116.リアレイトの宵の空
リアレイトの宵の空1
芝山たちが居なくなると、室内は急にしんと静まりかえった。
大きめのリビングダイニング、カウンターキッチン、大きなソファやテーブル。家族で住むならちょうどいいかもしれないが、美桜はここにたった一人で住んでいる。家政婦の飯田さんが出入りしてくれているから寂しさは紛れるのだろうが、普段はもっと静かに違いない。
美桜は両手を腰に当て、「さて」と自分に言い聞かせるように呟いた。
「どうにかしなくちゃね。こんなことになるってわかってたら、もっと色々準備したのに」
長いため息に、良心が痛む。
「ゴメン。こんなことになるなんて思ってなかったし。迷惑なら出てく」
「そういう意味じゃないってば。わかってるくせに」
美桜は眼鏡の奥で目を伏せた。
あちこちに置かれたグラスをトレイに回収しながら、モニカはそっと美桜を見る。
「快くというわけではないのでしょうが、受け入れてくださったことには感謝しています。できる限りのことはしますから」
視線に気付いたのか、美桜はチラリとモニカを見て、ありがとうと返していた。
「それにしても、変なとこだな」
カーテンを開き、外を眺めながらノエルがぼやいた。
「何が」
俺が近づいていくと、ノエルは、
「だってさ」
と外を指さす。
「空に色が付いてる。チラチラ小さな光が浮かんでるし。それに、……高低差? 塔の上でもないのに、あんな風に建物が広がって見えるの、初めてだ」
レグルノーラは凹凸のない盤面のような世界。高いのは都市の中心部にあるビル群や塔、そして砂漠地帯にある岩山くらいだった。空には常に暗雲が立ち込めていて、日の光を直接浴びることは叶わないし、まして星空なんて見えるわけがない。
真っ暗で閉ざされた小さな世界で、俺たちは命を懸けて戦っていたわけだ。
「面白い?」
俺が聞くと、
「初めてだからね。新鮮」
素直に驚けば良いのに、ノエルはやたらと大人ぶる。けど、瞳は正直だ。キラキラと輝いている。
「それにしても、おかしいよな。干渉者でもないオレやモニカがリョウと一緒にこの世界に来てしまったってことがさ。これって現実? 変な夢の続きでも見させられてるわけじゃなくて?」
口元を引きつらせるノエルに、モニカが同調する。
「確かに不思議ですね。干渉能力を使って“こちら”に居るならば、本体は“向こう”に置いてけぼりのはず。でも違いますね。“これ”は私たちの本体で、能力によるものじゃない。とすれば、身体が時空を超えて“こちら”に来ていると考えるしかないでしょうね。それこそ、救世主様が“こちら”から姿を消したのと同じ要領で」
干渉者が異世界に飛ばすのは意識だけ。本体は元の世界に起きっぱなしな上、極限まで高めた集中力を駆使し実に60倍もの速さで異世界を体感する。二つの世界で魂は繋がっていて、傷ついたり物を食ったりってのも全部共有しているのが不思議なところではあるが、要するに異世界に身体全部が来てしまうってことはまずない。
二つの世界間で物質を移動させるのと同じように身体全体を転送させてしまえばってことで、無茶してやらかした転移魔法でレグルノーラに飛んでしまったのが、リザードマン化した古賀と戦ったとき。あれと同じようなことが、黒い湖を介して行われていたという理解で、どうやら間違いなさそうだ。
「本来ならばあり得ない方法でも移動できてしまったということは、その“黒い湖”って場所にヒントがありそうよね」
美桜が首を傾げた。
「当然、そうだろうな。実際脱出したのはモニカの魔法のお陰だけど、そのときは別に転移魔法を使っていたわけじゃなかったようだった」
「救世主様のおっしゃる通り、使ったのは“聖なる光”の魔法。移動魔法ではありませんでした」
モニカは俺と美桜を交互に見ながら、カウンターの上にゆっくりとトレイを置いた。
「あの真っ黒な水には暗黒の魔法が含まれていました。テラ様がおっしゃったところの、『たくさんの暗い感情』が魔力を帯びて、あの湖全体を黒く染めていたわけです。塔の魔女の訓練時に偶々“聖なる光”の魔法と暗黒魔法について学んでいたことで、何とかそこに気付くことができたから良かったものの、何も知らなければ、今頃私たちはかの竜の魔法にかかり狂っていたことでしょう。暗黒は極端な光を嫌います。対抗するにはそれに勝る“聖なる光”の力しかなかったのです」
「“聖なる光”……」
いいながら美桜は、誰も居なくなったソファにでんと腰を下ろした。
「試してみたけど、かなり難しくて物にできなかった。上手く操れれば、ゲートを閉じるのにも使えそうだけど。教えてもらってもいい? それから、凌にも教えてもらいたいんだけど、前にやってくれた補助魔法。あれを併用したら、今より効率的にゲートを塞げそうな気がするのよね」
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