光4

 急激に体温が戻って来た。

 指先の感覚で、自分が今地面に伏しているのがわかる。短めの草。外の臭い。日陰と日向の間に身体があって、右は暑く、左は冷たい。

 いろんな音が頭の上から降ってくる。

 ボールの弾む音。かけ声。葉の擦れるような音や、車の排気音。蝉の声。

 ――“リアレイト”!

 咄嗟に顔を上げて目を開けるが、あまりの眩さに面食らう。真っ暗闇から抜け出したばかりで、全然色が入ってこない。

 魔法の気配がする。

 それから、何か不穏な気配も。


「侵入者……? 陣君、シールドが緩すぎじゃないか」


「失礼だな。僕はきちんとやってるよ。それより、時間がかかりすぎだ。美桜も怜依奈も、一気に片を付けよう。体力は持ちそう?」


「大丈夫」


「何、とか……」


 魔法量が一気に上がり、黒い気配が収縮されていく。

 もしかして、“ゲート”を閉じている……? てことは、ここは。

 もう一度ゆっくりと目を開ける。少しずつ、少しずつ、色を確かめていく。

 草の緑。その間に潜む小さなジャリの灰色と、土の茶色。自分の肌色。右腕の刻印。それから半袖の白いワイシャツ。

 大きな建物が見える。灰色のコンクリート基礎と、白い壁。高い位置に窓がある。体育館だ。

 敷地を囲うコンクリート塀に大きな穴が見えた。直径2メートル近い黒い穴。美桜の部屋や帆船で見たのと同じ。

 これ以上広がったらどうなるか。思い出すだけでゾッとする。

 俺は咄嗟に立ち上がり、穴の前で必死に魔法を注ぐ数名の側まで駆け寄った。


退いてくれる?」


 そこにいた女子生徒の肩をトンと触ると、彼女は俺の顔を見てハッとしたのか魔法を止めて数歩下がった。


「須川さん、なんで止め……」


 そこまで言って、もう一人の女子も動かなくなる。


「う、嘘」


 俺は敢えて誰の顔も見なかった。

 穴の前には魔法陣があった。

 男子二人が手のひらを向け、魔法を注いでいる。穴は意思を持っているかのように広がろうと抵抗し、簡単には閉じそうにない。大きな力で一気にやらなきゃいけないってことらしい。

 俺は呼吸を整えて新たなる魔法陣を出現させた。


――“時空の歪みを閉じ、ゲートを完全に消滅させよ”


 緑色の二重円に、日本語で文字を刻んでいく。竜石のお陰で一応レグルの文字も扱えるようになったのだが、やはりこれが一番しっくりくる。

 描いた魔法陣を見て、今度は男子二人が反応した。


「え……? ちょっと待っ……」


「まさか。あり得ない」


 驚き、魔法を注ぐ手が止まっている。

 魔法を受けなくなった瞬間、穴はまた広がり始めた。広がりきってしまったら、帆船のときのように、塞ぐのが困難になる。それどころか、穴の中から何が出てくるのかわからない。

 全ての文字を刻み終えると、魔法陣は強く光を放ち始めた。

 両手を魔法陣に向け、ひと呼吸。瞬間的に強大な力を放出する方法なら、極端な竜化をせずとも力が使える。

 両足で踏ん張り、一気に穴を塞ぐ。

 中心に向かって急激に小さくなっていく穴に手ごたえを感じ、俺は更に力を注いだ。


「す、凄い……! なんて力だ……!」


 誰の声だとか、そこに誰がいるだとか。

 考えたらダメだ。今はとにかく、穴を塞ぐことだけに集中する……!

 魔法陣を通して最大量の魔力を注いでいくと、穴が過剰に反応してビシビシと音を出した。コンクリートの壁を抉るようにしてできた穴が、逆再生のように縮んでいく。

 もう少し。あと少しでというところで、追加の魔力。一瞬竜石が反応したが、未だ行ける。

 激しく渦巻きながら穴が閉じ――、一旦全ての時間が止まった。音が消え、色が消え、風が止まり、それから全ての時間と色が元に戻っていく。

 上手く、行ったのだろうか。

 自分の魔法に絶対的な自信があるわけではないが、やれることはやった。

 大きく息を吐き、腕で汗を拭う。

 蝉のつんざくような声が木々の間から聞こえてくる。どうやら残暑の季節らしい。油蝉に混じってツクツクボウシの声がする。


 ……誰かが突然手を叩き始めた。


 俺は怖くて、微動だにできなかった。

 わかっていた。

 須川の肩に触れ、美桜が驚き、陣が目を丸くし、芝山がたじろいでいた。

 ここは翠清学園の体育館裏で、Rユニオンのメンツが必死に穴を塞いでいたことも、彼らが疲弊しきってまともに魔法が操りきれてないことも、全部、わかっていた。

 後方から足音がして、彼らの視線はそちらに向いた。


「救世主様! 良かった。ご無事で」


「リョウ! 探したぞ!」


 モニカとノエルが駆け寄ってくる。どうやら彼らは、俺とは少し違う場所で目を覚ましていたらしい。


「凌……、だよね?」


 美桜の声だ。

 途端に、熱いモノが溢れてくる。


「来澄……。もしかして、戻って来た……のか?」


 この声は、芝山だ。

 ダメだ、涙腺が。


「いよいよ戻って来てくれたんだな。“異界からの救世主”として」


 似たような陣のセリフは前にも聞いた。

 けど、今の方がもっと、心に染みる。


「良かった。生きてる」


 泣き崩れる須川。

 ゴメン。心配させて。本当に、ゴメン。


「ここは間違いなく“表”ってことで、合ってる? まさかまだあの黒い湖の底だってことはない……よな?」


 半信半疑のノエルが恐る恐る尋ねると、モニカが自信たっぷりに、


「大丈夫ですよ」


 と返事した。


「さっきまでの変な気配はしませんし、皆さんの反応も正常です。私たちのお洋服が“表”のそれに変わっていることを考えると、あれは夢ではなく現実……? 少し不思議な気もしますけどね」


 そう。

 アレが夢だったなんて断定はできないのだ。

 確かに俺はこの手で芝山の首を締めた。その感触がしっかりと手に残っている。千切れたシバの身体を剣で刺した感触も、生々しく覚えている。


 どうやって顔を見たらいい。

 どんな風に振り向けばいい。


 黒い湖に意識を支配されてしまったからと言って、俺はやってはいけないことをやってしまった。

 絶望に打ちひしがれ、芝山を殺そうとした。

 謝れば済む話じゃない。

 俺は、“この世界”に居るべきじゃない。

 どこかへ行かなければ。早く、立ち去らなければ。

 これ以上誰かを傷つけたら、俺は本当に、俺ではなくなってしまう。

 下唇を強く噛み、ギュッと両手を握った。

 足元に魔法陣を描く。移動魔法だ。早く、どこかへ去らなければならない。どこでもいい、誰も知らない、遠くの場所へ。

 二重円の中に文字を書き始めた、その瞬間に、誰かが背中に飛びついた。


「ダメ」


 か細い腕を俺の身体に回して、そのままギュッと抱きしめてくる。


「行かないで。もうどこにも行かないで。お願い」


 背中に顔を埋めたのは、美桜。

 顔なんか見なくったって、ちゃんとわかる。

 失いたくないモノの一つ。守りたい、大切な人。


「世界があなたを忘れても、私はあなたを忘れない。言ったでしょ? 『見つけた』って」


 美桜の手が、シャツを強く掴んだ。

 その手に自分の手をそっと重ねる。

 柔らかい。そして……、なんて、温かいんだろう。

 中途半端な魔法陣が光の粒になっていくのと同じように、心の中につっかえていたものが少しずつ消えていく。

 美桜の手をほどき、ゆっくりと後ろを向く。

 未だ高い日の光が、彼らを上から照らしていた。


「大丈夫、ここに居て、良いんだよ」


 美桜のその一言が、強張っていた俺の心をどんどん溶かしていった。

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