキシブルに物事を展開していくスキルはお家芸のようだ。ご覧の通り、世渡り上手だということもこのパーティーの華やかさが物語っていた。


「僕は――――僕の研究の行きつく先は、キミの時間魔法に密接に関係していると考えている」

「お前の研究? 重力魔法の研究がか?」

「そうだ」

「重力と時間に何の関係があるっていうんだ。時間は空間座標に置き換えることは可能だが、その動きは物質的なものじゃないし、変化も無い」

「いや、有るね」

「酔っ払ってんのか?」

「僕はキミの研究は応援しているし、僕たちが協力すればさらに先に進めると思っている」

「そうか、それはありがとう」


 酔っ払いの相手をしているような気がしてイライラしていたために、ぶっきらぼうに言い返してしまった。ちょっと悪いとは思いつつも、顔を真っ赤にしているんだから酔っているのは事実だろう。


「まだ気づかないのか? その時点でキミの研究は行き詰まりだ。もっと視野を広げてみろよ、イザイア・オルドリッジ」


 なんか癪に障る奴だ。


「それなら大学で説明してくれよ。お前の言う関係性とやらを」

「いいだろう。明日さっそくキミの研究室へ行く」


 そう言うと、アンファンは踵を返してしっかりした足取りでパーティーの人混みへ消えていった。



     …



 リビングで他の参加者が楽しそうに会話している傍らで、見たこともない輝きを放つ魔石の置物を注意深く観察している時だった。


「イザイアくん!」


 見知らぬ女学生から急に声をかけられた。

 結局、自分から話しかける勇気もないので、こうして誰かから話しかけてもらえると安心する反面、自分の不甲斐なさを痛感した。

 話しかけてきたのは女学生で、栗色の長い髪を一つに束ねていて、なかなかセクシーなスタイルの人だった。


「イザイアくんも来てたんだ。珍しいね」

「……」

「どうしたの?」

「ごめん、誰だっけ?」

「………」


 女学生は呆れたように目も口も見開いていた。


「ひどいなっ! 研究室で一緒だよね?」

「研究室って言ってもほとんど引きこもってるからなぁ」

「三年生のときの魔術講座も一緒だった!」

「それもほとんど参加してなかったし」


 声をかけてくれた彼女は、だめだコイツ、とでも言わんばかりの苦い顔をしていた。


「私はリンダ! リンダ・メイリー!」

「あぁ、そうだ。思い出した」

「まったく、呆れちゃうなぁ」


 言われてみれば思い出せるが、最近本当に人に興味がなさすぎてすぐ忘れてしまう。アンファンの言うとおりかもしれない。もっといろんな人と交流していかないと人間としてどうかと思われるかもしれないな。


 それからリンダと二、三杯の酒を交わしながら思い出話に熱中した。

 リンダは入学当初、古典魔術と詠唱時間の関係性に興味があったらしいが、いつのまにか興味の矛先が魔法発現時間の短縮に移り、俺と同じような"時間"に関する研究を行うため、同じ研究室に入ってきた女学生だった。

 変な夢のせいもあってすっかり忘れていた。

 酒を飲みながら話しているうちに、いろいろと思い出した。


「それでね、発表当日にはもうその子が大失言! すごく笑えちゃった」


 リンダは面白おかしそうに先日行った魔法学会のアクシデントを語っていた。本来俺も行くべきものだが、すっかり忘れていたやつだ。


「ところでリンダは将来、なにをするつもりなんだ?」

「将来? なに、唐突に」

「いや、ふと疑問に思って」


 彼女にも辛い戦いがあるのだろうか。

 俺はオルドリッジ家に認められるために、そして家名や跡継ぎのポジションを確保するために頑張っている。時間魔法に興味があるのはもちろんだが、その研究結果も最終的にはオルドリッジ家の財産の一つでしかないだろう。


「まぁ、オルドリッジのお坊ちゃんは将来なんて考えなくても決まってるんだろうけどさ」

「それはない」

「んー……私は、特に決まってないかな」

「決まってない? じゃあ何のために大学にいるんだ?」

「ただ面白いからだよ。魔法なんて探究欲を満たす以外に何があるの?」

「リンダ、実家は金持ちなのか?」

「まさか。イザイアくんほどじゃないよ」


 興味本位で魔法大学で学ぶ学生もいれば、俺のように追い詰められて研究に明け暮れる学生もいる。

 ふと周囲で酒に溺れてバカ騒ぎをしている連中が目に入った。

 とても楽しそうである。

 彼らと比べて自分だけが、なんて失礼な事は考えない。

 彼らにも彼らなりの事情があり、その中でも楽しみを見出して日々の活力にしているのだろう。

 俺にもそういう余裕が必要なのかもしれない。

 アンファンはそれを伝えたかったのだろう。


「そうだ、イザイアくん」


 リンダは俺の顔色を窺ってか、何かお願いでもするような目で問いかけた。


「なんだ?」

「今度、友達数人と旅行にいく予定があるの。イザイアくんもおいでよ」

「はぁ? なんだそれは。そんな友達の輪に急に俺が入ったら気まずいし、迷惑だろう」

「全然! 実はさ、イザイアくんに興味がある女の子を知ってるんだよね~」


 む、それは聞き捨てならない。


「なんだそれは? "時間"か?」

「違うよ。イザイアくん本人にだよ」

「あー……」


 それはオルドリッジのコネでも作ろうと?

 俺はリンダに疑いの目を向けた。


「もしかして、警戒してる?」


 黙って頷いた。


「まぁそれもそうだよね」


 リンダの言う女の子の狙いはだいたい察しが付く。物心ついた頃から兄弟たちとの激しい競争の中で育った俺は警戒心だけは異常に強かった。


「残念だけど俺は相続争いでは生き残れないよ。他でも当たってくれ」

「なにを勘違いしているか知らないけど、多分それ違ってるよ」


 リンダは溜息まじりに否定してきた。


「友達との旅行って言ってもただの実地研修フィールドワークだよ。民俗学研究の」

「民俗学……リンダと何の関係があるんだ?」

「まぁその実地研修に行く女の子の友達ってだけ。男の子が多いから、私にも付いてきてほしいんだって」

「それなのに、なぜ男である俺を?」

「だから、すっ………助っ人としてだよ、きっと」

「助っ人?」

「イザイアくんって強いでしょ。魔物が現れても大丈夫なようにって」


 ふむ。ちょっと筋が通らないところがあるが、まぁ置いておこう。

 しかしそういう旅行なら気分転換にはちょうど良い。最近、戦いや攻撃魔法の鍛錬をおろそかにしていたし、日頃の鬱憤晴らしになるだろう。


「それは危険なところなのか?」

「えーと、なんだっけな……。あ、そうだそうだ」


 リンダは思い出したように、ぽんと両手の手の平を合わせた。



「―――ガラ遺跡って知ってる?」

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