120.穴

穴1

 ――白い竜。


 美桜の口は、確かにそう動いた。

 唐突な言葉に俺は目を見開き、もう一度彼女の口元に注目するが、彼女は既に熱にうなされていて、それ以上言葉らしい物を吐き出さなかった。


「白い、竜」


 俺は自分の中で反芻するように彼女と同じ言葉を呟いた。


「ドレグ・ルゴラ……?」


 ――パァンと何かが弾けた。


 窓がガタガタと揺れ、突然に辺りが暗くなる。たくさんの悲鳴が耳に飛び込んで、俺の思考は途切れた。

 頭上げながら、俺は恐る恐る当たりを確認する。

 窓ガラスが全部割れていた。飛散防止フィルムのお陰で飛び散ることはなかったが、窓という窓には全部亀裂が入り、外の景色を消してしまっていた。


「な、何が起きたの……?」


 須川が両耳を塞ぎながら震えている。


「わ、からない。けど、地震? 突風? 外で何かが」


 ズレた眼鏡を直しながら、芝山が首を傾げている。

 裏の干渉者たちは各々に立ち上がり、武器を構えていた。敵襲と思ったに違いない。

 何年か前に起きた大地震後に学校中に貼ったというフィルムの威力を確認しつつ、一体外で何が起きているのか、俺たちは確認しなければならなかった。

 陣がそろりそろりと窓際に寄り、施錠していた窓を開ける。部室という結界の中に生温い風がわっと吹き込み、俺たちは慌てて顔を背けた。

 温い上に、吐き気がしそうな程生臭い風だった。

 その臭い風の中に悲鳴が溶け込み、耳の奥にまでガンガン響いた。多く叫び声と泣き声が混じり合った異様な音は、辺り一面に広がっていた。


「な……んだ、アレは」


 割れた窓から外を覗き、陣が言う。

 俺は皆の顔を確認しながら立ち上がり、大きく唾を飲み込んでから窓を開け、おもむろに外を覗き込んだ。



 穴だ。



 穴が空いている。



 グラウンドの真ん中に、底なしの穴が空いている。



 地割れではない。完全なる穴。

 巨大すぎる穴の縁で泣き叫ぶ生徒。消えてしまった誰かを助けようと穴に向かって手を伸ばす生徒。混乱し、頭を抱えたまま右往左往する教諭。

 目の前で起きているこれが現実なのかどうか、呑み込むには時間がかかる。第一ここは“表”であって“裏”ではない。……はずなのだ。

 また悪い夢を見させられているのか?


『夢じゃない、現実だ』


 テラの言葉を、俺はどうにか理解しようとする。


『あれだけ穴が大きいとなると、塞ぐことは難しい』


 塞ぐとか塞がないとか。

 そういう問題じゃないのは見ればわかる。

 俺たちの恐れていた大穴が、ぽっかりと空いているのだ。しかも、じわじわと広がっているように見えなくもない。


『凌、行くぞ』


 行く……? 美桜を見捨てて?

 振り向くと、モニカとケイトが美桜に駆け寄り、回復魔法をかけたり介抱したりしている。


「行ってください、救世主様。ここは私たちが」


「邪悪な気配を感じます。お急ぎください」


 断腸の思いで前を向く。

 わかってる。今、やらなければいけないことは。

 窓のさんに足をかける。三階の部室から階段使ってまともにグラウンドに向かえば時間がかかりすぎる。緊急事態だ。これしか方法がない。


 ――“飛べる”


 心の中で念じ、思い切って宙に身体を放り投げた。

 飛び降りるんじゃない。飛んで着地する。テラと同化した身体なら、竜化せずとも造作もないはず。自分に言い聞かせ、空を飛ぶ。校舎脇に植えられた木々を飛び越え、バタバタとシャツの中に風が入り煽られそうになるのを堪えながら、グラウンドの景色を俯瞰する。

 穴の底は見えない。真っ暗闇。あの向こうは恐らく“黒い湖”。穴から強い風がどんどんと吹きだし、黒いもやが少しずつグラウンドを侵食、そこに居る人々を呑み込んでいくのが見える。


「人が飛び降りたぞ!」


 誰かが言って、それが俺だとわかる頃に着地する。

 注目が集まり、


「誰だよ」


「ヤバい、三階だぞ」


 口々に言うのが聞こえてくる。

 ゆっくりと姿勢を直し、グラウンドに散らばる人影を見回していたとき、その中の一人が笑みを浮かべながらこちらに歩いてくるのが見えた。


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