湖を抜けた先2
雑踏の中を誰かが歩いている。俺は目線の人物の身体に入って、あちこちを見回している。
『こんな狭いところで、ひしめき合って生きているだなんて。人間とは何と不可思議な』
頭に響くその声は、かの竜に違いない。
『四角い建物の中で誰かと暮らす。必要なものを似たような価値のものと取り替える。食べ物が欲しければ、同等の価値の貨幣を払う。身なりも肌の色もてんでバラバラなのに、大きな争いごともない。人間の姿に化ければ、私でさえ溶け込める。人間とは……実に不可思議な生き物だ』
人化したかの竜は、口元に薄ら笑いを浮かべていた。
『不可思議で、愚かだ。人間の殆どは、私の力を感じ取れない。何もわからないのだ。私が“かの竜”などと呼ばれて恐れられていることも、私が恐ろしい感情を持って道を歩いていることも、彼らは何も知らない』
――ふと目に入った小路から、一人の少女が現れた。セーラー服のその少女は、明らかに周囲から浮いていた。
『干渉者か』
かの竜は彼女を、異界から迷い込んだ者だと認識していた。
『……なるほど。面白いことを考えた。頭の片隅に引っかかっていたアレを試してみる、またとない機会が訪れたようだ』
彼は歩を早め、ズンズンと彼女の方へと向かっていった。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
潜っても潜っても、黒い湖の底には辿り着かない。
砂漠から湖に出て俯瞰したときには、リアレイトの街が透けて見えていた。二つの世界は湖を介して繋がっていると俺は直感した。
湖という巨大なレンズを挟むようにして二つの世界は存在している。という、これは俺の臆測。このまま湖の中を突き進めば、レグルノーラへ出るんじゃないかと更に潜る。
人間のままならばとても堪えられないだろう深度まで身体を沈めていく。
けれど竜になったからといって、身体に貯め込める酸素には限界というものがあるわけで、少しずつ吐き出した息がそろそろ悲鳴を上げそうだ。酸欠状態に陥れば、当然意識はもうろうとするし、手足は痺れてくる。息が続かなくなって口を大きく開いてしまえば当然――、肺に水が入る。
ダメだ。我慢しろ。
干渉者はイメージを具現化できる。
帆船で
強くイメージを持ち続ければ、自分さえ変えることができるはずだ。
ガバッと水を勢いよく飲み込んだ。黒い水が一気に体内に流れ込んでいく。大丈夫、これで呼吸はもっと楽になる。そう、黒い水の中でさえ、俺はしっかり呼吸できる。こんな所で息絶えることは絶対にできない……!
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手のひらをじっと見つめる。
剣を握りすぎてできたマメがところどころ潰れて血が滲み、指はあちこち擦り傷だらけ。ゴツゴツしていて、とても綺麗だとは言い切れない手。
だけれども、そいつはその手を見て喜んでいた。
『ようやく手に入れた。人間の身体だ』
辺りは一面の砂漠、砂嵐が巻き起こり、そいつの身体を激しく揺らしていた。けれどそいつは微動だにせず、自分の身体の隅々をまじまじと眺めてはニヤニヤと笑っていた。
『あの愚かな金色竜が私に教えた唯一は、人間との同化で強くなれるということ。私はこの世界で最強の存在になれる。何も怖くない。誰も私を倒そうとはしないはずだ。ただ……馴染むまで時間がかかる。そして、回復するのにも相当の時間が必要だ。金色竜め、私の力をよくも吸い取ったな……。根こそぎ吸い取るために、大量の竜石を用意するとは不覚だった。復活まで何年かかる……? 十年、二十年……、いや、もっとだ』
生きているのが不思議なくらい、そいつはフラフラだった。身体中から力という力が抜け、激しい痛みと息苦しさでいつ倒れてもおかしくないほど、体力を奪われていた。
空は厚い雲で覆われ、湿った空気が渦になってつむじを巻いている。風と風がぶつかり合い、砂を巻き上げて辺りを白くした。目を凝らすと地平線が途切れているのが分かった。砂漠の端っこ、大地の終わりにそいつは立っていたのだ。
『しかし何故だろう。心が躍る。これほどまでに胸が高鳴ったことはない。あれほど執拗に追い詰められたこともない。平坦だった私の半生に、一筋の光が差したようだ。残念ながら、私は眠らなければならない。が……、眠りから覚めた暁には、今度こそ二つの世界を――』
そいつの身体は遂に倒れた。
砂に倒れ、埋もれていく身体。大地が削れ、もろとも黒い湖へと――……。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
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