黒い記憶3
広大な砂漠の上には青空が広がっていた。ゴツゴツとした岩山や波打つ砂山を眼下に飛ぶ誰かと、俺は視界を共有している。
『誰もいない所へ行こう』
俺が入り込んでしまった誰かがそう思った。
『居場所もない、生きていく価値もない、死ぬことすら許されないなら、孤独と共に生きるしかない。未開の地へ――世界の果てへ行けば、僕は自ずと束縛から解放される。誰にも縛られない、誰にも嫌われない、そういう世界がきっと待っている』
声の主は激しく追い詰められていた。
ふと見下ろした地面には、羽を広げた竜の影が落ちていた。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
「“特別な力”って、“気持ち悪い”ものなんでしょうか」
少女が俺を見上げている。
美桜……じゃない。似ているが、美桜よりももっと可愛げがある。眼鏡もない。
「どうして?」
視線の男が低い声で言う。
「私にとっての当たり前が、みんなにとっては全然当たり前じゃない。こうやってレグルノーラに飛んで、あなたとお話ししていることさえ気持ち悪いと兄が言うんです。兄にはこの世界のことはわかりません。二つの世界が繋がっていることも、行き来することのできる人間がいることも、何も信じてくれない。……病気、だと。私は病気だと思われてる」
少女が肩を震わすと、男はそっと彼女の肩に手を回して、そのままギュッと抱きしめた。
「君は病気なんかじゃない。とても繊細な、優しい子。だからこそもう一つの世界の存在に気付くことができた。素晴らしいことだと思う。君のお兄様は勘違いをなさっている。責めてはいけないよ。皆、自分と違うものを認めたくないだけなのだから。君の不安は全部私が受け止めよう。大丈夫、安心していいんだよ」
男の口元が、また奇妙な笑みを浮かべた。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
『黒い水を飲めば、身体が黒くなるだろうか』
黒い湖の湖面に足を付けながら、そいつはそう思っていた。湖面には真っ白な竜のシルエットがくっきりと映っている。まだ大人になりたての若い竜だ。
『黒くなれば、暗い森の中でも目立たないだろうに。僕は何故白く生まれたのだろう』
白い竜はぼんやりと湖面の自分を見つめている。
『世界は残酷だ。望んでこの姿をしているわけではないのに、皆、僕を責め立てる。竜が気高い……? 気高すぎて他者を受け入れられないだけだ。妙な誇りに囚われて、簡単に僕を切り捨てた。この世界で一番賢いと言われている竜でさえこれだ。……こんな世界は、滅びてしまえば良いのだ』
湖面が揺れた。
白い竜を中心に、黒い水柱が次々に上がる。小さな水柱は徐々に徐々に高さを増し、白い竜の身体よりも高く上がった。
黒い飛沫が身体にかかると、水滴は滑るようにして白い鱗を撫でていった。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
「取り返しの付かないことになってしまった……、私の責任だ」
黒い肌の女が崩れるように言った。
白い塔の展望台だった。
赤い服を着た黒人の女と、お腹を大きくした女子高生が二人で砂漠を眺めていた。
「美幸、お前は誰に何をされたのか、理解しているかい?」
言われて美幸は、困ったように首を傾げている。
「犯されたのだというのは、そのお腹を見ればわかることだと思うし、お前がその男のことを信頼し、愛しているというのもわかる。けれどね、問題はもっと別のところにあるんだ。私は塔の魔女として、もっと細かなところまで目を配らなければならなかった。様々なことに忙殺されて、気付けなかった私が一番悪い。だから、お前を責めることはしない」
額を押さえて窓に手を付き、苦しそうに話す彼女に、美幸は困惑の目を向けた。
「それは、私が未だ大人じゃないから? だったら大丈夫。私はもう“表”になんか戻らない。ここで赤ちゃんを産んで、ここで彼と暮らせば」
「――違うんだよ、美幸。そういうことはできないんだ。お前の身体はあくまでも“表”にある。だから、子どもを産むのも育てるのも“表”じゃなくちゃならない。けど、それが問題の本質じゃない。“表”と“裏”が交わった。それだけでも大問題なのに、お前はよりによって竜と交わってしまった。つまり、お腹の子は人間じゃないってことさ」
「嘘……!」
美幸は両手で顔を覆い、ガタガタと震えだした。顔が一気に青ざめていく。
「竜の中には人間に化ける者もいる。人語を話し、竜の気配を消されれば、気付くことは難しい。ごく少数のそうした竜の中に、一匹だけ最も警戒すべき竜がいるってことを、私たちは努めて話題にしないようにしていた。それがいけなかった。知らなかったでは済まされない事態が起きてから後悔する。残念ながら、お前の話を聞いた限り、相手はそいつだ」
ディアナは不安をかき消すように何度か首を振り、クルッと美幸に向き直った。
「護衛を付けよう。人化できる竜を。丁度いい竜が居ないかグロリア・グレイに頼んでみる。人間では太刀打ちできないだろうからね。――いや、竜であっても無理かもしれない。けれど、牽制にはなる。その腹の大きさではもう……、産むしかないのだろう?」
こくりと美幸は頷いて、後ろめたそうな顔をディアナに向けた。
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